東京23区のごみ問題を考える

脱焼却の循環型ごみ処理システムは可能か!!
~ごみ問題のスクラップブックとして~

ごみ焼却施設の立地を巡り、「ごみ戦争」は今も昔も、

2019年06月18日 09時08分23秒 | 東京23区のごみ

深川塵芥処理工場(昭和4年8月 竣工)
「東京都清掃事業百年史」第2節 焼却作業の機械化 太平洋戦争前のごみ焼却場建設から


久しぶりに調べ物があって「東京都清掃事業百年史」を開いたので、
大正、昭和初期のごみ焼却施設の建設を巡るいざこざなどを読んでみた~

東京では、「ごみ戦争」というと、
誰もが美濃部都知事の「東京ごみ戦争」宣言を思い浮かべるであろうが、、、

なにも、、「杉並清掃工場」の建設反対運動がはじめではないのだと再確認、

東京では、大正13年の「大崎塵芥焼却場」が初めて建設されたごみ焼却施設
明治後期、大正初期も建設計画はあれど、、、建設に至らずは多く、、

大崎塵芥焼却場から現在に至るまでの焼却施設を一覧表にしてみた~

昔は、ほんとうに煙もくもくのばい煙が大きな社会問題であったのだ、
そして、多摩川、北、足立、葛飾等でも建設巡る根強い反対運動、、、

一覧表にして眺めてみると、、、
結局は、現在も稼働している多摩川、北、練馬、板橋、足立、千歳等などが、、昭和初期から繰り返し繰り返し繰り返し建替で、その地で今なお稼働ということになっている。江東の場合は、初期は深川、、、後日また~


東京都清掃事業百年史」は見応えがある。なにしろいろんな写真や資料もあるし、少々お高いが、、
下記の論文でも大正末から昭和初期の東京市周縁部の準用町におけるごみ焼却炉導入の動きなど詳しく出ている~

廃棄物資源循環学会論文誌,溝入 茂
【論  文】大正末から昭和初期にかけての東京府渋谷町と目黒町のごみ戦争-迷惑施設の立地に関する考察ー」 

大正末から昭和初期の東京市周縁部の準用町におけるごみ焼却炉導入の動き

 

東京23区の廃棄物焼却施設等の変遷(PDFファイル)

 東京23区の廃棄物焼却施設等の変遷

工場名 工 期 敷地面積
(約 ㎡)
建設費
(円)
炉 型 式 規模
(炉・基数)
備考
着 工
年 月
竣 工
年 月
明治34年(1901)  深川区平久町埋立予定地に塵芥投棄場設置 露天焼却開始露天焼却開始 汚物掃除法(1900) 
ごみの収集処分が市の義務となる
明治40年(1907) 綾瀬村に、じん芥焼却炉建設の案崩れる(用地は買収済)
大正4年(1915) 品川第3第6砲台のじん芥焼却場建設計画崩れる
大崎塵芥焼却場    大正
13.11
447坪73 48,000円 かまど式(固定バッチ式) 
片山式自然通風式
22t/日 昭和39年まで全てこの方式
用地買収費16,744.45円
渋谷町ごみ焼却場   大正
14.3
ごみ焼却場をめぐる町同士の対立 30t/日 目黒町内に建設、昭和7年廃止
大井塵芥焼却場   昭和
2.4
775坪 3,000円 かまど式(固定バッチ式)  26t/日 借地料年間651.00円
戦後廃止
昭和2年(1927) 深川地先8号地埋立開始(露天焼却)露天焼却で10万貫(約375t)、工場で20万貫(約750t)
王子塵芥焼却場   昭和
3.11
454坪 48,313.83円 かまど式(固定バッチ式) 30t/日 用地買収費14,220.00円
入新井塵芥焼却場   昭和
4.5
323坪 1,929.33円 かまど式(固定バッチ式) 37t/日 用地買収費10,425.44円
深川塵芥処理工場
第一工場
  昭和
4.8
3工場
7,693坪16
88,619.84円 かまど式(固定バッチ式)
高熱焼却式 選別焼却方
131t/日
(16炉)
選別式焼却法を採用した初の焼却場、
1,2,3工場借地料年間14,387.68円
戸塚町ごみ焼却場   昭和
5
煤煙で使用できず 使用しないまま、昭和7年廃止
汚物掃除法改正 昭和5年(1930)ごみ焼却義務化、し尿くみ取り義務化
大崎塵芥焼却場
第二工場
  昭和
6.5
    かまど式(固定バッチ式) 11t/日 昭和48年(1973) "大崎清掃工場操業休止
昭和49年(1974) "大崎清掃工場廃止
日暮里塵芥焼却場   昭和
6.12
520坪64 35,576.43円 かまど式(固定バッチ式) 30t/日 借地料年額1,561.92円
昭和49年(1974) "日暮里清掃工場廃止
昭和7年(1932) 編入に伴い大崎、大井、入新井、王子、日暮里の各焼却場引き継ぐ(東京市域大拡張、5郡82町村を編入、35区となった。)
深川塵芥処理工場 第二工場   昭和
8.3
3工場
7,693坪16
79,771.66円 かまど式(固定バッチ式)
高熱焼却式 混合焼却方式
136t/日 厨芥粉砕工場・醗酵堆肥工場(ベッカリー式厨芥通気発酵貯槽)完成
深川塵芥処理工場 第三工場   昭和
8.3
3工場
7,693坪16
かまど式(固定バッチ式) 
高熱焼却式 混合焼却方式
第一、第二、第三工場で 1年間平均1日25万貫(約940t)処理
蒲田塵芥焼却工場   昭和
11.5
748坪 46,778.58円 かまど式(固定バッチ式)  約47t/日 用地買収費10,512.00円
昭和49年(1974) "蒲田清掃工場廃止"
足立塵芥焼却場   昭和
11.11
1,001坪25 61,472.72円 かまど式(固定バッチ式)  約28t/日 用地買収費17,576.00円
排ガス再循環方式
昭和14年(1939) 東京市、深川塵芥処理工場でごみ発電のための実験開始
昭和23年(1948) 焼却場の復旧に着手
昭和24年(1949) 蒲田じん芥焼却場復旧、8月焼却開始、操業再開 45t/10時間 復旧費用 43万9,600円
昭和25年(1950) 日暮里塵芥焼却場復旧、2月 30t/10時間 復旧費用 140万1,500円
昭和25年(1950) 大崎塵芥焼却場復旧、3月 34t/10時間 復旧費用 130万円
千歳塵芥焼却場 昭和
16
昭和
30.8
    かまど式(固定バッチ式)  260t/日
(65tx4)
戦争で工事中断
昭和42年(1967) 千歳清掃工場操業停止
昭和30年(1955) 塵芥焼却場からごみ焼却場へ改称
昭和32年(1957)4月 東京式ごみ高速発酵堆肥化装置竣工(8号地)(36年4月廃止)
昭和32年(1957)4月 ごみ焼却場を清掃工場と改称
(千歳ごみ焼却場を第一清掃工場、大崎ごみ焼却場を第二清掃工場、日暮里ごみ焼却場を第三清掃工場、蒲田ごみ焼却場を第四清掃工場に変更)
第五清掃工場   昭和
33.8
約15,000   かまど式(固定バッチ式)  400t/16h 大型焼却炉6 基(1 炉予備) 昭和40年9月 石神井清掃工場建替えのため作業中止
昭和36年(1961)5月 清掃工場の名称変更
第一清掃工場から第五清掃工場をそれぞれ千歳清掃工場、大崎清掃工場、日暮里清掃工場、蒲田清掃工場、石神井清掃工場に変更
昭和36年(1961)5月 ダノ式高速発酵堆肥化施設竣工(板橋清掃工場内)(41年3月廃止)
板橋清掃工場 昭和
36
昭和
37.10
1万3,000坪   かまど式(固定バッチ式)    燃焼排ガスの除じんにサイクロンとベンチュリースクラバーが採用 昭和46年3月で建替へ
多摩川清掃工場 昭和
32
昭和
37.12
    かまど式(固定バッチ式)    反対運動で昭和36年工事再開、
昭和44年4月に廃止
工場名 工 期 敷地面積
(約 ㎡)
建設費
(百万円)
炉 型 式 規模
(炉・基数)
備考
着 工
年 月
竣 工
年 月
足立清掃工場 昭和
37
昭和
39.3
1,213 1,150 チェーンストーカ式   連続式機械焼却炉導入
昭和48年11月に廃止
葛飾清掃工場 昭和
37
昭和
39.3
  1,200 チェーンストーカ式 600t/日 連続式機械焼却炉導入
昭和48年8月に廃止
昭和40年(1965) 夢の島ハエ撲滅焼却作業実施ハエ退治のため、夢の島焦土作戦実施 
昭和41年(1966) 杉並区高井戸に清掃工場建設を発表
 
江戸川清掃工場 昭和
39.12
昭和
41.10
19,704 1,437 タクマ式焼却炉 600t/日
(200tx3)
都内初の連続燃焼炉3基を、電気集じん機採用 平成5年建替えのため廃止、平成9年1月新工場竣工
昭和41年(1966) 杉並清掃工場建設用地、上高井戸地区に決定、都案白紙撤回運動はじまる。
「杉並清掃工場上高井戸地区建設反対期成同盟」結成
北清掃工場 昭和
41.7
昭和
44.3
10,470 1,681 フェルント式焼却炉 600t/日
(300tX2)
都では初めて外国技術を導入した焼却炉
平成2年建替で操業停止平成10年3月新工場竣工
世田谷清掃工場 昭和
41.10
昭和
44.3
27,846 3,136 日立造船
デ・ロール式
900t/24h
(300t×3)
昭和55年には煙突筒身劣化事故、煙突建替えとデザインの公募
石神井清掃工場 昭和
41.6
昭和
44.3
15,763 2,069 日立造船
デ・ロール式
600t/日
(300tx2)
昭和58年4 月、名称を練馬清掃工場に変更、平成元年焼却炉を稼働しながらのプラント更新
千歳清掃工場 昭和
42.10
昭和
46.3
17,062 2,285 タクマ式H 型 600t/日
(300tx2)
平成3年(1991) 千歳清掃工場の廃止、建替、平成8年3月新工場として竣工
昭和46年(1971) 美濃部都知事「東京ごみ戦争」宣言、東京都ごみ戦争対策本部設置
昭和47年(1942) 杉並清掃工場建設問題で反対期成同盟と「覚書」で合意
昭和48年(1973) 清掃工場の排水・排ガス測定結果を発表。一部から公害防止条例規制基準を越えるカドミウム、鉛を検出 
23区で不燃、焼却不適ごみ分別収集開始
大井清掃工場 昭和
45.10
昭和
48.9
53,767 5,737 日立造船
デ・ロール式
1,200t/24h
(300t×4)
品川清掃工場 プラント更新へ
多摩川清掃工場 昭和
46.4
昭和
48.11
26,948 2,997 タクマ
H型 
600t/24h
(300t×2)
昭和54年煙突座屈事故、、平成11年3月廃止、プラント更新へ
江東清掃工場 昭和
45.10
昭和
49.3
86,738 9,339 タクマ式H 型焼却炉 1,800t/日
(300tx6)
平成10 年3 月、新工場の開設にあわせて、旧工場は廃止
板橋清掃工場 昭和
46.7
昭和
49.12
44,424 4,548 日本鋼管
フェルント式
1,200t/24h
(300t×4)
昭和54年9月煙突座屈事故、平成11年3月廃止、プラント更新へ
葛飾清掃工場 昭和
48.12
昭和
51.12
52,000 22,100 三菱重工
マルチン式
1,200t/24h
(400t×3)
反対根強く、本稼働は52年2月(6月発電開始)プラント更新へ
足立清掃工場 昭和
49.4
昭和
52.9
34,000 15,700 日立造船
デ・ロール式
1,000t/24h
(250t×4)
反対運動根強く1,200t /日規模から焼却750t /日、予備炉250t /日に、プラント更新へ
昭和53年(1978)1月 高温溶融処理実験施設が中央防波堤内側処分場内に完成(1月26日 竣工引渡式)
昭和53年(1978)10月 都市ごみコンポスト化実験施設竣工
昭和54年(1979)6月 中央防波堤内側処分場内に粗大ごみ破砕処理施設竣工
杉並清掃工場 昭和
54. 4
昭和
57. 12
36,000 17,787 日本鋼管
フェルント式
900t/24h
(300t×3)
自動車交通対策を重視
建替
光が丘清掃工場 昭和
55. 10
昭和
58. 9
23,000 10,547 三菱重工
マルチン式
300t/24h
(150t×2)
地域冷暖房に熱供給
建替
昭和58年(1983) 使用済み乾電池の処理が社会問題化 昭和59年(1984)清掃工場排ガス中の水銀濃度測定結果第1回目公表
昭和60年(1985) 3月 コンポストセンター竣工(平成6年コンポストセンター中止)
大田清掃工場 第一工場 昭和
62. 3
平成
 2. 3
92,000 19,824 タクマ式
HN型
600t/24h
(200t×3)
休止
第二工場 平成
2.3
32,570 日立造船
熱分解焼却炉
600t/24h
(200t×3)
不燃ごみ処理施設 廃止
建替、新大田清掃工場建設
交流アーク式 500t/24h
(250t×2)
廃止
目黒清掃工場 昭和
62. 10
平成
 3. 3
29,000 17,976 日本鋼管
フェルント式
600t/24h
(300t×2)
建替
破砕ごみ処理施設 平成
 2. 7
平成
 4. 7
5,000 6,400 荏原
流動床
180t/24h
(180t×1)
平成27年度末で休止
練馬清掃工場 平成
平成
 4. 9
15,000 10,548 川崎重工
サン型
600t/24h
(300t×2)
建替

 

詳細は東京23区の廃棄物焼却施設等の変遷(PDFファイル)

 

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