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高校「倫理」の授業録

高校「倫理」の授業で喋った与太話集。

【第7回】プラトン①

2017年06月15日 | ギリシアの思想
ホワイトヘッドという現代の哲学者がいうには、「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」ということです。
はい。
というわけで、今回は西欧哲学最大の哲学者といってもよいプラトン(B.C.427-B.C.347)です。

彼は当初政治家を志していたのですが、28歳の時に、兄のアデイマントスとグラウコンとともにつきあいをもっていたソクラテスが死刑に処されたことに衝撃を受け、やがて哲学者としての道を歩むようになった人物です。

ソクラテスは自分の思想を何も書き残さなかったけれど、プラトンがそれを書き残したということは以前話したよね。
そうなると難しいのは、どこからがソクラテスの思想で、どこからがプラトンの思想なのか、という問題だ。
いちおう、研究上はプラトンの著作は前期・中期・後期に分けられており、前期の著作にソクラテスらしさが色濃く表れているとされているんだ。
最初は、師匠ソクラテスの思い出を、ただただ書き残そうと思ったのかもしれないね。
でも、少しずつ思い出の中の師匠と思考の対話をしながら、プラトンはソクラテスが述べなかった論理を自分なりに見出していったんじゃないかな。
だから、どこからソクラテスの思想かという区分は、実はあまり意味がないのかもしれない。

それでもあえて違いを意識するのだとすれば、ソクラテスが問答法によって相手を「無知」の困惑に陥らせるばかりで、自らはほとんど答えを示さなかったのに対し、プラトンはその答えを明示することができたという点だろうね。

たとえば、『メノン』では「徳は教えられるか」という問いに対して問答を重ねるうちに、ソクラテスは相手を無知の困惑に導きながら、そもそも「徳とはなにか、ぼくにもわからないのだ」と告白している。
それに対して問答相手のメノンは、「おやソクラテス、いったいあなたは、それがなんであるかが、あなたにぜんぜんわかっていないとしたら、どうやってそれを探し求めるつもりですか?」と逆に問い詰められる場面があるんだ。
すると、ソクラテスは、既に「知っているもの」は探求する必要がない以上、を探究することはありえないが、同時に「知らないもの」についても何を探究すべきか知られていないのだから、それもまた探求することもあり得ないという「探求のパラドクス」を示した上で、次のように説明する。
魂はなんども生まれ変わる不死のものであるが、その過程ですっかりあらゆることを学んでしまっている。
「徳」もその一つだから、それを学ぶということは、実は魂の中にあるものを「想起する」ことであり、それを思い出させるのが問答法なのだというわけです。
たとえば、僕らは自分で時計をもっていたことはわかっているけれど、しばらく使わないでおいたら、それをどこに置いたか忘れてしまって思い出せないという経験があるよね。
だからその時計を探し出そうとすることができる。そもそも時計をもっていないどころか、それが何かを知らなかったら探そうなんてことも思いつかないでしょう。
「徳」というのもそのようなもので、たしかに魂の中に刻まれているんだけれど、生まれかわる過程で忘れちゃった。
でも、忘れているだけで、それがどんなものであったのかは、問答によって魂から引き出すことができる。
これが「想起説」(アナムネーシス)というやつだ。
『メノン』の中では、そのことを数学も何も知らない奴隷の少年をソクラテスが問答しながら、少年が自ら幾何学の正答を導き出すエピソードを紹介している。
まぁ、「魂の生まれ変わり」という点はちょっと待てよと思うけれど、この想起説というのはよく考えるとうまくできている話でもあるんだ。
たしかに、まったく知りえないものだったら、僕らはそもそも探そうとすることもないからね。
だから、完全にわかっていないんだけれ、存在していることを直感させる何かがある。
それをプラトンは(もちろん著作ではソクラテスに語らせながら)、「ものそのもの」と言っている。
ソクラテスは「〇〇とは何か?」と問うたけれど、それに対応するのが「〇〇そのもの」というものだ。
プラトンはこれを「イデア」(真実在)と名づけた。

これを考える上でいつも君たちにやってもらっていることがあります。
これができたら1学期の成績は「5」をあげますよ。
それは「完全な直線」を書いてほしいというものです。どんな道具を使ってもいいですよ。
挑戦者は?ハイ、そこの君!どうぞ!

できた?
なるほど、きれいな直線ですね。
でも、これじゃあ、不十分ですね。僕は「完全な」といいましたよ。
え、何が不十分かって?
だって、これは細い長方形ではないでしょうか。
どんなに細く描いたとしても、この現実世界では不完全なものになっちゃうよね。
え?これじゃ、どんなに直線を精確に描いても正解はないじゃないかって?詐欺だって。はい、そのとおり、どのみち」「5」はあげられないという意味ではそのとおりです。ごめんなさい。
まぁ、それでも今体験してもらいたかったのは、まさに現実に書き表そうとすると、途端に不完全になってしまう直線って、じゃあなんなの?ということを考えてもらいたかったからです。
あらためて聞くけれど、「直線」って何?
数学ではどう教わった?
生徒:「二点間を最短で結ぶ線。」
そうですね。厳密にいうと、それは「線分」なのですが、まぁひとまずはそれでよしとしましょう。細かいことは数学の先生に聞いてね。
ここで確認しておきたいことは、一口に「直線(分)」といっても、感覚できる世界で表現すると不完全なものばかりになってしまい、一つとして同じものはないという点です。
そうであるにもかかわらず、「直線そのもの」はある。
そして、厳密な数学の定義はおくとして、さしあたり「二点間を最短で結ぶ線」と言葉で定義できるわけだ。
こうした言葉で定義されるものが、イデアであると言っていいでしょう。

そして、プラトンは「正義」や「美」といった概念についてもこうしたイデアが存在するというんだ。
くり返し言うように、重要なことは、それは感覚されるものではなく、それを超えた存在であり、それをつかみ取ることができるのが理性の眼だということだ。
これをプラトンは理性でしか捉えられないイデアを「真理」とし、身体の五感で捉えられるものは「まがい物」に過ぎない「現象」だというわけです。
感覚が認識を惑わす例って、何か挙げられるかな?
生徒:錯覚なんかそうじゃないですか。鉛筆を振ってみると曲がって見えるというやつとか。

なるほど、おもしろいね。実際は鉛筆は曲がっていないのに、振ってみるとそうみえるというやつね。
これは目が鉛筆の動きについていかないために生じる錯覚だよね。
この種の錯覚はたくさんあるよね。
水に棒を突っ込んでみても屈折して見えるし、君たちの10代の耳には聞こえても僕のように40代の耳には聞こえない音の周波数っていうのもある
感覚って不思議だよね。
でも、それは豊かさを与えるものでもあると思うんだよね。
いきつけのインド料理店のマスターは、人間が味わうための感覚には味覚と嗅覚と視覚以外にもう一つあるというんだ。
何だと思う?
それが指で味わう触覚だというんだ!だからインド料理は本来右手でつまみながら食すでしょ。
指先で味を感じるなんて信じられないかな。
でも、それは僕らの文化にもありますよ。
そう、お寿司やおにぎり。
今でこそ寿司を箸で食べる人も増えましたが、寿司屋の職人さんによってはそれをたしなめる人もいたそうです。
おにぎりだって、せっかく握ったものを箸で種たら、別の味わいがしませんか。
だから、感覚や感性の豊かさはそのまま世界の豊かさにつながるんだと思う。
このことは、視覚障碍者や聴覚障碍者の世界が貧しいなんてことは、まったく意味しません。
むしろ、目が見えないことや耳が聞こえないことが別の感覚を研ぎ澄ますことで、見えたり聴こえる人には認識できない世界の感受の仕方があることを、ディドロの『盲人書簡』という本は明らかにしています。

それでも、プラトンは感性や感覚を徹底して貶めて、理性と感覚に優劣をつけたんです。
これは、彼が理想のイデア界と現実の現象界に分けた二世界説という考え方にも対応しています。
よく理想の愛を「プラトニックラブ」と言いますが、これがプラトンから来ていることはよく言われることですね。
逆に言えば、理想の愛は現実二は存在しないということにもなります。
どんなに猛烈な恋愛経験をしても、悲しいかな、しばしば時とともにその情熱は失われていく場合が少なくありません。
場合によっては、信じられないほど愛し合っていた二人が別れるなんてこともあります。
だから、「今が幸せ」だからといって、現実にあまり期待しない方がいい。
むしろ、現実があまりに悲惨だからこそ、人間は理想に憧れるものなのでしょう。
プラトンの場合、「知への愛(エロス)」を原点としたイデア界へのあこがれであり、そのあこがれが知を愛する哲学の原理であるというんだ。

じゃあ、感覚を超えたイデア界って、どんな世界なのだろう?
そうだね。
身体を必要としない以上、それは死の世界だね。
ソクラテスの死を描いた『クリトン』や『パイドン』では、しきりにソクラテスが死は害悪ではないことを述べているけれど、それはこのプラトンの思想と結びつけて語らせているのでしょう。
そこでプラトンは、死の世界に赴くためには真理を理性でつかみ取る哲学の方法が大切だといい、だから「哲学は死のレッスンだ」とまでいっているんだ。
だから、彼はそのモデルとなる数学を重視しているんだよね。
数学は究極的には五感を必要としなくてもアタマの中だけで答えを導き出してしまえる学問だからね。

さて、プラトンは感覚や感情を貶め、イデアを認識することがすぐれているという二分法を打ち立てました。
この根本には、やはりソクラテスの刑死という出来事の経験が暗く影を落としていると思われます。
次回はそのことについて扱いたいと思います。

【第6回】ソクラテス②-ソクラテスの死

2017年06月13日 | ギリシアの思想


これは有名なダヴィッドの「ソクラテスの死」という絵画です。
一度は見たことがあるかな。
この作品は1878年に制作されたものですから、もちろん実際の場面を見て描かれたわけではありません。
でも、さすがダヴィッド、臨場感に満ち溢れていますね。
え?
ソクラテスは死刑になったって前回言ってたじゃないかって。
そうですよ。でも、古代アテネの裁判や死刑の方法は今と同じわけではない。
裁判はアテネ市民から選ばれた500人の裁判員と市民を前に弁明の演説を行い、多数決によって判決が下される。
そして、ソクラテスに下された死刑の方法は、ドクニンジンを自ら服用するものだった。
それにしても、たしかに悲しみに満ち溢れているけれど、この絵を見る限りは友人たちと別れを惜しめるなんて、ずいぶん悠長な死刑だよね。
実際、通常だったら判決後に即刻処刑されるところだったんだけれど、この時期にアテネ人はデロス島に宗教上の務めで船を送らねばならず、この期間は一切の処刑が停止されていたことから、ソクラテスは有罪判決を受けてから一月も牢獄で過ごすことができ、そのあいだ弟子たちと様々な問答を交わすことができたらしいんだ。
それにしても、裁判から死に至るまでのソクラテスの言動は、やっぱり奇々怪々だった。

まず、この裁判では裁判官に懇願すれば無罪評決を得られたかもしれず、有罪となってもポリスからの追放刑を申し出れば、それが選択されただろうと言われている。
だが、彼は死刑を受け入れた。
しかも、死刑執行前には弟子たちによって脱獄も準備されていた。ポリスの外に出てしまえば、それ以上の追及はなかったらしいんだ。
そうであるにもかかわらず、彼は死を選択したんだ。
なぜなんだろうね。
まぁ、そのことがソクラテスを哲学者の始まりとして決定づけたことなんだけれど、そのことを皆で考えてみよう。

裁判の発端はこうだ。
B.C.399年、ソクラテスは、政界の有力者アニュトスを後ろ盾にしたメレトスによって、①青年を堕落させた罪、そして②国家の認める神々を認めないという理由で告訴されたんだ。
青年たちがソクラテスの知性に惹かれたということは前回言ったよね。
そして、ソフィストらがソクラテスにこてんぱんに論破されたことで腹を立てていたことにも触れましたが、それを腹に据えかねた人々が訴えたことは疑いえません。
より率直に言いますと、これはソクラテスの哲学実践をやめろという圧力でもあったとみることもできます。
けれど、当のソクラテスは、自分が訴えられなければならないのか意味がわからないと主張します。

そもそも、ソクラテスが市民と問答を交わすために歩き回って行ってきたのは、「魂」に配慮するよう説きながら、無知の眠りに耽る市民を目覚めさせるためであり、それが引いてはポリス全体がよくなるために行ったことでした。
しかも、そのために彼が「知恵のある」と言われる人々を問答によって調べ上げたのは、「ソクラテスほどの知恵者はいない」といった神託を得てはじめたのであり、それは神を信じているためなのだというわけです。
むしろ、その結果、無知であることを暴露されたからといって、その怒りを自分に向けずに、ソクラテスに怒りを向け、裁判に訴える方が不当だと主張するのです。

こうしたソクラテスの反論は、『ソクラテスの弁明』で延々と記述されていますが、これはおもしろいですよ。
これは、もちろん弟子のプラトンによって記述されたものですが、これを読むと、つくづくソクラテスは「逆説の人」だなぁと思うんですよ。
ソクラテスは市民やポリスのために哲学対話に取り組んできたのであり、だからこそ、彼は一切金銭を受け取ることはなく貧乏だったと言ったかと思うと、老若や金持ちと貧乏人の区別なく問答に答えるけれども、彼らに知識を授けるなんて約束をしたこともないんだから、誰が善くなろうと善くなるまいと責任を負う筋合いはないと言ったりもしている。
公共心のある人なんだか、無責任な人なんだかわけがわかりませんが、これがソフィストの行為と真逆であることは言うまでもありません。
そして、それはけっして矛盾してはいないんですよ。

これは、僕ら学校の教師なんかやっているとよくわかる。
僕らは、いちおう何かの専門家として、知識を君たちに授けるということで報酬を得ている。
逆に、それを与えられなかったら、教師としての責任を問われかねないよね。
すると、どうなるかというとね、「教師は知識をもっていなければならない」という条件を崩すことができなくなってしまうんだ。
でも、ソクラテスから言わせれば、それは「無知にの知」に開けない自己拘束的な状態にある。
つまり、よくわかっていないくせに、無自覚に「知ったかぶり」をしながら報酬を得ているということだ。
それがソフィストであった
だから、それを崩壊させようとするソクラテスのような存在は脅威だったわけだよね。
カネも稼げなくなっちゃう。
でも、そうした自己拘束性から解放されることこそが真の知を探求する地点に立つことなんだ、というのがソクラテスの立場だった。
だから、先生たちだって「これをやれば、成績が上がる」式の責任からも解放されていなくてはならない。
これに縛られれば縛られるほど、頑なになりプライドばかりが高くなりがちになる。
そもそもソクラテスに言わせれば、「無知」な人間が何かを教えることに責任を負うことなどできるのかということにもなる。
逆に言えば、責任を負えない以上、金銭などもらえるはずもないよね。
これは教育者としては無責任な答え方になるかもしれないけれど、でも、これってどこか窮屈な教育関係を崩す視点にも通じるところがあるような気がするんだよね。
報酬からも教育責任からも解放されたところに、ほんとうの教育が成り立つんじゃないのかな、ってね。
いずれにせよ、ここにはカネと責任に縛られた交換原理から解放されることが、むしろ公共的な自由を実現するということが示されていることは疑いないでしょう。

そんな逆説的なことはまだまだある。
たとえば、ソクラテスは「本当に正義のために戦おうとする者は、…私人としてあることが必要なのでして、公人として行動すべきではない」とも言っている。
ふつうは、社会や国のために尽くす以上は、公の人間として行動せよと言われる。
けれど、彼はむしろ「私人」として行動せよというんだ。
これまた逆説的だよね。
これもなんとなくわかる気がする。
教師という公の立場で君たちに語ることは「立場上」制限されることもあるけれど、そこから解放されて一人の個人として語るならば、もっと自由に語ることはできるともいえるからね。
だから、「私人」として行動することが、逆説的にも公共のための行動を可能にする条件であるという指摘は、とても重要だと思う。
え、お前もそうなのかって?
うーん、できるだけその制限から自由に語ったり、行動したいと思っては言えるけれど、無制限にそうできるわけではない自覚はありますよ。
もっとも、教育関係と市民関係をごっちゃに議論してしまうわけにはいかないんだけれどね。
人が本当に自由に公共のために語れるということはどういうことなのか、ということをソクラテスの哲学実践を読むと、あらためて考えさせられるんだよね。

それゆえになのか。
彼が常識に反した弁明をすればするほど、聴衆は彼に反感を覚えてしまい、有罪か無罪かを問うた評決では僅差で有罪の評決結果であったものが、量刑を問う評決では死刑判決が大多数で可決されてしまいます。
既に述べたように、ソクラテスは従容として死を受け入れますが、これまた逆説的な行動ですよね。
なぜ、死を選んだのか?
今日はこの論点を皆で考えてみよう。それこそ問答法みたいにね。

弟子たちは、こんな不当な死刑判決に従う必要はないといって脱獄を進めるんだけれど、彼は頑として動かない。
この様子をプラトンは『クリトン』や『パイドン』に描いていますが、そこに一貫しているのはソクラテスの「不正を為すことは最大の害悪」であり、「不正を為すことは、不正を受けることよりも害悪である」という思想なんだ。
じゃあ、ここで「不正を為すこと」とはなんだろうね?

生徒:市民の裁判員によって下された死刑判決を拒否する行動でしょう

うん。でも、なぜそれが「害悪」なんだろうか?それって、言ってしまえば冤罪で死刑に処されるということじゃないの?

生徒:でも、必ずしも冤罪とは言い切れないんじゃないかなぁ。市民の代表500人が決めたわけだから、必ずしもソクラテスに罪がなかったわけではないんじゃないかな。だって、ソクラテス自身、自分は何も知らないと言っていたわけだし、同じ市民である以上、誰がもっとも正しい判断を下せるかは決められない。むしろ、「無知の知」という点において市民が平等なのだとすれば、同じ市民の判決を不当だと言って拒否することは、彼自身の思想に反するんじゃないの?

生徒:たしかに、無知という点では平等かもしれないけれど、それは多数派の判断が正しいということでもないんじゃないかな。むしろ、扇動されて集団が感情的な誤った判断に陥ることは十分にありうるし、ソクラテス裁判の場合もそうだったんじゃないの。

じゃあ、なぜ彼は逃げなかったんだろう?

生徒:やっぱり市民として法には従うことが「善く生きること」だと思ったんじゃないのかな。皆がみんな不当な判決だと言って逃亡しちゃったら、ポリスそのものの秩序が成り立たなくなっちゃうんじゃない。ソクラテス自身、市民やポリスのために問答法の活動を続けたわけだし、市民として生きるということが彼にとって「善く生きる」ことだったんじゃないかな。

生徒:じゃあ、それって例えば国家が間違った判断をして国民が殺されたとしても、市民として受け入れることが「善く生きること」だっていうの?なんか、それは納得いかないなぁ。

たしかに、国家に殺されたくはないよね。戦争経験を踏まえれば、国家によって愛国心を称揚しながら無数の若者たちの生命が犠牲にされたわけだから、今を生きるぼくらはそのことを肝に命じなければいけない。
でも、それを踏まえてあえて言えば、実はソクラテスはどうも「死」そのものは経験できないのだから、善いことなのか害悪なのか分からないと言っているんだ。
たしかにそりゃそうだよね。
僕らは死を恐れるけれど、死そのものは経験できないから、それがよいのか悪いのかは実はわからない。
だから、ソクラテスの場合「死」そのものが害悪かどうかは宙づりにされている。
むしろ、それより重要なのは、『クリトン』においては国家の法が「祖国(国法)は父よりも母よりもその他のすべての祖先たちよりも、尊いもの、厳かなもの、聖なるものであり、…だから人はこれを畏敬して、これを説得するか、或いはこれを命ずることは何でもなさねばならぬ」という文章だ。
『クリトン』は擬人化された国法とソクラテスの問答という形式で語られているけれど、これを読むと先祖や親以上に国家が権威あるものだ言っているよね。
じゃあ、やっぱり国法の命令が絶対かというと、「これを説得するか、あるいは命ずることは何でもなさねばならぬ」と言っている点に注目してほしい。
別の個所ではこう言っている。

「(脱獄すれば)お前は不正を犯すことになる、とわれわれ(国法)は言う。なぜなら、われわれに服従すると同意しながら、服従せず、また、われわれが何か良くないことをしているならば、そのことを我々に説得もしないからだ。われわれは命じることを何でもなせとただ乱暴に命令しているのではなくて…われわれを説得するか、それとも命ずることを為せといっているのだから」

国法が「説得せよ」というのは、やはり国法の不完全性を認めているからなのでしょう。
ただし、それを破壊するのではなく、あくまで「説得」という方法で「善きもの」にしていくことが市民としての行動であり、ソクラテスにおいてはその方法が問答法による哲学実践だったのでしょう。
これまた逆説的だけれど、国家を言論において解体する哲学の行為が、国家を善きものとして構築しうるという思想が、ここには見出せるわけです。
これは近代の社会契約論とか民主主義にも通じる論理ですね。

生徒:えー、でも、それで殺されることがなぜ「善く生きること」なのか意味がわかんないですけれど。

なるほど、今の意見についてはどう思いますか?

生徒:たぶん、ソクラテスはあえて国家に殺されることを公衆の面前にさらすで、自分が正しかったことを証明しようとしたんじゃないのかなぁ。その時に正しいかどうかはわからないけれど、きっと歴史が正しくさばいてくれるということを彼はわかっていたんじゃないの。だから、彼は哲学者として名を残せたのだし、おそらく逃亡していたら彼の存在は歴史に残らなかったんじゃないかな。だから、彼にとって「善く生きる」というのは、歴史的に長く生き残り続けることなんだと思う。

なるほどね。それは彼が「死」を害悪かどうかわからないといった思想とも矛盾しないよね。
でも、それは国法を守る市民としてよく生きるということと、少し違う気がするね。

生徒:そうですね。どちらかというと自分自身のために「善く生きる」という感じですね。だって、「魂への配慮」ってそういうことなんじゃないですか。周囲からどう思われようとも、自分で考え抜いて正しいと思ったらそれを貫き通すことは、必ずしも市民として生きることと一致するようには思えないんです。

おもしろい視点だね。
たしかに、ソクラテスはソフィストであるポロスとの対話において「世の大多数の人と不調和であっても、自分自身とは一人なのだから不調和でいることはできない」と語っているところがある。
皆さんはどう思いますか?市民として善く生きることと、個人として善く生きることは一致すると思いますか?

生徒:一致すれば一番いいのかもしれないけれど、難しいんじゃないかな。先生だって、公人として行動することと私人として行動することは別だって言ったじゃないですか。

そうでしたね。よく覚えていました。おそらくソクラテスの死を考える上で、最も難しいのはこの点なのだと思います。
実は、ソクラテスは裁判から死に至るまでの間に、それまで口やかましく語りかけてきたダイモンが一度も語りかけてこなかったと言っています。
これはどう意味だと思う?

生徒:前回の授業ではダイモンって、思考するもう一人の自分で、良心の声みたいなものじゃないかって言ったじゃないですか。だから、そこに自己矛盾が発生しなかたったから語りかけてこなかったんじゃないかな。つまり、善く生きてるぞ、自分って。自分で考えぬいたことを語ったんだから、それで説得できなかったら、それはそれでもう十分なんじゃないかって。もしかしたら、それを正しく歴史は判定してくれるから、もうそちらに委ねることで自分にできることはすべてやったと納得できたというのは、さっきの意見と同じです。

生徒:いや、それだけじゃないと思うよ。だって、結果的にソクラテスの主張が誤っていなかったと、後世の人々にこうやって教訓としても伝わっているんだから、単に個人の納得のいく生き方としてだけじゃなく、時間差をおいて無知にふけっているわけにはいかないという教訓を知らしめたという点では、やっぱりポリスのために利益をもたらしたともいえるんじゃないかな。

すべて、自分の納得がいく生き方だったということだね。
つまり、市民としても個人としても「善く生きる」ことを為しえたというこなのですね。
でも、いまの発言で一点気になることがあります。
彼自身は「善く生きた」と思ったかもしれないけれど、結果的には哲学者が市民への説得が失敗して死刑になってしまった
だとすれば、けっきょく哲学でもって国法を正そうとしたりしても無意味であるどころか、そのような行動はむしろ哲学を志すものにとってとても危険であるという悪影響を与えないでしょうか?

生徒:たしかに、哲学を学びたいとは思いませんね。

じゃあ、誰もソクラテスのように「アブ」として市民に警鐘を鳴らす存在はいなくなってしまうんじゃないの?

生徒:うーん、市民の中にもソクラテスに賛同した人々もいたんじゃないかなぁ。

でも、少数派だったら声を挙げられないかもしれないね。むしろ、それを黙らせる圧力を加えるかもしれない。

生徒:市民一人ひとりが哲学者になればいいなじゃないかな。そういう教育を行うとか。

なるほど。つまり、市民一人ひとりが無知を自覚して真理に目を向けようとすれば、結果的にソクラテスの臨んだ善い国家になるということだね。
たしかに、それはソクラテスの思想と実践とも一致する。
けれど、それによって彼は党の市民たちに殺されてしまったんですよ。
ここには、果たして市民一人ひとりが真理に目を向けようとすることなど可能なのだろうか、という問題が含まれていませんか?
市民一人ひとりが無知の眠りから目覚めれば、自ずとよい国家になると信じた哲学者当人が、市民に殺されてしまった!
この壮絶な矛盾をどう考えればいいのだろう!!

生徒:…

実はね、それを目の当たりにしていたのが、彼の弟子であるプラトンだった。そして、この哲学者がポリスにおいて殺されたという事実を深刻に考えて自らの哲学を展開した哲学者だった。
その深刻な問題を踏まえて、次回プラトンの哲学を扱ってみよう。

【第5回】ソクラテス①

2017年06月11日 | ギリシアの思想
前回はソフィストのことを「詭弁家」、けっこうあしざまに言っちゃったね。
一応弁護しておくと、どんな高名な思想家もその時代その時代によって評価がひっくり返ります。
ソフィストもそう。
今日扱うソクラテスなんか大嫌いだったニーチェは、ソフィストを絶賛します。
もちろん、僕らの評価もその時代状況にかなり影響されているという点では同じですから、単純にその思想家を断罪することには注意しなくてはいけないんです。

そのことを心に留めながら、今日はソクラテス(B.C.470-B.C.399)を扱います。
とはいえ、ソクラテスは面倒くさいです。
その中でももっとも面倒くさいのは、彼が自分の思想を書き残していない点です。
したがって、彼自身の思想が実のところどんなものであったのかはよくわからないのですよ。
じゃあ、なぜこんな2000年以上経っても、その思想が今に伝わっているのかというと、彼を論じたいくつかの文献を手がかりにしているのです。
中でも、彼の弟子であるプラトンが書き記した「対話篇」が最も参照される文献とされています。
実は、ソフィストに対する厳しい評価もプラトンの記述がもとになっています。
プラトンと言えば西欧哲学の元祖とされる哲学者であり、彼の影響を抜きにして哲学は語れないわけですから、その彼が哲学者の原形として描いたソクラテスとはいったい何者なのか、いまだにその興味は尽きないわけです。



さて、そのソクラテスはとにかく不思議な人物だった。
彼は、ときどき街なかで固まったまま、いつまでも動かなくなってしまう変な「癖」をもっていたと言います。
長い時は一晩中も固まったまま立ち続けていたという。
「饗宴」という対話篇の中には、宴会にいつまでも来ないソクラテスを呼んでくるように召使に命じた友人に、別の友人が「いや、それはよしてくれ。あの人は、そのままにしおいてやってくれ。あれは、あの人の癖の一つで、時々、どこでもお構いなしに、道をそれては入り込み、そこにたたずんでしまうのだよ」(鈴木照雄訳,『世界の名著・プラトンⅠ』,中央公論社,104頁)と述べる場面がありますよ。
これがいったん始まると、いつ元に戻るか誰も見当もつかない。
これ、何しているかわかる?

これは「思考」という癖です。
みんなもこんな経験はありませんか?
いったん考え始めると、じっと固まってしてしまう経験。
僕はけっこう歩きながら考えることができてしまうので固まることはあまりありませんが、それでも考え事しながら歩いている最中は視界が狭いし、時間があっという間に過ぎてしまっていることに驚きますね。
ソクラテス自身はこの瞬間を思考しているとは言っていない。
じゃあ、何をしているんだというと、このとき彼は「ダイモン」の声を聴いているというんだ。
ダイモンは人間と神々の中間に位置する「鬼神」とも呼ばれる存在だ。
彼は、固まってしまっているときはいつも、自分には見えないダイモンの声聞いていると言っている。
ハンナ・アーレントというユダヤ人女性の現代思想家は、「ダイモン」は自分の中のもう一人の自分であり、そして思考するとは、このもう一人の自分と心の中で対話する営みだと、ソクラテスから読み取っている。



たしかに、僕らは考え事しているときには心の中で誰かとしゃべっていないだろうか。
言葉を発している以上、それは相手がいることになると思うんだけれど、心の中においてそれは思考という心の中での対話を相手するもう一人の自分だというんだね。
それでも、一晩中固まったまま考え続けるというのは尋常じゃない。
哲学者というのはそういう思考の人間だという側面があることを示すものなのでしょうね。

不思議な人間だと言えば、彼は見た目が醜男だったそうですが、アテネで最ももてる男だったとも言います。
これ、なぜだと思いますか?
金持ちだった?
いや、彼はむしろその逆だったようです。
性格がよかった?
いや、後で見るように、彼はソフィストと問答すればするほど嫌われるし、最終的にはアテネ市民による裁判で死刑に処せられてしまう。
それでももてる男だったという。
誰に?
実は、それは若者たちにもてたんだ。しかも男の子。
「饗宴」には、ソクラテスに恋い焦がれるアルキビアデスという美少年が、その想いを告白しながら、彼にいっしょに寝ようと誘うんだけれど、つれなく相手にされなかったことの悔しさを告白しています。
そうです。古代のアテネでの恋愛と言えば、同性愛が珍しくなかったわけです。
恋愛なんて文化的なものだから、今の時代がたまたま異性愛文化だからと言って、絶対視しちゃいけないよ。
日本だって、武士の恋愛文化には「衆道」(しゅどう)という同性愛文化があったんだ。俗っぽく言えば、信長と小姓の森蘭丸の関係なんかがあるよね。

それはともかく、ソクラテスの何がそんなに魅力的だったのか。
それは彼自身もアルキビアですの美貌に興味をもたなかったように、それは知性だったと言われている。
ポイントは「若者たち」が魅力を感じた知性とは何かという点だ。
既に、世の中はこういうものだと決めてかかってしまっている「大人」にとっては、むしろウザい存在だったでしょう。
これは、君たちのように古い価値観に反感をもったりできる若い感性をもった人々にこそ、哲学は魅力的であるというものなんです。
ソクラテス自身、いい年齢になってまで哲学に入れ込んでいることを馬鹿にされる場面もありますが、むしろそれこそが若者を惹きつけた彼の知性だったということでしょう。
それを踏まえながらソクラテスの思想に入り込んでいきますね。

あるとき、ソクラテスの友人カイレポンが「ソクラテスよりも知恵者はいない」という託宣をデルフォイの神殿から持ち帰ってきた。
それを聴いたソクラテスは自分がそんなに知者ではないのに、神もおかしなことを言うなぁと思うわけです。
既に世の中にはソフィストという知識人もいましたから、自分より知恵のある人を探し出して神に反問してみようとしたわけです。
注意してほしいのは、彼は神そのものを疑ったわけではないんですね。
神の真意は何だろうかと、それを問おうとしたわけです。
「正義とは何か?」、「美とは何か?」
こうした問いを立てながら、彼は政治家やソフィストたちと問答をして知恵があるのかどうか観察していくわけですが、どうもそれらの人々もまた、何もわかっていないということを彼自身が公衆の面前で暴露してしまう。
あ、当時のアテネではアゴラという広場を中心にして、人々の前で公開討論をする文化があったのですね。
そこで普段知識があるとされるソフィストたちがソクラテスに無知であることを暴露されてしまうもんだから、たまったもんじゃない。
後で問題にしますが、結果的にこれに恨みを抱いた人々によってソクラテスは裁判に訴えられてしまいます。

たしかに、ソフィストたちが知恵者ではないということは証明できた。
だからと言って、彼自身もまた「正義」や「美」について何かを知っているわけではない。
いったい神は何を言おうとしたのか…
この疑問を突き詰めていったときに、彼はあることに気づきます。

「彼(ソフィストたち)は何も知らないのに知っていると思い、私の方は実際に知らないので、そのとおりにまた知っていると思いもしない。だから、知らないことはそれを知っていると思いもしないという、この何かちょっとした差によって、私の方が彼よりも智慧があるらしい」

これを「無知の知」といいます。
知者というのは神だけのことを指すのであり、皆は「知ったかぶり」のままに生きている。
そのことにまず気づかせていく活動にソクラテスは取り組んでいくわけです。
プライドの高い人にとっては、なんて迷惑な存在でしょうね。
でも、これって学校のセンセイが陥りやすい問題なんだよね。
ふだん、いちおう知識やら何やらを君たちに教えることを商売にしている人にとって、「あんたは何もわかってない」なんて自覚させたら、その人は怒り心頭でしょう。それがまさにソフィストたちだったんだ。

じゃあ、けっきょくゴルギアスのように「何も知りない」というニヒリズムでいいのか、「他者を支配する術」をそなえれば「徳」を身につけたことになるのかというと、ソクラテスはそうではない。
人間には知りたいという欲求(エロス)があり、それは不完全な人間が完全なものに憧れる証である。
そして、それを求める「魂」が、できるだけよくなるように気遣い、世話にしなければならないというのが、ソクラテスの「魂への配慮」という思想なんです。

そのために彼は、アテネ市民に対して自分は「アブ」のような役割を果たすと称しました。
これは、無知の眠りに貪っている人びとの精神を「ちくっ」刺すような存在ですね。
これは安眠したい人にとっては厄介ですよ。
あるいは、「シビレエイ」だとも自称した。
シビレエイって知ってます?
これって、変な動物で相手をしっぽの毒でしびれさせると同時に、自分自身もしびれちゃうんだって。
ソクラテスは、思考というのは何かを得る経験ではなく、むしろ「何もわからなくなってしまう」一種の麻痺状態だと考えた。
じっさい、ソクラテスと問答した相手は、「もうすっかり何が何だか分からなくなってしまいました」という状態に陥ってしまいます。
それは、実はソクラテス自身も同じ状態になってしまうのですが、彼はこの境地こそ「無知の知」であり、その経験を共有することを喜んで、「じゃあ、あらためて〇〇とは何か、いっしょに考えてみよう!」と問い直しを図る零地点立ち戻とうとします。
だから、ソクラテス自身は、けっして明確な答えを提示するのではないのです。
ひたすら、相手を問いにさらしながら無知であることを暴露し、「なにがなんだかわからなくなった」という困惑に陥らせてしまうんです。
なんて嫌な奴だよね!
でも、彼自身はその困惑こそ無知の自覚に立てた証だと喜んでしまう。
そして、そこから共に考えようという営みそのものが、各人の魂を善い方向へ向かわせることだと信じていたんだ。

では、なぜ魂に配慮しなければならないのか?
ソクラテスは、それを「金銭から徳(魂の善さ)が生じるのではなく、金銭その他すべては徳によって善きものになる」のだというのです。
カネはいらない、と言っているのではありません。カネは必要ですよ。
問題は、それに翻弄されているのが悪しき魂のあり方なのであって、逆にそれをコントロールできる魂になるように世話をすべきだというわけです。
それが、ソクラテスにとっては「知る」ということだった。
「知徳合一」とか「知行合一」という言葉はそれを表していますね。
「知る」ことができれば徳も備わり、行いもすぐれたものとなる。
こうした「知」に主眼を置くソクラテスの立場は「主知主義」とも言われます。

重要なのは、ソクラテスは一人ではなく、みんなで共に考えていこうとした哲学者だったという点です。
それをソクラテスは「問答法」という方法をもって、市井の人々との対話で真理を明らかにしていこうという実践に取り組んでいた。
ソクラテスは、真理というのは言葉になる以前に一人ひとりの魂の中に埋まっているものだと考えていた。
それを問答によって引き出そうとした。これを「産婆術」と言います。
まさに、言葉をたましいから出産させる方法だったんだね。
たとえば、君たちだって、考えや思いが言葉にならずに胸のあたりに仕えているような経験をしたことはないですか。
それを「君の言いたいことはこれ?」とか、問いを投げかけることで言葉に結びつけさせるような営みだ。
それが、まさに自分自身の言葉ということになるよね。
実は、この自分の言葉をつかむという経験こそ、人間にとってはとても快楽なんだよね。
現代社会で心を病んでいる人が心理カウンセリングを求める人が多いけれど、あれも一種の産婆術なんだと思う。
自分が気づいていない心の傷の原因を自分自身の言葉で気づかせることで、魂を楽にさせてる方法だ。

とはいえ、ソクラテスの産婆術は、心の傷や苦しさを癒すための心理カウンセリングとは、やはり違う。
できるだけ善きものとなるように魂に配慮するとは、自分自身との対話である思考によって徹底して自己吟味することである。
そこでは、癒しのためではなく「おまえ、ほんとうにあんな行動をとってよかったのか?」と、自分自身からの問いに答えなければならないという点では、実は厳しい経験と言えるでしょう。
この自分自身を問いにさらす存在を「良心」と名づけてもよいかもしれませんね。
近代ではカントという哲学者が言った実践理性というものに近いのかもしれません。
とにかく「善い」存在として自分の魂を善きものにしようという営みなんです。

ここで思い出すのは、ソクラテスの「悪を悪と知りながら、自ら進んで悪を為すものはいない」という命題です。
人は知ってさえいれば、悪事をなすことはない。
逆に言えば、悪事をなしてしまう人というのは「知らない」からだというんだ。
これは、けっこう深刻な問題ですよ。
たとえば、皆さんは「悪いと思いながら犯す犯罪」と「悪いと知らずに犯した犯罪」のどちらが罪が重いと思いますか?
一つの話題を提供します。
ナチスドイツ時代にユダヤ人が大量虐殺されたという事実は知っていますよね。
その政策を進める過程で重要な責任を負っていたアドルフ・アイヒマンという官僚がいました。



戦後、彼はアルゼンチンへ逃亡していたのですが、1960年にイスラエルの秘密警察モサドにつかまりエルサレムで裁判にかけられる。
大量虐殺の責任者として罪を問われたわけだ。
イスラエル側の検検察官や民衆は、アイヒマンをとんでもない悪の権化や怪物という人物のイメージに仕立て上げようとしていたんだけれど、先程紹介したアーレントという人は裁判を傍聴しながら、彼が大悪人でも残虐な人間でもなく、ただの小役人で「自分で考えることができない人間」だということに気づいてしまう。
事実、彼は裁判において、ユダヤ人を抹殺することが決められた法律を官僚として守っただけなのに、なぜ訴追されなければならないのか意味がわからないと述べます。
個人的にはユダヤ人に同情もしたけれど、法を守っただけなのになぜなのだ、とまったく自分が何をしでかしたのかを反省する、つまり思考することができなかったんだ。
彼女は、この発見からホロコーストのような巨大な悪というものは、異常な残虐性や冷酷さからではなく、「陳腐な悪」によって引き起こされてしまうという大胆なテーゼを発表したんだ。
このアーレントの発見は、ユダヤ側の被害者感情に受け入れられず、大論争を巻き起こしたんだけれど、これはソクラテスの命題と関わって重要な問いを提起していると思いませんか。
法律を順守しながらも、その行為の意味を吟味することができなかったアイヒマンは「善い生き方」だったと言えるのか。
この問題はいずれ特別授業で扱いたいと思います。

くり返すけれど、それが「善いのかどうか」について問う際には自分一人だけではなく、他者との対話によって吟味にかけることがソクラテスの最大の眼目だった。
なぜなら、そのことによって市民一人ひとりが真理に目を向けようとしていけば、自ずと善い都市国家になっていくと彼が考えたからなのです。
だから、彼の問答法による実践は、何よりもアテネ市民のために取り組んできたのだということをくり返し主張するのです。
そのことをソクラテスは『ソクラテスの弁明』で次のように述べています。

人間にとっては、徳その他のことについて毎日談論するという、このことが、まさに最大のよきことなのであって、私がそれらについて問答しながら自分と他人を吟味しているのを諸君は聞かれているわけであるが、これに反して、吟味のない生活というものは人間の生きる生活ではないと言っても、わたしがこういうのを諸君はなおさら信じないだろう。しかしそのことは、まさにわたしの言うとおりなのです、諸君。ただ、それを信じさせることが容易でないのです 。

ところが、既にふれたように、アテネ市民のために取り組んだソクラテスの哲学実践は、逆に市民から反感を買うことによって、裁判にかけられたうえに死刑に処せられます。
なぜ、そんなことになってしまったのか。
次回は、「ソクラテス裁判」の意味について考えましょう。

【第4回】ソフィスト

2017年06月10日 | ギリシアの思想
前回、自然哲学者たちが古代ギリシアで誕生してきた事情を話しましたね。
世界に対する驚きっていうのは、基本的に古今東西老若男女を問わずに共通している。
でも、「自然」に対しては普遍的なアルケーを見出そうとするその態度も、多様な人間同士の活動が織りなす「社会」に対してはそうはいかなかった。
ほんとうに知れば知るほど、話せば話すほど、人の考え方や価値観は複雑だよね。

自然哲学がイオニアやイタリアへ広まった一方、ギリシア本土のアテネでは、あまり盛り上がりを見せなかったんだけれど、紀元前5世紀になると、古代ギリシアは「言論の自由」のもとに政治的文化的な中心地となっていった。
そして、ペリクレス時代に成人男性による直接民主政治を実現するけれど、そこで政治的な参加能力を教育する必要性が生じた。
そこに、その技術を授けるという「ソフィスト」という人々が登場する。

なんとなく、君たちが生きる時代性に似ていないかな。
2015年に18歳選挙権が制度化されて以来、にわか政治参加の教育が必要だと言われ始めてきたよね。
別に、18歳選挙権が施行される前から政治に関する教育はなされてきたはずだけれど、それははっきりいうと政治知識を理解させることに終始していたという実態があったことは否めないと思う。
いくら知識を身につけたって、それを実際に使わなければ意味がないし、すぐに忘れることは皆さんも経験あるでしょう?
それに対して、実際に政治に参加するための技術能力を身につけようというのが、いまの18歳投票権をめぐる政治学習の流れなんです。
じゃあ、政治に参加できるための能力って何なの?
「政治・経済」の問題みたいだけれど、「倫理」でもそのことを意識しながら考えてもらえればいいと思います。

さて、当時の民主政体のアテネでは、市民がポリスで政治活動するために必要とする能力を身につけることは、社会的に成功することを意味しました。
それは、政治家として大衆を説得できる政治を実現できることでしょう。
それは今でも変わりませんね。
彼らはその能力を「徳」(アレテー)といい、それを授業料と引き換えに教えると公言していました。
「ソフィスト」とは「知識人」という意味で、その時代のかなりの知的文化を伝える職業的な専門家であり、今でいえば自営業の教師というイメージですね。
じゃあ、彼らはどんな政治術を授けたのか。
それは「言論」に関わるものでした。
民主政である以上、政治は対話や話し合いによって行われることを基本としています。
ただし、相手と話し合いながら分かり合えるというものとは少し異なって、相手をどれだけ説得できるか、その技術を身につけることが「徳」だというんですね。たとえば、ソフィスト流に言えば議会や裁判において、議員や裁判官を説得できれば、「徳」があるということになるでしょう。
この説得の技術を「弁論術」と言います。
ゴルギアスというソフィストは、この弁論術を「他人を支配する能力」であるとして、その「徳」を授けるのだと豪語しました。
こういうと、なんだか「白いものを黒と思わせる技術」のように思いますよね。
実際、ソフィストには「詭弁家」というレッテルが歴史的に貼られてきましたが、当時はその「徳」を身につけることこそが、人としても「徳」があるということを意味したんです。
「徳」というと、なんだか人格的な立派さをイメージしますが、この場合は言論」を巧み操り人を動かすことのできる人がそれをもつ人だと思われたわけですね。

こうした意味での「弁論家」というと、僕は小泉純一郎という政治家を思い出しますね。
覚えていますか?
総理大臣までやった政治家ですよ。
彼のもの言いというのは、なんだか人を納得させるような弁論の力があったんですよね。
いくつか例を挙げますと、「構造改革なくして成長なし」(2001年5月7日)とか、すぐにでもスローガンに使えそうな言葉がポンポン出てくる。
闊達がよくすぐにスローガンに使えそうな彼の言葉には、まさに稀代の弁論家としての力がありました。
それがもっとも印象的だったのは、横綱貴乃花がケガを押して出場した千秋楽に、鬼の形相で勝利し優勝したときの言葉です。
彼が「痛みに耐えてよくがんばった! 感動した! おめでとう!」(2001年5月)と優勝杯を授けたときに発した瞬間、ものすごい歓声がわき、鳥肌が立ちましたね。

あれだけの「弁論家」を僕はあまり見たことがありません。
でも、これは僕が言ったり、書き起こされた文字を見ただけでは伝わらないんですよね。
弁論術というのは、語り口調や表情なども含めて、聴き手の感性に訴える技術ですからね。
でも、この感性に訴える技術という点がもっとも危険なんです。

弁論術は、感性に訴えられると間違ったことでも正しいと思い込ませてしまう技術です。
それはゴルギアスも認めています。
その点で小泉さんの言葉のなかで僕がもっとも印象に残っているのは、イラク戦争後にサマーワという地域への派遣の当否をめぐっての発言でした。
2003年、アメリカのブッシュ大統領が引き起こしたイラク戦争後に、自衛隊をイラクの道復興支援活動・安全確保支援活動を目的として派遣させる特別措置法が成立しました。
けれど、この派遣条件は「非戦闘地域」に限定されていたのですが、自衛隊が派遣されたサマーワに着弾があるなど、派遣先が「戦闘地域」ではないかという議論が巻き起こったのですね。
自衛隊の派遣先が「非戦闘地域」でないのならば撤収させなければならないのではないか。
当時の野党民主党の岡田代表に「戦闘地域と非戦闘地域とについて具体的にどういう状態をさすのか」と聞かれたとき、当時の小泉首相はこう答えたんですね。
「自衛隊の活動しているところが非戦闘地域である」(2004年11月10日、党首討論)
この理屈わかりますか? 
自衛隊は「戦闘地域」には派遣されない存在なのだから、そこで自衛隊が活動すれば実際には「戦闘地域」であったとしても「非戦闘地域」なのだ、という論理です。
これが無茶苦茶な論理であることは、一目瞭然でしょう。こういうのを「詭弁」と言います。
さすがに、これですっかり騙された人がいるとは思えませんが、彼の言い切り型の弁論術には一種運「そうか」と思い込まされそうな力があったこともまた否定できないのです。

論理よりも感性に訴える言葉の力。
これが弁論術です。
そして、その力を利用して大衆を先導し全体主義へ導いたのが、かのアドルフ・ヒトラーでした。
ヒトラー自身も、それが効果的に発揮されるためには、とにかく短いスローガンを何度も何度もくり返し連呼する方法だとしています。
論拠を理路整然と示すことは、むしろ大衆を厭きさせてしまい意味がないと言います。
なぜなら「大衆は馬鹿だから」。

そうなるとですよ、嘘も弁論術ひとつで真実と思い込ませることができてしまう力をもっているということになります。
ちょっと、これは僕らにとっては受け入れがたいですよね。
でもいきなり、批判する前に彼らのその思想はどのような論理があるのか見てみる必要があるでしょう。

ソフィストの代表の一人であるプロタゴラスの教えは「弱論を強弁する」という標語で表されると言います。
これは、今までも述べたように弱い言論を強い言論に変えてしまうのが彼の弁論術としての教えであることを示しています。
でも、これでは裁判で弁論がうまい人間が勝つだけで、正しいことも誤ったこともなくなってしまうのではないでしょうか。
そのとおりです。それを「相対主義」と言います。
どうもプロタゴラスは正しいも不正もなく、否定も肯定もどちらもできると考えていたようです。

「人間は全ての物事の尺度である。あるものについては、あることの。ないものについては、ないことの」

このプロタゴラスの言葉は、一人ひとりの人間の価値基準がすべてのものごとの尺度であることを示しています。
僕にとって「正しいこと」は、あなたにとっての「正しいこと」の尺度とは必ずしも一致しない。
そんなことってけっこうあるよね。
それぞれの人が「真理」だと思ったら、それが真理なのであるということで、普遍的に正しいなんてことはないのだというのが、プロタゴラスの立場なのです。

ゴルギアスのB.C.440年代に書かれた「あらぬものについて」の論理は、さらにすごいです。

「何もない。もしあるとしても、人間には把握できない。もし把握できたとしても、それを他人に伝えられない」

ものすごいニヒリズムというか、真理も何もないというこの言い切りは、逆に気持ちいいくらいですね。
だからこそ、弁論術によって黒いものを白いと思い込ませることには何も問題ないということになるのでしょう。
けっきょく、ゴルギアスの結論は言葉を操ることによって他者を支配できることこそ、人間として優れている「徳」なのだということです。
これは、政治家として名を挙げようとするエリート層の人々にはとても魅力的に響いたでしょうね。

それにしても、この相対主義がなぜこんなにも肯定されたのかなぁ。
たしかに、この時期、色々な知識文化がアテネに流れ込んだということは、これまで正しいと思っていた価値観が崩れていく空気が広がったのだと思うのですね。
これも僕らの時代状況に似ているんじゃないかなぁ。
グローバル化と言われて久しいけれど、ネットの進化もあって、僕らは日々色々な情報と価値観にさらされて、「どうせゼッタイ正しいことなんてないよね」というニヒリズムにおそわれていませんか。
僕の感覚だと、それが露骨になった時期が、バブル崩壊後の1990年代後半だったと思う。

ちょうどその時期に大学生生活を送っていた僕にとって、それはけっこうリアルな感覚だったんだよね。
バブルっていうと、君たちはあこがれる感じがすると思うけれど、たしかに社会全体の乱痴気騒ぎぶりはすごかった。
でもね、それが同時に空虚感もあったのも事実だと思う。
バブル崩壊とともに、95年のオウム真理教地下鉄サリン事件が起きたことは象徴的だと思うけれど、それまで経済成長と幸福が比例することの欺瞞が暴露されたと感じたことを強烈に覚えている。
その後の97年には山一證券倒産という衝撃が走ったし、その時期に就職活動していた僕らはそれまでのこの社会の神話が一斉に崩壊し始めていることをひしひしと感じていたものだったんだ。
そして、同じ年に神戸児童殺傷事件が起きた。事件そのものも衝撃だったけれど、僕が関心を引いたのはその時期に加害者である少年と同じ世代の中高生たちがいっせいに「どうして人を殺してはいけないんですか?」という問いに共感を示し、それに対して多くの知識人が応えようとして多数の書籍が刊行されたことだった。
「人を殺してはいけない」という価値観は、それまで自明のことだったし、あらためて問い直す必要もないようなものだったのが、いっせいに疑問にさらされたんだ。
それだけじゃない。
当時、女子高生の売買春をめぐって、「ワタシの身体はワタシのモノなのだから、その身体を売るかどうかはワタシの自由じゃないか」という議論も起きたんです。
たしかにメディアが煽った部分もあるでしょう。
それでも、当時は問うまでもない常識に対する若い世代の挑戦に、大人社会が誰もうまく答えられていなかったという印象があります。
古代のアテネでソフィストが登場した状況というのもこれに似ているんじゃないかな。

誰もが不安になっている時代なんです。
そんな時期に「どうせ正しいことなどない」というニヒリズムと相対主義が幅を利かせていった。
なんとなく皆さんには、こんな時代的な雰囲気を共感できるんじゃないですか。
けっきょく絶対的に正しい価値観などないんだから、それぞれが大切に思っていることを大切にすればいいじゃないか。
どうせ、お互い理解し合えないんだから、お互いの考え方には干渉しないようにしよう。
ルールだって、しょせん不完全な人間が決めたものなのだから、それに縛られていること自体がばからしい。
ソフィストだったら、弁論術で正しいと思わせたものこそが正しいというのだろうね。たとえ、嘘だとしてもね。
これって、いま「ポスト・トゥルース」と言われる状況そのものだね。
え?なんだそれって?
あからさまな嘘も嘘と認めなければ真実になるという強引さを、政治において押し通そうとしている政治家の問題のことさ。
政治に嘘はつきものというかもしれないけれど、ここまで誰が見ても嘘だとわかることを真実だと押し通しちゃっているよね。
問題は、それを国民が「あれ?嘘じゃないのかも…」と思い込まされている状況。
けっして遠い国の話じゃないよ。

だから、「他人を支配する能力」こそが「徳」であるという考え方が生まれる背景には、絶対的な価値などないのだという相対主義の時代風潮が広がっていることを、僕らの時代状況に重ねて知っておいた方がいいと思うんだ。
けっして、そんなニヒリズムに捻じ曲げられた嘘に理想も真実もぶっ壊されたくない、と僕なんかは思うね。
そんな時代状況の中で登場したのが、哲学者としてのソクラテスだったんだ。
次回はその話に移ろう。

【第3回】古代ギリシアの自然哲学

2017年06月08日 | ギリシアの思想
さて、前回、神話(ミュトス)が世界生誕を説明する役割を果たしていたことを述べました。
それが自然哲学へ展開したというのは、神々の行為ではなく、そもそもこの世界を成り立たせているものは何か知りたいという欲望(エロス)が、別の知る仕方を求めはじめたということです。
ミュトスとしての神話、つまり物語という方法とは別の知る仕方ってなんでしょうね。
たとえば、僕らの時代で言えば、科学的に考えることは慣れていますよね。
僕は心霊現象に興味持っちゃうんだけれど、子どもの頃のNHKのテレビ番組では「人魂」を科学的に実証する特集が組まれていたことを覚えています。
なぜ、墓地に人魂が発生するのか、その原因を科学的に実証しようというものです。
その結果は、どうも墓地に埋められた遺体から発生するリンやメタンガスが何らかの発火減少と結びついているのではないか、というものだったと記憶しています。
それは、どうもある程度正しかったんじゃないかと思うんだよね。
なぜかっていうと、昔は土葬でしたが、ほぼ火葬になった現在では、人魂なんて話はあまり聞かないでしょ。
こんな感じで、僕らの時代は科学的合理的に説明できれば、納得する「知の枠組み」が日常的に浸透しています。
だから、古代において神話がその合理性を担保していたということは、「知の枠組み」として浸透していたことを意味しているんです。
ところが、同もそれでは納得できない部分があるんじゃないか。
僕らの時代でも、どうも科学的な思考だけでは割り切れない問題がありますよね。
生きる意味なんてのは、科学的に割り切れるものじゃないし、むしろ科学の発展が必ずしも精神的な豊かさをもたらすわけではないことは、僕らは身に染みてわかったはずでしょう。
3.11の東日本大震災では、果たして自然を乗り越えようとした科学の無力さが歴然と暴露されてしまいました。
すると、僕らは自ずと科学そのものがある種の神話だったことに気づかされていくわけです。
いや、だから神話が正しい「知の枠組み」だと言いたいわけじゃないですよ。
神話的思考も科学的思考も、人間がその「知の枠組み」を手に入れた以上、ゼロにするわけにはいかない。
人間は時代の転換期とともに、慣れ親しんだ世界観からその「知の枠組み」そのものが変わっていく、つまり世界を知る方法が変わっていくということなんじゃないかな。
もしかしたら、時代の転換期なんてしばしばいわれる現在に、その変化が訪れるかもしれない。
それが古代ギリシアにおいて生じた。
「なーんか、神々の行為で世界がつくられたっていう理屈って変じゃね」と疑いをかけたんじゃないかな。
もっと、なんか、こー、この世界のすべての原因となるものがあるんじゃないか。
それがアルケー(根源)というものへの探求につながった。
神に代わるような原因といってもいいと思う。
それが神話から自然哲学へという事態だったんだ。

ただし、それはドラスティックに神話から自然哲学へ転換するというよりは、少しずつその宗教性を引きずりながら自然哲学という新たな知の枠組みに転換していったと考えるべきでしょう。
アリストテレスによれば、自然哲学の始祖とされるミレトスのタレス(B.C.624—B.C.546)は、「万物は神々に満ちている」とも言ったそうですしね。
では、その宗教性や神性とは何か。
それが「驚き」に通じる経験なのだと思います。

●タレス(B.C624?-B.C.546?)

これについてタレスは、「万物のアルケー(根源)は水である」と言いました。
この意味をどう捉えますか?
人間は体重の60%が水でできている。そうだね。生物は水がなければ生きていけないのは疑いようもないことです。
その意味で、「水」は自然に存在する生命力の源という観点から万物のアルケーとするのがオーソドックスな解釈だとおもいます。
自然を動かす力が自然界の隅々にまでいきわたっていて、そのエネルギッシュな生命力の不可思議さの源に神性を見出したのではないか。
それが「水」だった、とね。


でも、僕自身はこの解釈に納得しながらも、ちょっと腑に落ちていなかったんですね。
すると、これとはまったく別の解釈に出会いました。
水は、それ自体としては無色無臭無味無形という奇妙な特性をもちます。
音は別として、感覚で捉えきれないにも関わず、僕らは水が「ある」ことを知っています。
しかも、その姿は氷や、川、泉、雨、雪、霧など変幻自在です。
生成流転しながらも、水は水として変わることはない。
古東哲明さんという哲学者はこれを「無であるからこそ全てである」という水の不可思議さにこそ、タレスは万物の根源を見たのではないかというのです(『現代思想としてのギリシア哲学』)。
なるほどな、と僕個人は妙に腑に落ちました。

皆さんはこの解釈をどう思いますか?
哲学って、こんな風に自由に解釈できる余地があるところに魅力があるんですよね。
もちろん、実際にタレスがどう思って万物の根源を「水」に求めたのかは知りえません。
得て勝手すぎる解釈がよいというわけではありませんが、「もしかしたら…こんな風にも読めるんじゃないか。そちらの方が腑に落ちないか」という仕方の思考の自由にこそ、哲学の魅力があるというべきでしょう。
古東さんの解釈は、何かが存在することの「驚き」を示していると思いますし、それは生命の躍動感に対する驚きとは少し別なようにも思えます。
万物を成り立たしめさせているのは「無であるからこそ全」であるようなものなのではないか、とね。
それは、人間臭い神々の行為などよりも、よほど神秘性に近い思考ともいえます。
だから、古代ギリシアの自然哲学は科学的思考とも違うのです。
あくまで「驚き」にもとづいた神性がともなった思考なのです。

あ、ちなみに、この「驚き」を手に入れやすい方法は何か知っていますか?
端的に僕は、それは「旅」の経験だと思います。
多くの哲学者が放浪していることは偶然ではないでしょう。
異文化や見たことも聞いたこともない人々の考え方に出会う「驚き」は、思考を開くことに直結する経験なのだと思います。

●アナクシマンドロス(B.C.610?-B.C.540?)
タレスの後には、古代ギリシアでは神々の行為ではなく、こうした無機物に万物の根源を見出していく哲学者が次々と登場しました。
同じくミレトスのアナクシマンドロスは、タレスの「水」の思想を受け継ぎながら、もうちょっと抽象的なものへ展開します。
彼によれば、この世界は昼と夜や夏と冬のような定期的に入れ替えがあることは、この世界は対立的にペアになっているもの同士から成り立っていることを示しています。
陰と陽とか、男と女とか、何ごとも表裏一体に対立したものとペアになっているのが、この世界のもののあり方だというわけだ。
逆に言えば、このペアになる関係性がないものは存在しないということです。
ならば、水も火というペアというか対立関係で存在しているのだとすれば、水そのものがそのペアの片割れにすぎないことになります。
アルケーというものはそれらの具体物のペア関係を超えたものでなければならないと考えた。
その対立的なペア関係を超えたものがアルケーであり、それをアナクシマンドロスは「ト・アペイロン(無限定なもの)」と名づけた。
これはとても抽象的な概念で、ちょっとわかりにくいかもしれないね。
でも、アナクシマンドロスは、その具体的な物を超えて、それらをシンプルに包括するものとして抽象的な概念でまとめようとしたんだ。
哲学の面倒くささってこういうところにあるのだけれど、まぁ、ちょっとした思考実験だと思ってもうちょっとつきあってよ。

●アナクシメネス(B.C.546頃盛年40歳)
アナクシメネスも万物のアルケーを「無限なるもの」というんだけれど、彼の場合は逆にそれは「空気」であると、再び具体的なものに求めている。
空気は、水と火のように対立するものってある?
ちょっと見当たらないよね。
だから、アナクシマンドロスと違って、ペア関係を乗り越えた普遍性を見出せるし、しかも感覚的にも検証可能なものだと考えたんだ。
水と同じように空気がなければ、生きとし生けるものは存在しえないという点からも、やっぱり古代ギリシアは感覚的に捉えられる生命的な不可思議さから世界をとらえる傾向があったんだと思う。

●ピュタゴラス(B.C.570?-B.C490?)

この三人がいた地域をイオニアというんだけれど、B.C.6世紀半ばにペルシアが急速に台頭しはじめ、B.C.494年にはミレトスが陥落しイオニア文化は全盛期を終える。
イオニアというのは、今のトルコのエーゲ海に面したアナトリア半島あたりを指している。
古代ギリシアといっても、今ではアジアと呼ばれる地域で自然哲学は生まれたんだ。
その動乱期に伴い、少しずつ彼らは西のイタリア半島やシチリア島に移動していくんだ。
その一人がピュタゴラス。
数学で耳にしたことのある人物だよね。
彼はとても謎めいた人だった。
彼は南イタリアに到着すると、死後の魂の運命と救済なんかを説く宗教団を結成してしまう。
なんか、彼はシャーマンだったり、相当のカリスマ性がある宗教者だったというんだよね。
これが数学者としての彼のイメージと全然結びつかないかもしれないけれど、彼の宇宙観と結びつくのが不思議で面白い。
それをつなぐのが音楽だった。
彼は肉体を清めるためには医学が必要だと考えたのだけれど、魂を救うためには音楽を用いたとされています。
僕は音楽が苦手なのでよくわかっていないんだけれど、ピアノを弾く友人によると、クラシックの楽譜はとても数学的に構成されているんだというんだよね。
音楽をやっている人、これってなんとなく理解できる?
ピュタゴラスもそうで、なんで音楽に魂の解放感があるんだろうと分析してみると、音階上の主要な音のあいだにはオクターヴ2:1、五度音程(3:2)などといった数的な比例関係があることを発見したと言われています。
だから、数学とは深く音楽を聞き取る方法であるというんだ。
これを一言でいうと世界を統一している「調和」(ハルモニア)を聞き取ることなんだと思う。
もっとも、ヘヴィメタルのような不協和音てきなものにピュタゴラスは調和を認めたとは思えませんが…

少し話は脱線するけれど、数学の先生は数学には美しい解答と美しくない解答があるとよく言います。
それが何を意味するか僕はいまひとつわからないけれど、どうやらシンプルかつ調和している解答があるらしい。
脱線しまくるけれど、小川洋子『博士の愛した数式』という小説知っている?

この小説は映画化されたし、とてもおもしろい。
もし、この小説と先に出会っていれば、もう少し数学に興味をもったかもしれないなぁと思えるほどだ。
話の内容は、80分しか記憶が持たない元数学者「博士」の家に依頼されてきた家政婦の「私」と彼女の10歳の息子との三人が、数学を通してあたたかいつながりを紡ぎだしていくというものだ。
その中に、こんな場面がある。
博士に誕生日を尋ねられた「私」が「2月20日(220)」と答えると、博士は「ほう、不思議だ!」と驚きながら、彼が大学時代に超越数論に関する論文で学長賞を獲った時に貰った腕時計の文字盤の裏の番号No.284(284)を見せながら、220と284が友愛数の関係にあることを説明する。
友愛数って何?
それぞれの約数を数え上げてみてほしい。
220の約数は、約数は1, 2, 4, 5, 10, 11, 20, 22, 44, 55, 110, 220である。
一方、284の約数は1, 2, 4, 71, 142, 284 で ある。
じゃあ、それぞれの約数の和を出してごらん。すると両方とも504になる。
なんか不思議な縁を感じるよね。
この約数の和同士が一致する数字を友愛数というんだ。
彼女の誕生日と博士の記念すべき腕時計の番号の一致。
こんな風に一見関係のなさそうな現象同士が、見えない何かで結ばれていて宇宙の調和は保たれている。
そのことをピュタゴラスは宇宙全体に数的な関係に基づいた調和が実現していると理解したんだと思う。
これは後々、ガリレイやニュートンといった近代科学の思想に結びつく大切な視点なんだ。
ちなみに彼は、数の神秘性を「テトラクテュス」という図形に見出して祈りに捧げたともいわれている。

テトラクテュスというのは、1から4までの整数の和が10であることを「点」でピラミッド型の図形に表したものだ。
ここに宇宙の調和である「数」を示すものとして、そこに神性性を見出したんだ。
これが彼にとっての「驚き」によるアルケーの発見だったんだね。

●ヘラクレイトス(B.C.540?-B.C.480?)

イオニアから南イタリアなどの西方へギリシア文化が移ったとはいえ、イオニア地方でも発展を遂げた。
その代表がエペソスのヘラクレイトスだ。
ヘラクレイトスの有名な言葉は「万物は流転する」というもので、世界の生成流転を「火」になぞらえたものだった。

「水」に劣らず「火も不思議な現象だ。
だって、火は小さな火花がついては消え消えてはつくという無数の運動を瞬間的にくり返すことで、ひとつの秩序としてまとまりをなしているからだ。
世界は変化し続けることで安定している。
だから、「戦争は全ての者の父であり、すべてのものの王である」とさえいうんだ!
なんだか恐ろしい気もするけれど、世界から一歩引いてみたとき、そうした残酷性の下で世界はまとまっているともいえる。
なんて矛盾に満ちた言葉なんだ!でも、個の逆説性に真理を直観させるだけの力が哲学の言葉の魅力でもあるんだ。
日本では鴨長明が「行く川の流れはたえずして、しかも元も水にあらず」といったね。
これは仏教の「諸行無常」という世界観とつうじるものがあるかもしれないね。

●パルメニデス(B.C.515?-B.C.450?)
でも、こうした物質の生成流転によって普遍的なアルケーを発見することに矛盾があると異を唱える哲学者が登場した。
それが南イタリア西岸エレアのパルメニデスだった。
水でも火でも物質である以上、いずれ消滅する。
彼は、論理的に考えれば、消滅するものを用いて「在ること」の不変的なアルケーを説明するのは矛盾しているといったんだ。
「在るのなら、在ったでも在るだろうでもなく、徹頭徹尾在るのでなければならない」
「在る」」ということは過去にあったということも、未来にあるだろうということでもない。
あるものは、まさに今、ここにあるんだ!
不動の存在に運動や生成消滅、変化でもって語っちゃいけない。
ということは、パルメニデスにとって何かがあるということは時間という条件がないんですよね。
無時間において存在することが「在る」ということ。
でも、そんなことってありうるの?
「いま」といった瞬間、まさにそれは川の流れのようにつかまえることができないじゃないか。
これはとても興味深いことですし、現代思想でもベンヤミンとかデリダという難解な人たちが扱っている問題です。
それはともかく、まさに論理的な思考を徹底した哲学とはこんな感じですね。

●ゼノン(B.C.490?-B.C.430)
パルメニデスの思想を受け継いだのがエレア派と呼ばれる人々です。
その一人ゼノンの「アキレウスと亀のパラドックス」という話を聞いたことありますか?
アキレウスは俊足の持ち主。それに対して亀の歩みがのろいことはいうまでもありませんね。
ところが、ゼノンは先に歩いている亀をアキレウスは追い抜くことができないというんだ。
なぜか?
たとえばアキレウスが10m進んだ時に亀は5cm進んでいる。
さらにアキレウスが10m進んだ時には亀はさらに5cm進んでいる。
こうして、アキレウスがどんなに猛スピードで亀に迫ろうとも、亀は必ず幾分か進んでいるために、永久にアキレウスはカメを追い抜くことができないというんだ。

実際にはそんなことは起きませんよね。
ここにはパルメニデスが存在から運動や変化を抜きに論じようとした思想を引き継いだゼノンの思想が示されています。
でも、これをめぐってはアリストテレスやヘーゲルといった名だたる哲学者たちが議論を尽くしてきた歴史があります。
皆さんはこのゼノンのパラドックスにどう応えますか?

●エンペドクレス(B.C.492?-B.C.432?)
エレア派では、もう一人エンペドクレスにふれておきましょう。
彼もまた、「在るもの」は「ないもの」から生じることは不可能だと考えましたが、その永遠に不変であるものを「火・土・空気・水」の四元素に求めました。
この四元素が混合したり、分離したりすることで自然はつくらているというんですね。
たとえば、土:水:火=2:2:4の比率で白い骨が形成されるというんです。
これをくっつけるのが「愛」であり、分離するものが「争い」だといい、これによって宇宙は形づくられているというんですね。
もちろん、現代の科学がからすれば荒唐無稽な理論かもしれません。
でも、問題はこの世界に存在するものの不思議さを、シンプルな原理=アルケーによって解こうとした点であることは言うまでもないよね。

●デモクリトス(B.C.460?-?)

さらにパルメニデスの存在論に対しては、「在るもの」は「分割できないもの」と「空虚」だけであるとしたのが、デモクリトスである。
この分割できないものをアトマと言いますが、英語ではアトム、つまり「原子」です。
鉄腕アトムが原子力発電とともに登場したことは知っているかな。そのアトムね。
原子という言葉は理科で習ったことがあるよね。
でも、いまや現代物理学は原子や分子どころか、どんどんどんどんそれ以上に物質を分割できるものとして分析している。
クウォークが最小単位だなんていわれているけれど、それもさらにクウォークは何でできているのという問いを立てれば、それ以上にまた分割できるのかもしれない。
これもまた無限の問いですよね。
ともかく、デモクリトスは必ずしも物質に原子=アトムを当てたわけではなく、これ以外に別のものにはなりえないものという意味が込められている。
それが分割不可能という意味です。

このほかにもまだまだ紹介したい自然哲学者はあまたいるんだけれど、
ここいらで止めておきます。
重要なのは、自然哲学者たちが何を探求していたのかということですね。
水や火、空気という中性的な物質に万物のアルケーを見出そうとしたことは理解できたと思います。
ただし、それは今日ぼくたちが慣れ親しんだ科学的な思考とは別な仕方なんですよね。
常に神秘性がつきまとう。
そこには、この多様なもので満ち溢れているものたちの根源をシンプルな原理でつかみたいという欲望もあるんだと思う。
けれど、だんだんパルメニデスやデモクリトスのように具体的な物質性から抽象的な論理によって、そこを突き詰めていこうとしたとき、そんなものほんとうにあるの?という疑問に僕たちはぶち当たるんじゃないかな。
二人がこだわっている無時間的な「在る」とか、分割不可能な「アトム」なんて、ほんとうにあるの?ってね。
これは、人間の思考の限界までぶち当たっていることなんだと思う。
神話によっても科学によっても答えの出しようのない、一見矛盾に満ちた事態。
この思考が宙吊りにされるような感覚の経験。
これが、さしあたり自然全体を相手に世界の根源を見出そうとした自然哲学者たちの思考の戦いだったのだと思う。