2枚の画像とも上野駅ではありません。
一昨年に撮った米子駅構内です。お許しください。
「ああ上野駅」などで知られる井沢八郎さんが、1月17日に逝去された。
私が東京での学生生活を踏み出したのは東京駅からだったが、上野駅が田舎の香りがする。
東京で生活をしていると、ときどき故郷が恋しくなるときがある。そういうときは、上野駅のホームへ行ってこの歌を歌い、中学三年の修学旅行で同級生と一緒に写真を撮った西郷さんの前へ行って、元気づけたものだ。
「ああ上野駅」は青春の応援歌である。
お腹の底から大きな声で元気いっぱい歌われる井沢八郎さんを、もう見ることはできない。残念である。
一つ言えることは、青春時代に、井沢八郎さんが歌うこの歌に出会えてよかったということだ。
一昨年に撮った米子駅構内です。お許しください。
「ああ上野駅」などで知られる井沢八郎さんが、1月17日に逝去された。
私が東京での学生生活を踏み出したのは東京駅からだったが、上野駅が田舎の香りがする。
東京で生活をしていると、ときどき故郷が恋しくなるときがある。そういうときは、上野駅のホームへ行ってこの歌を歌い、中学三年の修学旅行で同級生と一緒に写真を撮った西郷さんの前へ行って、元気づけたものだ。
「ああ上野駅」は青春の応援歌である。
お腹の底から大きな声で元気いっぱい歌われる井沢八郎さんを、もう見ることはできない。残念である。
一つ言えることは、青春時代に、井沢八郎さんが歌うこの歌に出会えてよかったということだ。
客車とか、いろいろ会ったのに、撮影していないんです。小さいときの狙いは、、そんなもんでしょうね。
画像をさがしてみましょう。
上野駅の構内は、何とも言えない田舎の匂いがありましたね。
駅のアナウンスも東北なまりで聞こえてきました。ほかの駅と比べて、生活の匂いというか、ほっとするような感じでした。
新幹線が東北や北陸も開通してから、上野駅も変わったことでしょう。
東京駅が起点になってから、この歌も遠退いてしまったようで、何か寂しい感じもします。
SDTMさんは、小さいころから鉄写真を撮っておられたのですね。
昨日、境港方面へ行ったときに、明治時代からの日野川周辺を写した冊子を目にしました。
当時の沿岸周辺の家とか、伯備線の鉄橋工事の写真を見たのですが、まさに写真は歴史を語る証人ですね。
死亡記事を見て残念でした。
早速テープを見ました。綺麗な声、歯切れの良い唄いかた、しみじみ聞きました。
井沢八郎さんと「ああ上野駅」に対する思いが共有できたことを、大変うれしく思いました。
♪・・・配達帰りの自転車を 止めて聞いてる国なまり~~
このくだりを歌うと、心にじ~~んと来ます。
今夜、夕食を食べながら娘に、井沢八郎を知ってるか?と聞きました。
???でした。
お父さんが東京にいて故郷が恋しくなったら、上野駅に行って、井沢八郎が歌った「ああ上野駅」を歌って元気づけたものだと話したら、工藤夕貴の誕生日に亡くなったのだって・・・という返事。
でも、その返事を聞いて何だか悲しさを共有できたような感じでした。