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CANTUS OMNIBUS UNUS

Cantus popli,cantus mundi.
Cantus omnibus unus.

男声合唱組曲「富士山」―No.140

2009年11月17日 20時10分26秒 | 曲語り

詩:草野心平
曲:多田武彦


やっとのお出ましです。
まぁ、世間一般的には「タダタケ」っていう愛称で親しまれているよね。
一部では「日本のマイケル」とか、呼ばれていませんよ
かすってもいない

さて、曲に関しても作曲者に関しても
ここで私が語れることなんてほとんどゼロですから、
より正確で詳細な情報を求めている人は
ググるなりヤフるなり、知恵ぶくろったりしてくださいね。
さすがにそんなスラングは通用しません

____


取り上げといて何ですが、
私はこの曲だいだいだいっきらいです!!
世間的には「日本人にとって古代から心の基盤であり象徴的存在である富士山、
その美しさ雄大さその他諸々をダイナミックなスケールで描いた歴史的名作」
ってな感じでとらえられている気がしますが
単なる「作曲家多田武彦のSっぷりが遺憾なく発揮された歴史的迷作」です。

その根拠はいろいろありましょうが
何と言っても、五線なんて簡単に越えていく音域の広さでしょうね。
特にトップテノールというパートは鬼でして、
「富士山」の演奏では面白いように彼らが倒れていく様を観察することができます。
早い人は2曲目の途中でリタイアし、以下次々と。
組曲ラストの「だいーしゅうーう~」を歌うころには
パートの1割が生存していれば御の字ですね。
そういう仕組みだから、規模の小さい団体がこれを取り上げるのは止めたほうがいい。
歌い手と客席のためです。

高いといってもファルセットで処理すればそんなに難しくないと思うが、
表現としていまいち。
そのため、無理して喉に負担をかけてAにチャレンジ→ピッチがグダグダ、
というパターンに落ち着いてしまうんですね、はい。

もうこの曲に関してはピッチとかそういうちっこいことはどうでもよくて、
何十人もの野郎共が悶え苦しみながらも、
最終的に歌いきることができればいいんじゃないか、
むしろそのことで得られる一体感とか達成感みたいなもののほうが大事なんじゃないか、
それも含めてこの作品なんじゃないかとか思ったりしなくもないですね。はい。

___

しかし、ただ難しい、キツイ、酷い、というだけの曲なら別に嫌いにならないのです。
この作品の性質の悪いのは
それでも思わず「久しぶりに歌ってみようかな!、今度の演奏会で取り上げてみようかな!」
と思わせてしまうとこにあると思うんですよ。
そういうとこには作品の底力を感じてしまいますね。

ただね、実際の富士山も似たようなもんで
遠くから眺める分にはとてもよろしいのです。
ただしいざ登山だ!となると
もうタダのゴミ山でしかないんですね。そのくせやたら高さはあると。
高尾山のほうが断然、コストパフォーマンスに優れています。
ただ残念なことに私の知る限り「高尾山」という曲は無いんですね。
誰か委託してください。

_____

Ⅰ.作品第壹

―ああ  夢みるわたくしの  富士の祭典―

(草野心平は生涯を通じて富士山を詩に詠み、
「作品第ほにゃらら」とナンバリングしているんだそうです。)

ここでは富士山麓の春の景色に、遥か古代の華やかな春の宴の様子を思い浮かべています。

曲調がわりかしころころ変わり見せ場が多い。
初っ端から飛ばすなぁ、といった感じ(?)


Ⅱ.作品第肆

―川面に春の光はまぶしく溢れ
そよ風が吹けば光たちの鬼ごっこ
葦の葉のささやき
行行子は鳴く
行行子の舌にも春のひかり―

同じく穏やかな春の景色。
まさに春の光のような暖かい長調かと思えば、
どうやら詩人さんの心は「却って物憂く」なっていたようで激しい短調に。
かと思えば少女達が縄跳びをするのを眺めて、
再び穏やかな長調に落ち着いたりしています。
何だ、そういうことだったのか。

違います。たぶん。

Ⅲ.作品第拾陸

―<存在を超えた無限なもの>
<存在に還へる無限なもの>―

副題「黒富士」
難しいです。

これは純正で決まれば本当に格好いい曲だと思う


Ⅳ.作品第拾捌

―どこからか そして湧き上がる
天の楽音―

個人的にはトラウマ曲だったりする。
え、そこでポルタメント?!みたいな


Ⅴ.作品第弐拾壱

―降りそそぐそそぐ
翠藍ガラスの
大驟雨―

副題「宇宙線富士」

冒頭は意外なほど、現代的な臨時記号ばっかりの譜面。
どうせこれがパァーッと盛大になるんだろうなぁと思っていると
「いきなりガッと」その通りになる。
後の展開はもう拍子抜けするほどベッタベタ。

この曲を歌いたがるトップを見ると
「Mなんだなぁ」とつくづく思う。


______


1956年、多田武彦氏26歳の時の作品で、氏の第2作目ということです。
何でも前作「柳河風俗詩」について
師である清水脩氏に
「ダイナミックさに欠ける、声域にとらわれすぎ」
とダメだしをくらったとかで
こういう作品になったそうです。
黒幕ここにあり。

 

今日は本当に適当だ。
病みあがりだから許してください


夢みたものは…―No.100

2009年09月05日 21時54分18秒 | 曲語り

祝100回!

というわけで今回は名曲中の名曲をセレクトしてみました。
特に、最近、混声曲とご無沙汰だったのでこの2曲!

「夢みたものは」、「鴎」。

考えてみれば木下牧子さんの作品も今回がお初ですね。
おそらく国内で最も多くの合唱作品を出版している作曲家。
「地平線のかなた」「方舟」「ティオ」などなど、
邦人合唱曲を代表する作品を数多く、世に送り出しています。
今回の2曲はそのなかでも“超”有名な作品ですよね。

どちらも「演奏会のアンコールや合唱曲の愛唱歌として作曲された小品集」(パナムジカより)である
混声合唱曲集「夢みたものは」におさめられています。
「鴎」はのちに木下牧子アカペラコーラスセレクションにも収録されています。
「夢みたものは」も自分の高校の音楽の教科書にまで載っています。
よく混声合唱団同士での交流会なんかでも歌われてますよね。
まさに愛唱歌、といえる作品だと思います。


<夢みたものは>
詩:立原道造

夢みたものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しずかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

(中略)

夢みたものは ひとつの愛
ねがったものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と―

この抜粋だと内容がないようなものですが(はい、スルー
まずこの立原道造のみずみずしい詩が素敵すぎる。
また木下作品独特のナイーブなハーモニーと旋律が言葉と溶け合って、
冒頭の「夢みたものは」のワンフレーズで泣けます。。

ぱっとみ、それほど難しくなさそうですが、
意外と骨のある曲でなかなか歌いがいもあって、
何だか非の打ち所がないですね。

のちに女声版のほか、男声版もできまして、
願ったりかなったり。
入学式での我が部の演奏に持っていこうかとも思っているのですが、
どうだろう、少し違うかな?

ちなみに有名な話ですが、
作曲家の担当の編集者の結婚式のために書き下ろされた作品。
式での初演は故関谷先生指揮の松原混声合唱団。
どんだけ豪華なウェディングだよw
ゼクシィもびっくり

やっぱり個人的な感情の入った曲ってのは、
より作品としての強度が増している感じがするよね。


<鴎>
詩:三好達治

―つひに自由は 彼らのものだ
彼ら空で 恋をして
雲を彼らの臥所とする
つひに自由は 彼らのものだ

(中略)

つひに自由は 彼らのものだ
一つの星を住みかとし
一つの言葉で事足りる
つひに自由は 彼らのものだ

朝焼けを明日(朝)の歌とし
夕焼けを夕べの歌とす
つひに自由は彼らのものだ―

またこれがいい曲なんだよね、、、
三好達治も結構好きな詩人だね。
詩は戦争の直後に書かれたということですが
繰り返される「つひに自由は 彼らのものだ」には、
理屈ぬきにぐっとくるものがあるです。

「夢みたものは」にしろ「鴎」にしろ、
聴くとホントに心のそこから歌いたくなるよね、
残念ながら実はまだ歌ったことがないという事実(ぉぃ


ま、とりあえずはこれを聴いて我慢しましょ
「鴎」がすごい。




日本の民謡1―No.90

2009年08月22日 09時25分32秒 | 曲語り

記事番号が10の倍数のとき、
出現するかもしれないカテゴリです。
「名曲選」とかいってますが、
その瞬間に脳内リピートしている曲を挙げているだけです。
あんま深く考えてないのだよ。

__


9回目にして松下耕さんの登場ですよ。
パナムジカ販売実績によると
信長人気におされて06年までキープしていた
トップの座から2位になってしまっています。
ですが、合唱指揮者としてのカリスマ性も併せて考えると、
国内で最も支持されている方ではないでしょうか。

指揮と作曲の両方の能力がこんなにも優れている人は、
世界を見渡しても稀有な存在じゃないかと思います。
おまけに50近いとは思えないその風貌とトークで、
全国の学生からは熱狂的な人気を得ているように思われます。

と同時に、作曲家としても指揮者としても(編集者としても)
メタメタに忙しいようで、
私は氏の健康が、私生活が、心配です(w
いや、本当に。

とにかくアクティブな方なので
話題には事欠かないのです。

__

あくまで僕個人が抱いているイメージですが、
「たくさんの顔を持つ」人。

指揮者の顔、作曲家の顔、という意味でもそうだし、
作曲家としての作品にもそれがあらわれています。
本当にいろいろなタイプの曲をお書きになるのです。
一般的に広く歌われる合唱曲もあれば、
現代的な作品だったり、宗教曲だったり、
ポップス作品の編曲だったり
そして、日本の音素材を用いた作品。

個人的にはこのタイプの作品群が
松下作品の中でも(あえて一番を決めるなら)
一番、評価されるべきものなんじゃないかと思います。

個人的には
「間宮作品は民謡に合唱を取り入れた、
松下作品は合唱に民謡を取り入れた」って感じ。
加えて言うと
他の作曲家による民謡のアレンジ、コンポジションは
大和魂を揺さぶる熱い作品であることが多いと思いますが、
松下作品の場合はそれと同時に、Coolな要素も感じられます。
夏に聴きたい民謡作品。

__

そんな作品群の代表である「日本の民謡」シリーズの第一作。
副題は「同声合唱のためのコンポジション」。
どの曲も地味に難しく、それがまた歌い手心をくすぐってくるんですよね。
楽譜の色は赤ですが男声の団もどんどんレパにしてほしい。

,北海盆唄…そのままやけど北海道の盆踊りの唄。
ドリフ世代には有名な曲らしい。ハァ ドウシタ ドウシタ!

,会津磐梯山…福島県の民謡やね。幻想的。
より演奏効果が高い(=難しい)ものに挑戦したければ、
日本の民謡2」を。
初めて見たときはびびった、ちびった。

,八木節…関東の民謡の代表。ソロが粋。
なにコラの演奏でどうぞ。@世界合唱シンポジウム

<!-- 八木節 -->

後に「Yagi-bushi 2005」というものも創られています。
確か何かの賞をもらっていたはず。
__


さてと、今日は“おもちゃ箱”!
再び杉並公会堂です。


男声合唱とピアノのための「縄文」―No.70

2009年07月16日 23時28分29秒 | 曲語り


詩:宗左近
曲:荻久保和明

 

もともと、混声合唱曲として作曲されましたが
後、男声向けに作曲しなおされました。
したがってこの「縄文」の原点は混声版にあるはずなのですが
個人的には男声版、もといワセグリ版が
最も「縄文」らしく思われます。
一種の泥臭さ、狂気が無いと「縄文」の音は出ないと思う。


縄文人は
紀元前3世紀頃、突如大陸からやってきた弥生人に
一方的に征服・駆逐されたという。
その不条理な終末を戦争における「死」と重ね合わせ、
そしてそこに生まれる『縄文人のどうしようもない祈り』、
これが封じ込められた作品が「縄文」であるという。

それは演奏者にとっても、聴く者にとっても
たいへん厳しい音楽だけども
厳しさ、激しさの中に美しく哀しい「鎮魂」に満ちているのである。


1.透明
―はじまる 物語が夢に―

「夕日が沈み」、「光が溶け」、
闇を予感させつつ、
それでもまだ激情は包み込んだまま、
はじまりは静かに告げられる。


2.曙
―闇が火を噴いて沸っていた
魂は浮かんだり沈んだりした―

炎で描かれる情景は凄惨で、
そこにあるのは絶対的な悲しさ、美しさ。

―魂はただ浮かんだり沈んだりした
地球に落ちない前の曙のように―

3.行進
―きみたち行進する
土偶たち行進する―

重厚なのだけども、どこか軽薄な響き、
諧謔的な表現、の中に
「波」打つ行き場の無い怒り、『波のない波を波立たせて』

―おれたち行進する―

そしてたまった『波』は、『はじけ』る

―夢の底なんかであるものか―


4.波の墓

―光りに風を 風に光りを
突きぬけさせて死んだ稲妻―

はじけた波、「縄文」の墓場。
縄文の魂は互いに「ゆれあって」、「溶けあって」、
「きらめきあって」、「砕けあって」…
うめき、もがき、それでもなお「生」に醜くしがみついて。
「墓」は決して彼らをきれいに鎮めさせようなんてしてくれず。
彼らをを彼らの「祈り」のままに暴れさせ、狂わせ、、、

―燃えない炎の波 化石しない炎の墓
透明なときの波 縄文の破片の墓― 

 

 

 

 

…やっぱり、この曲を言葉で表そうとするのは困難ですね。。
こんな文章じゃ不完全にもほどがあるので
またいつか追補しようと思います


低俗な言葉になってしまうけど
本当にこの曲、かっこいい。

この曲に限らず荻久保作品は
こういう「かっこよさ」にあふれていて大好きだ。

「縄文シリーズ」だけでも、
「縄文」「縄文“詩篇”」「黙示録縄文」の縄文三部作。
そして番外編として「JOHMON」「縄文“愛”」「縄文ラプソディー」
他に関連作品の「ミサ曲第四番“炎上” 」「炎える母」。
編成の区別をしていないので正確にはもっとたくさんあります。

「縄文」以外にも「季節のまなざし」「In Terra Pax」「しゅうりりえんえん」…
いずれも作曲者の「命」に対する鋭く厳しい感覚が存分に発揮されている。

作曲者自身も激しい方で荻久保作品そのもの。
有名な話ですね。

個人的には邦人合唱曲史において三善晃と並ぶ偉人じゃないかと。

昨年、行われたワセグリ100周年記念演奏会での
荻久保氏のインタビューが下記リンクにアップされています。
他にインタビューされている方々も大変豪華ですし、
インタビュアーもワセグリの大物OBばかりで大変興味深いです。
http://www.wgc100.com/int/ok01.html

 

幸いにも明日の記事でも「縄文」のことを書けそうです。
お楽しみに。


合唱のためのコンポジションⅢ―No.50

2009年06月18日 22時19分39秒 | 曲語り

祝50回!
よくぞこんなものが50回も続いたものです(笑)
ありがとうございます!m(_ _)m

こういう節目の時には
それこそ「水のいのち」みたいな
超有名曲を取り上げるべきでしょうが、
私、天邪鬼なので…


作曲:
間宮芳生

まちがいなく最も好きな作曲家の一人。

伝統音楽を題材にした合唱曲は数あれど、
間宮作品ほどその素材に寄り添って
つくられている作品は無いと思う。
民謡をはじめとする伝統音楽を合唱曲にしようというのではなく
あくまで合唱という形態を利用して
その伝統音楽に命を吹き込みなおそうという
狙いが感じられるような気がします。

特に「合唱のためのコンポジション」シリーズ(現在、全17作)は
そういう意味で芸術的価値のとても高いものです。

コンポジションは「構成」という意味を持ちますが、
様々な伝統音楽の断片によって構成された
めちゃめちゃ独創的な世界が広がっています。
編曲:間宮芳生、ではなく
作曲:間宮芳生であるのもうなずけます。

独創的な分、譜面はサディスティックというか(笑)
アマチュア泣かせですね。苦労してます。

Ⅲは日本各地の民謡から構成されています。
囃子言葉や掛け声、口唱歌だらけなため、
ただ叫んでいるようにしか聞こえないかもしれませんが(笑)

第1章 艪

―【音頭取り】オヒコ 【受け声】オヒコ
    〃  ソラエ    〃  オヒコ―

秋田のハタハタ漁の漁師に歌い継がれているハタハタ唄が素材。
「艪」とは舟をこぐオールのようなもののこと。
ハタハタ漁は網を海中に仕掛けておこなうのですが、
網の仕掛けのために舟を漕ぎ出していく掛け声が
冒頭の「おーひこー」なんですね。
ちなみに「ヨーイコーラ」の転訛だそうです。
そして中盤の「アラドッコイドッコイショ」は
仕掛けた網を引く作業の際の掛け声をさしています。
ひととおり漁をしおえると舟はまた「オーヒコー」といって
遠ざっかていくのです。。

とにかくSoliがカッコイイ曲☆


第2章 かっこ

―九つ、黄金の蔵主さまは、四十四・五とも見えるとサ
センヤ、ハン、サンサ、コロリンサ―

タイトルが変換できません(汗
雅楽や能楽などで使われる鼓の一種です。
よって曲中にはたくさんの口唱歌がちりばめられています。
昔の日本にはいわゆる楽譜はなかったので
このように口伝えで太鼓や篠笛をはじめとする
楽器の演奏法やリズムを伝承していたんですね。
いまでいうボイパみたいなものです
(それは違うかw)
他に福島県の田打ち唄と奥多摩の鹿島踊りの曲が主題に採られています。
ハーモニー的には西洋音楽のものなので
うまく、音がきまればとてもよくハモる曲です。
しかしそれは至難の業。難曲です。


第3章 引き念仏

―エー、なー、むー、あー、みいー、だー―

岩手県の念仏踊り「鬼剣舞」が素材。
念仏なので「南無阿弥陀仏」と唄っています。
曲中出てくる言葉はこれのみで、
あとはすべて口唱歌と囃子言葉です。
バリトンに見せ場が多いので最も好きな章ですね。
トランス状態に陥りやすい曲。

_______

あまり解説になっていませんが…(汗
でもこのような予備知識を知っておくと
実際に演奏を前にしたとき、
大分、捕らえ方が変わってくると思います。

それでも始めて聞く方は大体、腰を抜かします。
その後、「すげぇ…」と思うか
「こんなの音楽じゃない…!」と思うかは人それぞれ。
ただ、好き嫌いの分かれる曲ではありますが、
名曲である事はまちがいないです。

今回は敢えて音源は無し。
正直、ピッチと節回しを両立した演奏が
あまり無いというのもありますが…(難曲~)
6月27日、聴きにいらしてほしいからです!
興味のある方は是非!

___________

ところで今日は栗友会ろくもんめコンサート

…行き忘れた~~!
結構、前からチェックしていたのですが。。
明日だと思っていました。。
ななもんめは絶対、行きたいところです。