あの日から5年が過ぎました。
被災地でも復興に差が出ているようです。
全体が同じスピードで前に進むわけもないので仕方ないのでしょうが、ちょっと不公平な気がします。
最近になって、ようやく震災について少しずつ消化できてきたように思います。
やっと震災に関わる話や怪談を書いたりできるようになりました。
関西に住んでいると震災について考えない毎日が当たり前になる。
夢だったんじゃないかと思うことすらある。
まぁ、本当にそうだったらいいのですが。
失くしたものが思ったより大きかったということに、改めて気がついたように思います。
直接被災した方は前を向いて進まざるをえない。
それが現実なのだから。
被災地に縁もゆかりない方は純粋に応援することができる。
良い意味での客観性があるから。
被災地出身で外に出た私はどちらにもなれない。
とても中途半端なのです。
それは津波に持っていかれた街が自分にとって現実の街ではなくて、思い出の中にある街だったからなんだろうと思う。
現実の街が復興していったとしても、思い出の街が元に戻る訳ではないのだ。
新しい街は私の知っているあの街ではないのだから。
中途半端な立場な人間の心の整理が、なにより一番大変なのかもしれませんね。
あの日、流れてくる映像を見続けることしかできなかった。
今でも映像を見ることだけはするようにはしている。
きっとそれは外に出た者の務めなのだから。
私には何ができるのか。
時が経つにつれわからなくなってきている。
そしてあのときの私に何ができたのか。
多分、答えは一生出てこない。
早く「被災地」と呼ばれなくなりますように。
早く帰りたい場所へ帰れますように。
早く思い出の街を思い出せる環境ができますように。
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