カレー屋(EXA)

エキプロ5で遊ぶブログでした。もはやその名残りはほぼない。

音楽は鳴り続ける

2018-10-19 10:10:00 | スポーツその他


ガンダムもSDガンダムも好きだけど、
「SDガンダムフォース」がやってたぐらいの頃って…何だろう。
アニメとかゲー厶とかへの興味がやや薄れて、
…っていうかそもそも受験期だったから見てちゃいけないか。

入試に向けて勉強しなければとか思いつつ、
深夜のフジテレビWWE放送を楽しみにしながら、
ウイニングポストを進める合間に勉強したりしなかったり、
それぐらいの時分になるのでしょうか。

おう。
勉強しろ。

SDガンダムフォースの主題歌だった「♪ココロオドル」が世の中に流れるのを
流行歌としては耳にはしつつ、
どこでどのように流れていたのかは今調べたくらいには知らないままに、
なんとなくの曲の印象と、nobodyknows+というグループ名だけ、
やはりなんとなく覚えていたというのが、
14年前、高校3年生だった自分について振り返ってのところになります。


さて、時は流れて2011年。


震災直後の東日本、爪痕は大きく残り、
電力消費を配慮した中で開催されたユニオンプロレス新宿FACE大会。

オープニングの「♪ユニオンロッカー」を所属全員で歌う素敵空間で始まった興行の第一試合に、
この日私自身にとって観戦の引金となった、
nobodyknows+の一員として“紅白出場歌手”でもある
“プロレスラー”ノリ・ダ・ファンキーシビレサスが、
リングに立っていました。

今改めてこの第一試合のカード
(冨永真一郎&翔太vs澤宗紀&ノリ・ダ・ファンキーシビレサス)を振り返ると、
如何にこの空間に好きなものに溢れまくっていたことに気付かされます。
いや、この空間にあったものが今でも好き、というだけかもしれない。

インディーのお仕事や、当時“プロレス評論家プロレスラー”として
ありとあらゆるところに出まくっていたGENTARO選手のブログ等の媒体を通じて、
ノリ・ダ・ファンキーシビレサス選手が非常に真摯にプロレスに向き合っているということ、
そして、武骨ながらも、繰り出す技に非常に味わいがあることなどを情報としては知っていました。

実際にリングで、チョップ、前蹴り、フルネルソンスラムという
限られた、そしてこだわりの持ち技で戦うその姿を、
(働き始めて間もなくヤベー会社に入ってしまったとダメージを受けて弱っていた)当時の私は、
疲弊した脳裏にしっかりと焼き付けたのでした。



(当時の興行の観戦記録がありましたが、
あまりに当時の心情が殺伐として目も当てられないので消した…
と、思ったらまだ残っていやがった。
大家さんとか呼び捨てで書いてあるしひどい文章ですが、
人間7年くらい立つと少しは人目を気にした文章になるな、
とか、モノの見方捉え方が変化するな、とか、変わらないところは変わらないな、とか思うところもあります。
ただ、絶対探してはならない。)




…さて。

名古屋は今池プロレスを主戦場とするノリ・ダ・ファンキーシビレサス選手について、
私個人の観戦歴の中では、ここから大きく情報に間が開いてしまいます。

再びその姿を目にすることになったのは、つい昨年。
プロレスリングHEAT-UPのシングルリーグ戦“灼熱王”の、決勝進出の報を知ったときです。

兼平大介との決勝に臨んだ6年ぶりにみるノリ・ダ・ファンキーシビレサスの戦いは
それはそれはもう素晴らしく。



3つとって優勝した際には、
まだ直接みるのが2度目なプロレスラーの勝利を、諸手を挙げて喜ぶくらいに。
あの日、新宿FACEでみた武骨さも、こだわりの技構成もほぼそのままに、
新木場1stリングのメインを勝って、他団体で一人で締めるその姿に、
概ね私の語彙は消し飛びました。

ただただ、カッコいい。

偶然にもこの前日からツイートのログを
このブログにアップするようになっていたので、
どういう感想を持ってみていたのか確認できます。
ナイス判断、俺。

11/5(日)のつぶやき その3

11/5(日)のつぶやき その4

11/5(日)のつぶやき その5


基本的に“刷り込み”の強いタイプの人類なので、
最初に好きになったものって、ずっと好きなままで。
だから、大好きだったユニオンに立っていたその姿が、
こうして優勝という結果になって佇む様に、
やっぱりこの人のプロレス、好きだなあ…と、しみじみ思ったり。



ノリ・ダ・ファンキーシビレサス選手の試合をみたのは、これまで全部で三回。

兼平大介選手を相手にベルトを落とすことになった新百合ヶ丘大会ののち、
ほどなくして。

7月18日。

10.19愛プロレス博をもって、ノリ・ダ・ファンキーシビレサス選手が、プロレスを引退することが発表となりました。

灼熱王に輝いた試合で、名古屋で行われている水曜カレープロレスに
“毎週毎週やってくる、何人か”…
つまるところ、名古屋のプロレスを支え続けているファンたちへの想いを述べ、
“その何人か”のために、田村和宏(現・TAMURA)からベルトを奪取し、
名古屋のプロレスを証明したノリ選手。

入江茂弘や彰人、正岡大介、杉浦透などなど、
数多くの有力なプロレスラーを輩出した名古屋の地ですが、
一方で、選手の移籍や離脱、スポルティーバの一時閉鎖など、
おそらく苦しかったであろう名古屋のプロレス事情を、
他の名古屋のプロレスラー、
名古屋のプロレスファンたちとともに支えてきたノリ選手。

そのあたりの事情を顧みると、
やはりどうしても、ノリさんのいうところの“何人か”の心中は、
如何ほどであろうかということについては、
その“痛み”は想像もつかない。

ただ、ノリ・ダ・ファンキーシビレサス選手がいたことが、
この数年の岩本煌史、石田慎也、阿部史典、伊東優作といった、
また新たな魅力を放ち続ける選手たちの成長の土壌を作り上げていたことは、
想像に難くないところでもあります。

彰人選手は、名古屋を離れてDDT所属となる際に、
自身のプロレスラーとしての出自の地を忘れないため、
ノリ選手の入場曲でもある「♪Hero's Come Back!!」を
自身の入場曲として使用しています。
ノリ選手の得意技の一つであるオースイスープレックスは、
彰人選手が、そして阿部史典選手が、
引退発表後、その引退を惜しむようなメッセージ性を以て継承しています。

ノリ選手がプロレスのリングに残したものは、
受け継がれ、紡がれ続けていくこともやはり、想像に、難くない。



10.19の引退が発表になっての、
私個人の行動としては、“まずスケジュールに日程メモって押さえとく”でした。
何故か私にとって名古屋の地って縁遠く、
愛プロレス博も過去何度か見に行きたいと思ったことはありつつも、
結局、足を伸ばさず終い。

でも、今回は、行く。
絶対行く。

…うっかりバスは乗り逃したけども。

必ず、ノリ・ダ・ファンキーシビレサス選手がリングで鳴らす、
最後の“音”を聞き届ける。
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