その昔、とても内気な女の子がいました
彼女には、実はひそかに思いを寄せる男性
がいて、でも
優しくて明るくて、他にもそんな彼を好きだという人は
何人かいたので、はっきり思いを告げられませんでした。
でも彼の方も、そんな彼女の気持ちに気づき始め、
なんとなく気になりかけていました
ある日、いいタイミングで二人が話すきっかけができたそのときです
『積極的な美人』登場
積極的プラス気が強い彼女は、
内気な彼女が一緒にいるところをみてやきもちを焼き、
「あなた、なにやってるのよ!」と、彼女を軽く突き飛ばしました
そしてそのグラついた彼女をみた時、彼は決めたのです。
「この子は僕が守ってあげなければ・・・
」
それから二人はめでたく結婚して、幸せに暮らしたとさ・・・。
たぶんね(笑)
現在進行形なので、本当の最後は分からないけど、
本当にあった、知り合いの「なれそめ話」です
ゆっぴーさ~ん!メッセージありがとうございました
がっかりさせちゃったかなぁ(笑)
そう、意外でしたよね?『ALL OF ME』の訳詩は
あの聴きなれたメロディーは、実はそうだったんですよ・・・。
でもね。「積極的
」とか「ポジティブ
」とか、
もちろんそれも清清しくてさわやかでいいイメージもあるけど、
果たして、それがすべてなんでしょうか?
私はどちらかというと、いつまでも周りがイライラするくらい
モジモジいいたいことが言えないタイプで、
「はっきりしろー!」といわれる、いわゆる自信満々とは
かけはなれた性格なんです
だから、ゆっぴーさんが
「優しくしてもらっても自分に自信がないので不安がいっぱい。
積極的な美人が現れるとハラハラしてしまうのです。」
っていう一文を読んだだけで「あぁ~、なんかわかる~
」
と思ってしまいました。
でも、そんなに自信満々で不安がない人がいいのでしょうか?
「美人」や「かっこいい」とかいうのも、
なんだか具体的なようでそうじゃなかったりしませんか?
人によっても、また国によっても、たとえばハワイとかは
美人の条件が、やせている女性よりもふくよかな女性の方が
いいとされているように、普段の生活の中で、
言葉や考え方のトリックで、自分で自分を追い込んでしまっている部分て
誰でもあるような気がします。
そのトリックって、やっぱり
「意味のない他人との比較」ではないでしょうか?
「あぁ、もうちょっと目が大きかったら
」
「もうちょっと背が高かったら
」
「もっと勉強ができていたら
」
などなど、何気なく他人と比べているから、
勝手に自分のコンプレックスで苦しくなってる。
でもね、私、そういう不器用な人、結構人間らしくて好きです(笑)
自分がそうだからから都合よく解釈しているのかなぁ・・・。
ちょっと矛盾しているけど、でも、
昔はもうちょっと違ったような気がします。
『あいまいさ』『本音と建前』『はじらい』・・・。
これらが、お互いがコミュニケーションしていく上で、
もしかしたら他の国にはなかった、
相手を思いやる「気遣いの文化」を守ってきてくれていたのではないかと、
ふと、考えるときがあります。
しかしもう、現代社会の中では死語になりつつあるようなこの言葉。
「日本人はイエス・ノーが言えない!」と外国から言われて、
「そうですね、ではこれからは言いたいことははっきり言いましょう。」
とすんなり受け入れてしまったことに、それでよかったのか?
と思ってしまうのです
私が小さい頃は、ちょうどその考えの切り替え時期だったのか、
「これからの時代、物事のYES、NOが、すぐ、はっきり
主張できることが大事なんだ!」というような考え方が流行しはじめ、
ただでさえノロかった私にとってはものすごくプレッシャー
を
感じていたのを覚えています。
もちろん、『あいまいさ』や『本音と建前』『はじらい』を失くせば、
物事の方向性がはっきりと決まり、その分、
悩んだりする「無駄な時間」もなくなり、
「合理的」でいい部分もあるかもしれませんね
でも、なぜ悩むのか?なぜ、答えを出すのに時間がかかってしまうのか?
それを考えたときに、昔はもうちょっと、
「今こんなこと言ったら、相手は傷つくんじゃないかな?」
「前回会ったとき、あのこと気にしていたから、
同じ事を伝えるにも、なにか違う言い方をしたほうがいいかな?」
「こういう席で自分がこう発言したら、相手に恥をかかせないかな?」
などど、目の前にいる「相手に気遣う時間」が
あったように思うのです。
自分の意見だけをただ思うが侭に言うことが立派なら、
逆にこんな楽なことはないと思います。
ただ思っていることを言えばいいんですから。
でも、一人では絶対に生きていけないと知ったとき、
ストレスを与える相手も人間ですが、
それを癒してくれるのも人間だとおもえば、
その悩む時間は、果たして無駄なことなのか、
もう一度、考え直したい気がします
話はちょっとずれているかもしれませんが、
要するに、コンプレックスをもっていたり、
でもそれもそう見えないように一生懸命、
陰で努力して隠したり、
周りからどんなに自信があるように見える人でさえも、
もしかしたら実はぜんぜん自信がなかったり、
それがまわりからどう見られているかの実態が、
他人からみて見えやすかったり、
見えにくかったりしているだけで、
そんなつまらないことに日々悩んだり、振り回されたり
している人がほとんどなんじゃないんですかね~?
自分は弱い、とか、自信がないな、と思っている人は、
逆に相手を傷つけるようなことをしないと思うから、
いい意味での「スキ」があって、一緒にいると
なんだかホッ
とします。
いつでも自信満々でおまけに美人!仕事は出来るし料理もプロ級!
その上、スポーツも出来て、誰からも好かれて性格がいい!なんて、
理想だし、素晴しいけど、やっぱりそんなみんな強くないから
多少「スキ」があったほうが、それも魅力になって、
そのまんまでも十分よかったりするんじゃないのかなぁ。
自分の弱さを都合よく言い訳していたら長くなっちゃった
でも大丈夫!だから音楽があるんだし!
長くなって、みなさんすみませんでした

彼女には、実はひそかに思いを寄せる男性

優しくて明るくて、他にもそんな彼を好きだという人は
何人かいたので、はっきり思いを告げられませんでした。
でも彼の方も、そんな彼女の気持ちに気づき始め、
なんとなく気になりかけていました

ある日、いいタイミングで二人が話すきっかけができたそのときです

『積極的な美人』登場

積極的プラス気が強い彼女は、
内気な彼女が一緒にいるところをみてやきもちを焼き、
「あなた、なにやってるのよ!」と、彼女を軽く突き飛ばしました

そしてそのグラついた彼女をみた時、彼は決めたのです。
「この子は僕が守ってあげなければ・・・

それから二人はめでたく結婚して、幸せに暮らしたとさ・・・。
たぶんね(笑)
現在進行形なので、本当の最後は分からないけど、
本当にあった、知り合いの「なれそめ話」です

ゆっぴーさ~ん!メッセージありがとうございました

がっかりさせちゃったかなぁ(笑)
そう、意外でしたよね?『ALL OF ME』の訳詩は

あの聴きなれたメロディーは、実はそうだったんですよ・・・。
でもね。「積極的


もちろんそれも清清しくてさわやかでいいイメージもあるけど、
果たして、それがすべてなんでしょうか?
私はどちらかというと、いつまでも周りがイライラするくらい
モジモジいいたいことが言えないタイプで、
「はっきりしろー!」といわれる、いわゆる自信満々とは
かけはなれた性格なんです

だから、ゆっぴーさんが
「優しくしてもらっても自分に自信がないので不安がいっぱい。
積極的な美人が現れるとハラハラしてしまうのです。」
っていう一文を読んだだけで「あぁ~、なんかわかる~

と思ってしまいました。
でも、そんなに自信満々で不安がない人がいいのでしょうか?
「美人」や「かっこいい」とかいうのも、
なんだか具体的なようでそうじゃなかったりしませんか?
人によっても、また国によっても、たとえばハワイとかは
美人の条件が、やせている女性よりもふくよかな女性の方が
いいとされているように、普段の生活の中で、
言葉や考え方のトリックで、自分で自分を追い込んでしまっている部分て
誰でもあるような気がします。
そのトリックって、やっぱり
「意味のない他人との比較」ではないでしょうか?
「あぁ、もうちょっと目が大きかったら

「もうちょっと背が高かったら

「もっと勉強ができていたら

などなど、何気なく他人と比べているから、
勝手に自分のコンプレックスで苦しくなってる。
でもね、私、そういう不器用な人、結構人間らしくて好きです(笑)
自分がそうだからから都合よく解釈しているのかなぁ・・・。
ちょっと矛盾しているけど、でも、
昔はもうちょっと違ったような気がします。
『あいまいさ』『本音と建前』『はじらい』・・・。
これらが、お互いがコミュニケーションしていく上で、
もしかしたら他の国にはなかった、
相手を思いやる「気遣いの文化」を守ってきてくれていたのではないかと、
ふと、考えるときがあります。
しかしもう、現代社会の中では死語になりつつあるようなこの言葉。
「日本人はイエス・ノーが言えない!」と外国から言われて、
「そうですね、ではこれからは言いたいことははっきり言いましょう。」
とすんなり受け入れてしまったことに、それでよかったのか?
と思ってしまうのです

私が小さい頃は、ちょうどその考えの切り替え時期だったのか、
「これからの時代、物事のYES、NOが、すぐ、はっきり
主張できることが大事なんだ!」というような考え方が流行しはじめ、
ただでさえノロかった私にとってはものすごくプレッシャー

感じていたのを覚えています。
もちろん、『あいまいさ』や『本音と建前』『はじらい』を失くせば、
物事の方向性がはっきりと決まり、その分、
悩んだりする「無駄な時間」もなくなり、
「合理的」でいい部分もあるかもしれませんね

でも、なぜ悩むのか?なぜ、答えを出すのに時間がかかってしまうのか?
それを考えたときに、昔はもうちょっと、
「今こんなこと言ったら、相手は傷つくんじゃないかな?」
「前回会ったとき、あのこと気にしていたから、
同じ事を伝えるにも、なにか違う言い方をしたほうがいいかな?」
「こういう席で自分がこう発言したら、相手に恥をかかせないかな?」
などど、目の前にいる「相手に気遣う時間」が
あったように思うのです。
自分の意見だけをただ思うが侭に言うことが立派なら、
逆にこんな楽なことはないと思います。
ただ思っていることを言えばいいんですから。
でも、一人では絶対に生きていけないと知ったとき、
ストレスを与える相手も人間ですが、
それを癒してくれるのも人間だとおもえば、
その悩む時間は、果たして無駄なことなのか、
もう一度、考え直したい気がします

話はちょっとずれているかもしれませんが、
要するに、コンプレックスをもっていたり、
でもそれもそう見えないように一生懸命、
陰で努力して隠したり、
周りからどんなに自信があるように見える人でさえも、
もしかしたら実はぜんぜん自信がなかったり、
それがまわりからどう見られているかの実態が、
他人からみて見えやすかったり、
見えにくかったりしているだけで、
そんなつまらないことに日々悩んだり、振り回されたり
している人がほとんどなんじゃないんですかね~?
自分は弱い、とか、自信がないな、と思っている人は、
逆に相手を傷つけるようなことをしないと思うから、
いい意味での「スキ」があって、一緒にいると
なんだかホッ

いつでも自信満々でおまけに美人!仕事は出来るし料理もプロ級!
その上、スポーツも出来て、誰からも好かれて性格がいい!なんて、
理想だし、素晴しいけど、やっぱりそんなみんな強くないから

多少「スキ」があったほうが、それも魅力になって、
そのまんまでも十分よかったりするんじゃないのかなぁ。
自分の弱さを都合よく言い訳していたら長くなっちゃった

でも大丈夫!だから音楽があるんだし!
長くなって、みなさんすみませんでした

読んでいて涙が・・・
私ね、子どもの頃から精一杯努力するんですが、
イマイチ成果が出なくって自分に満足出来ないまま大人になっちゃったんです。
だから、コンプレックスだらけ!
でもね、りえさんのコメントを読んで、なんとなく安心しました。
『スキ』だと考えていきたいと思います。
ちょっとスキだらけだけど・・・ネ!
例えにしてくださったお二人、幸せですね!
「僕が守ってあげなくては・・・」
お互いにお互いを大切に思いやり守ってるって理想的でステキですよね。
私も時々思い出す言葉が、それは、
「・・・ほっとけなくってね。・・・」
っていう言葉なんです。
初めて二人っきりになった時の短い会話の中で、
私に言ってくれた言葉なんですが、忘れられなくて。
今だにですが、友人知人が多く慕われているため
周りの人たちは、みな話しこんでいるんです。
邪魔をしたくなくって、いつも遠くにいる私。
せっかく二人っきりになっても言葉が思うようにでなくって、
たぶん、私のこと何を考えているのか分からなくてイヤだろうなって。
そんなふうに考えていたんですが、ちょっと考え方を変えてみます。
ほんとにありがとうございます!!!