《落日菴執事の記》 会津八一の学芸の世界へ

和歌・書・東洋美術史研究と多方面に活躍した学藝人・ 会津八一(1881-1956)に関する情報等を発信。

高倉健と救世観音と八一

2019年02月15日 | 日記

明日、216日は俳優、高倉健(1931-2014)の誕生日。彼は八一の歌を好んでいたという。そのことは、田中節夫氏(元警察庁長官)が文藝春秋(健さんと私)に寄せられた文章で知った。

それによると、田中氏と高倉は、平成12年の銃器犯罪根絶のイベントを通して一度だけ会う機会があったという。その後は文通のみであったが親交を深められたようだ。

長官就任直後、警察の不祥事で収拾に追われていた田中氏に高倉から激励の手紙が届き、文中に「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁がず、競わず、随わず、以て大事を成すべし」という清代の曽国藩の言葉が引用されていた。

また映画「あなたへ」の高倉の台本に八一の「あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほゑむ」の歌が書かれていたことをTV番組で知った田中氏もこの歌が好きで、政府の重責にあった際もよく口ずさんでおられたという。この歌は八一が法隆寺の救世観音を詠んだ作品である。

日本を代表する孤高の映画俳優と、警察庁長官といういわば政府の高官が、八一の歌を通じて互いに友情を深め、共鳴されていたというのは何とも興味深い。ある種、斯界の頂点という孤独な位置にいた二人だからこそ、独往を貫いた八一の芸境にシンパシーを感じておられるのかもしれない。

かつて、會津八一を偲ぶ会で田中氏にお目にかかったが、とても温厚そうな方であった。

確証はないが、高倉は、八一の学規「ふかくこの生を愛すべし」「かへりみて己を知るべし」「学芸を以て性を養ふべし」「日々新面目あるべし」にも共鳴していたのではないか。この4箇条は、青年時代の八一が作り、自身の人生の背骨としたものだが、さきの曽国藩の言葉よりも、より高倉の人生にふさわしいものに思われるからだ。