《落日菴執事の記》 会津八一の学芸の世界へ

和歌・書・東洋美術史研究と多方面に活躍した学藝人・ 会津八一(1881-1956)に関する情報等を発信。

伊藤潤一郎氏の『「誰でもよいあなた」へ 投壜通信』について

2024年02月14日 | 日記
新潟県立大の伊藤潤一郎氏の新著に、八一の随筆が引用されていることを知り、さっそく読んでみた。伊藤氏はフランス哲学の研究者であり、なぜ八一に触れているのか、不思議だったのである。
89年生まれということは平成生まれであられるだろう。

引用されているのは、八一の『自註鹿鳴集』の序文である。

およそ文芸に携はるもの、その生前に於て江湖の認識を受くるの難きは、古来みな然り。予齢すでに古希を過ぎたりといへども、今にして之を聞くは、むしろ甚だ早しといふべし。

この一節を引いたうえで、伊藤氏は次のように述べておられる。

「・・・古希を過ぎてもなお社会的承認を得るには早すぎるとみなす八一の姿勢からは、最長でも一〇〇年ほどの人間の一生とは異なる時間が文芸には流れているという認識が垣間見える。ひらがなの分かち書きで奈良を詠った歌人にとって、みずからの筆先が悠久の歴史とつながっているのは、たしかな実感だったにちがいない。」

まさしく伊藤氏の指摘される通りであろう。ただ同時に、八一は「現代に歓迎されざるものが、永遠に伝わるわけはない」(「文化の意義」1946年)とものべ、生前の評価にもこだわる側面もあった。評価され、名声を得たいというより、文学史上における正確な理解を得たいというのが、八一生前の願いであったろう。
愛好にとどまらない、深い理解を今後とも目指していきたいと思う。










会津八一の年末

2023年12月31日 | 日記

一年が終わろうとしている。

昭和21年の暮れ、八一は「盆梅」という歌編(5首)を編んだ。盆梅とは、鉢植えの梅を指すのだろう。

「歳暮新潟の朝市に鉢植の梅をもとめて」との詞書がある。

としゆくとののじるいちのはてにしてうめうるをじがしろきあごひげ

もとめこしひときのうめにひともせばかげさやかなるやどのしろかべ

しろかべにかげせぐくまるひとはちのうめのおいきにとしゆかむとす

おいはててえだなきうめのふたつみつつぼみてはるをまたずしもあらず

いくとせをこころのままにゆがみきてはちにおいけむあはれこのうめ



≪口語訳≫

1首目 年の暮れで騒がしい街路に並ぶ露店の終わりで、梅を売っている老人の白いあごひげよ
2首目 買ってきた一本の梅を置き、灯火を点けると、私の家の白い壁にはっきりと(梅の)影が映る
3首目 白壁に、身をかがめたような一鉢の梅の老木の影が映って、この一年も終わろうとしている
4首目 老いて枝のない梅の木ではあるが、つぼみが2、3個ある。春を待っていないわけではない。
5首目 (この梅は)何年もこころのままに歪んで、鉢の中で老いてしまったのだろう。

八一は、この年の前年の昭和20年に空襲により、家と一生かけて集めた書物を失い、新潟に帰るも、そこでは養女キイ子を結核で亡くした。物資不足で助かる命も助からなかったのだろう。多くの日本人が味わった苦難を八一も経験した。

この歌編「盆梅」には、戦後、少し余裕ができ始めた八一の生活風景が表れているように思う。


伊勢崎文學No.42

2023年12月04日 | 日記
知人のS姉より、『伊勢崎文學No.42』が届けられた。
上州に住んでおられる市井の文学愛好者が挙って力作を掲載している。

S姉は〈悲恋 相馬黒光の息吹〉と題した随筆を載せている。その中で、會津八一を詠った一首がある。

かりそめの恋をも秘めてひとすぢの学芸に生く道人の粋

八一の人生を巧みに一首にまとめられている。長年の短歌修練の成果であろう。

S姉に敬意を表し、高著贈呈に心より御礼申し上げたい。




會津八一を偲ぶ会2023

2023年11月30日 | 日記







 さる11月23日、墓所のある東京練馬の法融寺で、会津八一を偲ぶ会が四年ぶりに行われた。八一が他界した翌年、つまり、昭和32年から行われていた法要が、幾たびかの変遷を経て、発展的に現在の「會津八一を偲ぶ会」になった。

 かつては門弟が集まって先師を偲ぶ法要だったのだろうが、今では、誰もが参加できるミニ学会のようなイベントとなっている。

 ご住職の読経、焼香の後、次の研究発表があった。鈴木勉『会津八一門下生と早大書道会』松山薫『横山有策と会津八一』植竹雄太『会津八一と堀辰雄ー死者からのまなざし』中根広秋『喜多上氏の追悼文集』佐藤宗達『拓本の話』いずれも、歌、書、東洋美術、英文学と幅広く活躍した八一の多面的な魅力に切り込んだもので聞き応えがあった。また複製の八一の色紙や風呂敷などの記念品の抽選会もあり、大いに盛り上がった。参加者は40名弱。











小津安二郎の審美眼@茅ヶ崎市美術館

2023年11月04日 | 日記
茅ヶ崎市美術館に『小津安二郎の審美眼』展を見に出かけた。

小津安二郎の作品『秋刀魚の味』に八一の作品が小道具として用いられていることは、以前書いたが、それをまた見ることができた。

八一の書は、歌集『鹿鳴集』の「印象」の一首であった。印象は中国古代の詩を八一が和歌に翻案したもの。

耿湋作
返照入閭巷 憂来誰共語
古道少人行 秋風動禾黍
八一歌
いりひさすきびのうらはをひるがへしかぜこそわたれゆくひともなし

漢詩は秋のきび畑全体の印象を詠うが、八一は和歌に翻案するにあたり、一陣の風をクローズアップして、静物画的な漢詩を、映像化しており、見事な出来栄えである。


それにしても小津安二郎の本物志向には驚かされる。一瞬映るだけの絵にも大家のそれを使わないと気が済まない巨匠のこだわりはたいへんなものだ。

『小津安二郎全日記』の1953年3月8日の項には、『表具が来て会津八一の軸を持つてくる』との記述があり、小林正樹監督を通じて、八一の作品を手に入れたことがわかる。

茅ヶ崎にはかつて、小津が贔屓にした旅舎があり、その縁で本展覧会を開いたようだ。

かつての茅ヶ崎の海岸が映画のロケ地にも使わらているという。
この茅ヶ崎は、蓼科と並んで小津安二郎の留魂の地なのだろう。













美術館のそばにあるカトリック茅ヶ崎教会。この建物も小津好みだと思う。