《落日菴執事の記》 会津八一の学芸の世界へ

和歌・書・東洋美術史研究と多方面に活躍した学藝人・ 会津八一(1881-1956)に関する情報等を発信。

博士の愛した中国陶磁@横浜ユーラシア文化館

2019年02月22日 | 日記

横浜ユーラシア文化館で開催されている『博士の愛した中国陶磁』展を見てきた。ちなみに早大生は学生証を提示すれば入場無料になる。

博士とは、會津八一と江上波夫氏を指す。パンフレットの説明書きを引用する。

書家にして歌人、美術史の研究者である會津八一と、東洋史学者であり歴史学を越えて広く人類史をテーマとした江上波夫。二人の博学の士が収集した陶磁器類には、古美術品のコレクターとはまた異なる研究者のまなざしが感じられます。両者の収集品に會津八一記念博物館が収蔵する富岡重憲コレクション(旧富岡美術館収蔵品)の名品を加えて、博士達が愛した中国陶磁の数々から、5000年にわたる陶磁器の変遷を展観しその美と技をご紹介します。

 

早稲田大学會津八一記念博物館の収蔵品では、富岡コレクションは言うまでもないが、八一が集めた唐三彩、古瓦等が展示されていて見ごたえがあった。会津コレクションの青磁、女人像、陶枕等を見ていると、秋艸堂の小さな電飾の元、丸眼鏡の奥の目を細めながら、それらの古物を愛玩していた八一の息遣いが感じられるようである。

 

八一の書では、「学規」、「おほてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへ」、「吾心在太古」、「はるたけしにはのやなぎのはがくれにはとふたつゐてねむるひぞおほき」が展示されていて、八一ファンにとっても見ごたえがある。

これが本展覧会に出展されている「学規」であるが、幾たび見ても、「心のふるさと」ともいうべきものを感じる。

自筆資料


高倉健と救世観音と八一

2019年02月15日 | 日記

明日、216日は俳優、高倉健(1931-2014)の誕生日。彼は八一の歌を好んでいたという。そのことは、田中節夫氏(元警察庁長官)が文藝春秋(健さんと私)に寄せられた文章で知った。

それによると、田中氏と高倉は、平成12年の銃器犯罪根絶のイベントを通して一度だけ会う機会があったという。その後は文通のみであったが親交を深められたようだ。

長官就任直後、警察の不祥事で収拾に追われていた田中氏に高倉から激励の手紙が届き、文中に「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁がず、競わず、随わず、以て大事を成すべし」という清代の曽国藩の言葉が引用されていた。

また映画「あなたへ」の高倉の台本に八一の「あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほゑむ」の歌が書かれていたことをTV番組で知った田中氏もこの歌が好きで、政府の重責にあった際もよく口ずさんでおられたという。この歌は八一が法隆寺の救世観音を詠んだ作品である。

日本を代表する孤高の映画俳優と、警察庁長官といういわば政府の高官が、八一の歌を通じて互いに友情を深め、共鳴されていたというのは何とも興味深い。ある種、斯界の頂点という孤独な位置にいた二人だからこそ、独往を貫いた八一の芸境にシンパシーを感じておられるのかもしれない。

かつて、會津八一を偲ぶ会で田中氏にお目にかかったが、とても温厚そうな方であった。

確証はないが、高倉は、八一の学規「ふかくこの生を愛すべし」「かへりみて己を知るべし」「学芸を以て性を養ふべし」「日々新面目あるべし」にも共鳴していたのではないか。この4箇条は、青年時代の八一が作り、自身の人生の背骨としたものだが、さきの曽国藩の言葉よりも、より高倉の人生にふさわしいものに思われるからだ。

 


奈良の四季

2019年02月11日 | 日記

筝曲の宮城道雄と會津八一はかなり深い親交があった。八一の養女の蘭子が、宮城の弟子だったことから交流が始まったと聞く。

(八一の歌と関係ないが宮城の「ロンドンの夜の雨」という曲は、幾度聴いても胸に喰い入るような名曲だと思う。)

宮城道雄の作品に「奈良の四季」(昭和30年作曲)がある。八一の奈良詠草にある4首の歌に、宮城が曲をつけたもの。

木村園代氏の演奏がyoutubeにあるので、リンクを引用する。

「奈良の四季」(木村園代氏演奏)

はるきぬといまかもろびとゆきかへりほとけのにはにはなさくらしも

【漢字かな交じり表記】春来ぬと今か諸人行きかえり仏の庭に花咲くらしも

【大意】春が来たと、今しもたくさんの人々が行き交う「仏の庭」ともいうべき興福寺の境内に桜花が咲いているようだ。

はつなつのかぜになりぬとみほとけはをゆびのうれにほのしらすらし

【漢字かな交じり表記】初夏の風となりぬと御仏は御指の上にほの知らすらし

【大意】初夏の風となったと御仏(仏像)は繊細な指の上でお感じになっておられるようだ。

いかるがのさとのをとめはよもすがらきぬはたおれりあきちかみかも

【漢字かな交じり表記】斑鳩の里の乙女は夜もすがら衣機折れり秋近みかも

【大意】斑鳩の里に住む若い女性たちは夜通し機織りをしている。秋が近づいた。

 
あらしふくふるきみやこのなかぞらのいりひのくもにもゆるたふかな

【漢字かな交じり表記】嵐吹く古き都の中空の入日の雲に燃ゆる塔かな

【大意】嵐が吹く古都奈良の空、夕暮れの雲に燃えるような薬師寺東塔。

 
あらずもがなの大意をつけたが、八一の歌の音韻の美しさを、木村氏の演奏と歌でご堪能いただきたいと思う。
 
ちなみに八一音韻を初めて追究したのは、文芸評論家の西世古柳平だが、彼については、また稿を改めることとする。