写進化・ヲアニーの徒然日記

秀峰大山を中心に山陰地方の風景等を掲載。(※古い記事の画像は、削除しているのもあります。)

[伯耆町二部]傳燈寺

2010年08月24日 | 自然

伯耆町二部の集落は、山間に囲まれたのどかな田園風景の広がる一画にあります。
先日の日曜も暑かったのですが、ちょっと出かけてみました。

その二部に伯耆三十三番札所の傳燈寺(八番札所)があります。
今年発行された、伯耆町教育委員会編纂の「伯耆町の文化財」によれば、ここに安置されている本尊薬師瑠璃光如来(撮影せず)は、高さ2尺4寸5分の立像で、仏師運慶の作と伝えられているそうです。
室町期にこの地に建築され、兵火によるお堂の焼失、その後三度の火災で寺の廃絶の危機もあったが、1737年(元文2)本堂が落成したそうです。


お寺の駐車場に車を止めさせてもらって・・
では、寺へと向かってみましょう。今回は、少し画像が多くなります。


傳燈寺の入口です。



180度パノラマで撮ってみました。
大きく見るには → こちら


立派な山門ですね。



境内に入ってみました。

観音像は、割と新しいようですね。

子どものころは、空き地や寺の境内で「六むし」をしたりして遊びました。
神楽が来て、寺の境内に集落じゅうで集まって見たこともありました。

この本堂に、最初に紹介した本尊薬師瑠璃光如来が安置されていると思いますが、だれもおられない様子だったので中へ入るのは遠慮しました。


伯耆町二部集落の様子は、次回も続きます。


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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (nasuka)
2010-08-24 19:52:49
ロクムシ!懐かし~~♪
確かに、お寺や神社の境内は、かっこうの遊び場でしたね~
お墓はかくれんぼに持って来いだし(笑)
二部も広いですが、これはどの辺りですか??
間地の近くまで行きます??
ポタによさそうな小道が気になります・・・
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nasukaさんへ (ヲアニー)
2010-08-24 20:49:38
nasukaさんも「六むし」をしてましたか^^
寺の境内を見ていたら、ふと浮かんできたものですから。
小学校の昼休憩にもすぐ集まってやったものです。
でも、15年ほど前のことですから、ルールは大分忘れましたが(爆)

このお寺は、TOP画像の集落に入る道から約300mほど入ったところ
だったでしょうか。
二部集落は、平坦な道ですからnasukaさんのポタコースには
物足りないと思いますよ(笑)
間地の集落は、更にこの二部集落から上に行って、小学校や神社を抜けて
いきますよね。
そこからが、ヒルクライマーのポタコースでしょう^^
間地峠を通り抜けると、日野町はすぐそこですね。
nasukaさんには、根雨駅まで輪行されて、舟場を抜けて峠越えをして
間地へ抜けるのがお勧めのコースではないでしょうか(笑)
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Unknown (マシンガン)
2010-08-25 10:44:59
六むしですか・・・(懐かしい)

> 15年ほど前のことですから

オジサンになってからもされてたということで?(爆)

小さい頃住んでいた家の周辺には広いお寺や神社はありませんでしたが、
公園の横にあるお墓は遊び場になっていました。
最近では公園で遊んでいる子供もあまり見かけなくなりましたね。

「二部」だけに、次に続くのですね
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Unknown (クラウン・ベリー)
2010-08-25 16:05:20
「六むし」って何ですか???

私も、お寺に参っても本堂を自分で開ける勇気がなくて・・。
いつも見たいなぁ~と思いながら、帰ります(笑)
180度パノラマ、凄いですね!
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マシンガンさんへ (ヲアニー)
2010-08-25 19:44:22
懐かしいをあえて括弧書きするところを見ると、マシンガンさんも
六むしをして遊んでいたということかな。
余り年が変わらないか(笑)
でも、こういう遊びをしている光景は見なくなりましたね。

>オジサンになってからもされてたということで?(爆)
ええ、小学生のころから人格識見豊かで、風格が漂っていたので、
オジサンと周りから言われていましたが、それがなニカッ

マシンガン邸は、別名・米子鬼太郎空港=非行場と言われていたと思うが・・
かくれんぼや缶蹴り、メンコ(県西部ではペッターと言っていました)、
ビー玉、場取りなど、いろんなことして遊びましたね。
子どものころは、田舎ではまだ土葬がほとんどだったので、
昼間でも墓で遊ぶのはちょっと怖かったですね^^;

>「二部」だけに、次に続くのですね
二部の下側に三部という集落があるが、今回は二部しか撮ってないので、
そのツッコミを考えずに、得意の引っ張りで3部作の構想を練っていたのだが・・
ウ・ウ・ウ~~ム・・
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クラウン・ベリーさんへ (ヲアニー)
2010-08-25 20:02:59
やっぱりお寺に住職さんがおられないと、お堂の中へ入るのは憚りますね。
パノラマは、フリーソフトでつないでいますが、最初のころは三脚で撮らないと
黒くなる部分が多かったです。
今回も手持ちですが、大分コツがわかって無駄な部分が少なくなりました。

六むしは・・
地域によってルールが少し違うかもしれません。
小学校のころから15年?も経過しているので、
記憶をたどりながら遊び方を紹介します(爆)
野球のようなルールですが、用意するものは庭球のゴムボール1個です。
人数は、最低限4人(2対2)が必要です。
じゃんけんをして2組に分かれ、奇数の場合は、そのあふれた1人は、
上手な者がいる組以外のチームに入れました。

遊び方ですが、約20メートル間隔で3つの点(三角形)に足のつま先で円を描き、
2つの円(1塁、2塁)が野球で言うベースになります。
攻撃側はもう1つの角(ホーム)に打つ構えをして、
ピッチャーが攻撃側にボールを投げます。
手で打って、フライを取られたり、ワンバウンドで取られた場合はアウトになります。
それ以外の打球は、攻撃側がベースに着くまでにボールを送らないと
セーフとなります。

また、ベース間を走塁する場合、または最初のベースに着くまでにボールを投げて
走者に当たれば、それもアウトになります。
攻撃側がホームへ戻ったら、そこで「一むし」となります。
6回ホームへ戻ると「六むし」、そこで勝負は終わり。
1回の攻撃は、3アウトで攻撃終了。大体あとは野球のルールと同じです。
もしかしたら、私が遊んだルールが少し記憶違いの部分もあるかもしれません。
「六むし」をして遊んだ方で、ルールに補足するものがあれば教えてくださいね。
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Unknown (ゆるポタ)
2010-08-25 22:38:28
六むし・・・??

私の地域は、十分な広さの空き地もありましたし、
地域の子供達も、グラブやバットを買える経済力もありましたから(爆)
普通に、野球をやってましたね(^^ゞ
だから、六むしなんて知りません^^;

墓では、遊びませんでしたが、心霊写真撮りには、よく行きましたね(爆)
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Unknown (sugar)
2010-08-25 23:07:36
180度パノラマって不思議な感じですね
大きくして見たらクラッとしてしまいました(^_^;)

運慶作の如来像があるとは素晴しいお寺ですね
しかし誰もおられないとは・・・
この町がとても良い所だという証拠ですね^^

みなさん、六むしに反応されてますね(笑)
私も↑の説明を読んでも??でしたので、
境界線はnasukaさんあたりですね(笑)
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Unknown (nasuka)
2010-08-26 13:56:22
手順はヲアニー先生のおっしゃるのとほとんど同じだと思うんですが、
私たちは、最初に逃げる側(○で書いたベース間を走る側)が、
最初にどこかにボールを打つなり利き手じゃない方で受けて投げるなりして、
オニがそのボールをとり、
ベース間をまたいでオニ同士でキャッチボールし、
それが6往復したら、そのベースにいた人はアウト、というルールもありました。
それで、六むし(6回蒸されるとアウト)と言ってたと思います。
これがベース二つになると「ハサミ」という名称になっていました(笑)
めんこはこちらでは「ぺったい」と言ってましたね~~
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ゆるポタさんへ (ヲアニー)
2010-08-26 19:49:24
「六むし」は、蹴まりとともに公家が遊びに興じていたという
由緒ある遊戯という説もあるのだが、それがなニカッ
まあ、ゆるポタさんが住む地域は、そういうジョ~ヒンな文化はなかったのか(爆)
経済的な豊かさも大事だが、心の豊かさがあのころにはもっとあったような
気がしますね。
あのころも、いじめやいたずらはなかったとは言わないが、六むしの例のように、
奇数が集まっても決して仲間外れにしない、暗黙のルールがあったですね。
もっとも、最近では経済的に豊かの余りカメラや撮影機材の物欲に走り、
記事を書く度にいじめられる方もあるようだが。
(だれだれさんとは言わないが(爆))
まあ、これは買えない者のひがみか(自爆)
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