分離不安障害児のまりちゃん

分離不安障害と診断されたまりちゃんとママの奮闘記。

分離不安障害と言われた日

2010年01月30日 13時24分35秒 | 日記
まりちゃんは、4才。海外暮らしです。
ママのお腹の中にいた数ヶ月を除けば、ずっと海外です。
お腹の中にいた時のことは、今度お話するとして、まりちゃんは、生まれつきとっても神経質で、繊細な子でした。
はっきりと人見知りが始まったのは、生後百日を迎えた日。
ママをいつも追いかけて育ちました。
そんなママも、実は、まりちゃんと同じように、分離不安や、社会不安障害、そしてうつ病などを乗り越えて、ママになったので、
まりちゃんには、明るくて強い子になって欲しかった思いがとても強かったのです。
だから、ママはあえて、まりちゃんを2才で保育園に預ける決心をしました。
2歳の子としては、ごく当たり前の反応で、まりちゃんは毎朝3週間ほど保育園で泣き続けました。
そして、その後、まりちゃんは、元気に登園するようになりました。
3才になると「親友」と呼び合うお友達も2、3人できて、毎日がとても楽しそうでした。
ママはそんなまりちゃんを見るのがとても嬉しかったものです。
英語もどんどん上達し、生意気におしゃまになっていきました。
ところが、4才のある日を境に、まりちゃんは、仮病かと思わせるような症状を訴え始めました。「お腹が痛い」「足が痛い」「気持ち悪いかもしれない」
あまり深刻に捉えなかったママは、そんなまりちゃんを連れて、保育園へ送っていきました。
昼間に先生から電話がかかってきて、
「お母さん、まりちゃんが、お腹が痛いと言って、昼食のお弁当を少しもどしたのですが、迎えにこれますか?」と電話がかかってきたこともありました。
ところが、いざ迎えに行くと、ケロリとしていました。
そして、「お腹が痛い」という日が、日を追うごとに増え、まりちゃんはひどく登園を拒否するようになりました。ママと別れる瞬間は、もう正にこの世の終わりのようです。その症状はおさまるどころか、どんどんひどくなっていきました。
4才の子を力ずくで抑えるのは、心身ともに、ものすごい疲労を伴います。
登園のたびに、引き剥がすようにして、まりちゃんを置いていくしかありませんでした。そんな日が、3週間の夏休みを挟んで、3ヶ月も続いたのです。
そして、幼児教育の経験のとても長い園長先生が、言いました。
「お母さん、まりちゃんは、もしかしたら、『分離不安障害』かもしれませんよ。」
「分離不安障害。。。。」
あぁ、ママはどうして、この日まで、気付かなかったのだろう。
でも、うちのまりちゃんは、元気だし、ママが小さい頃よりずっと、お友達と遊ぶのも上手だった。ただ、人見知りの激しさはママの小さい頃と同じだったけれど。
認めたら楽になるかもしれないママの気持ちと、認めたくないママの気持ちは、数日間戦い続けました。
ネットで分離不安障害や、その他の不安障害についてたくさん調べました。
まりちゃんの症状にとてもよく似ていました。

そして、ある朝、まりちゃんは真っ青な顔で、泣きながら起きて来ました。
「ママ、今日、保育園? まりちゃん、行けない。」
その顔を見て、ママはまりちゃんを保育園に無理に連れて行くことはできないと強く確信しました。
「まりちゃん、今日、保育園行かなくていいから、その代わりに、ママとお医者さんに会いに行ってみようか?まりちゃん、怖かったらお話しなくていいからね。今日は、注射もポンポンもないよ。」
まりちゃんはニッコリ笑って頷きました。
私たちが住んでいる国では、直接、精神科医や心理士さんに会うことはできません。まずは、いつもお世話になっている一般開業医に行くしかありません。
そこで、ママは、まりちゃんの症状を冷静にお話しました。
まりちゃんは、小児専門精神科のお医者さんを紹介されることになりました


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