ノシャップ岬から稚内公園を経由し海沿いに宗谷岬まで30数kmを・・・
早朝の時間帯には、走行する車もなく・・・あっという間に到着・・・
ただ、メタボオヤジの今回のルートは、宗谷岬の突端からではなく・・・途中の厳島神社から・・・
更には、ホタテ貝を粉末にしてまいた白い道を通り・・・陸上自衛隊分屯地の見える宗谷丘陵を経て岬に・・・
まずは、地元民しか訪れることのないだろう厳島神社へ・・・
当時の交通手段は、船であったことから海上の交通安全を祈願した神社のようだ・・・
なお、白い道の西口入口前には、津軽・会津・秋田藩の陣屋跡の表示がある・・・
これは、開国による外国の脅威に対応するため・・・江戸幕府が奥羽各藩に警護を命じたもの・・・
そのため北海道の各地には、各藩の陣屋が設けられたようだ・・・
白い道を通り宗谷丘陵と呼ばれる360度のどこを見渡しても丘だらけの景色を眺め・・・
陸上自衛隊の分屯地を横目に丘陵を下り始めると・・・牛が放牧され・・・のんびりと草を食んでいた・・・
そして宗谷岬を眼下に見下ろす丘の上には・・・旧海軍の望楼や太平洋戦争における犠牲者慰霊の平和の碑・・・
更には、酪農開拓拡大記念のあけぼのの像・・・宮沢賢治の文学碑etc・・・その他、多数の記念碑等がある・・・
更に宗谷岬の突端には・・・北海道最北端の地の碑や間宮海峡発見者の間宮林蔵の銅像の他・・・
船村徹作曲、千葉紘子が歌う宗谷岬の歌碑、宗谷岬神社・・・
そして海の向こうには樺太が・・・残念ながらガスにまみれて見ることは出来なかった・・・
早朝の時間帯には、走行する車もなく・・・あっという間に到着・・・
ただ、メタボオヤジの今回のルートは、宗谷岬の突端からではなく・・・途中の厳島神社から・・・
更には、ホタテ貝を粉末にしてまいた白い道を通り・・・陸上自衛隊分屯地の見える宗谷丘陵を経て岬に・・・
まずは、地元民しか訪れることのないだろう厳島神社へ・・・
当時の交通手段は、船であったことから海上の交通安全を祈願した神社のようだ・・・
なお、白い道の西口入口前には、津軽・会津・秋田藩の陣屋跡の表示がある・・・
これは、開国による外国の脅威に対応するため・・・江戸幕府が奥羽各藩に警護を命じたもの・・・
そのため北海道の各地には、各藩の陣屋が設けられたようだ・・・
白い道を通り宗谷丘陵と呼ばれる360度のどこを見渡しても丘だらけの景色を眺め・・・
陸上自衛隊の分屯地を横目に丘陵を下り始めると・・・牛が放牧され・・・のんびりと草を食んでいた・・・
そして宗谷岬を眼下に見下ろす丘の上には・・・旧海軍の望楼や太平洋戦争における犠牲者慰霊の平和の碑・・・
更には、酪農開拓拡大記念のあけぼのの像・・・宮沢賢治の文学碑etc・・・その他、多数の記念碑等がある・・・
更に宗谷岬の突端には・・・北海道最北端の地の碑や間宮海峡発見者の間宮林蔵の銅像の他・・・
船村徹作曲、千葉紘子が歌う宗谷岬の歌碑、宗谷岬神社・・・
そして海の向こうには樺太が・・・残念ながらガスにまみれて見ることは出来なかった・・・
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