一年が終わろうとしている。
昭和21年の暮れ、八一は「盆梅」という歌編(5首)を編んだ。盆梅とは、鉢植えの梅を指すのだろう。
「歳暮新潟の朝市に鉢植の梅をもとめて」との詞書がある。
としゆくとののじるいちのはてにしてうめうるをじがしろきあごひげ
もとめこしひときのうめにひともせばかげさやかなるやどのしろかべ
しろかべにかげせぐくまるひとはちのうめのおいきにとしゆかむとす
おいはててえだなきうめのふたつみつつぼみてはるをまたずしもあらず
いくとせをこころのままにゆがみきてはちにおいけむあはれこのうめ
≪口語訳≫
1首目 年の暮れで騒がしい街路に並ぶ露店の終わりで、梅を売っている老人の白いあごひげよ
2首目 買ってきた一本の梅を置き、灯火を点けると、私の家の白い壁にはっきりと(梅の)影が映る
3首目 白壁に、身をかがめたような一鉢の梅の老木の影が映って、この一年も終わろうとしている
4首目 老いて枝のない梅の木ではあるが、つぼみが2、3個ある。春を待っていないわけではない。
5首目 (この梅は)何年もこころのままに歪んで、鉢の中で老いてしまったのだろう。
八一は、この年の前年の昭和20年に空襲により、家と一生かけて集めた書物を失い、新潟に帰るも、そこでは養女キイ子を結核で亡くした。物資不足で助かる命も助からなかったのだろう。多くの日本人が味わった苦難を八一も経験した。
この歌編「盆梅」には、戦後、少し余裕ができ始めた八一の生活風景が表れているように思う。
かつては門弟が集まって先師を偲ぶ法要だったのだろうが、今では、誰もが参加できるミニ学会のようなイベントとなっている。
ご住職の読経、焼香の後、次の研究発表があった。鈴木勉『会津八一門下生と早大書道会』松山薫『横山有策と会津八一』植竹雄太『会津八一と堀辰雄ー死者からのまなざし』中根広秋『喜多上氏の追悼文集』佐藤宗達『拓本の話』いずれも、歌、書、東洋美術、英文学と幅広く活躍した八一の多面的な魅力に切り込んだもので聞き応えがあった。また複製の八一の色紙や風呂敷などの記念品の抽選会もあり、大いに盛り上がった。参加者は40名弱。
美術館のそばにあるカトリック茅ヶ崎教会。この建物も小津好みだと思う。