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新・我歩我遊

~walkman・徒歩日記~

     

[19]根岸競馬場(横浜競馬場)

2014-10-06 | ◆建築物探訪

真夏に横浜元町から訪れ

根岸森林公園で見つけた旧根岸競馬場です。

元町からつづくなだらかな丘陵地に建ち

戦後から最近まで(1981年)米軍の管理下にあった建造物です。

未だに森林公園周辺には米軍関係の施設も多くありますが

突如表れる廃墟のような建物は

マニアにとって有名な建造物になっているようです。

芝生のある公園側が正面だと思っていましたが

ちょうど建物の裏手になり

反対側にレース場、パドック(下見所)があり

いまでは3本のエレベータ塔が建物の支えになっているように

錯覚するくらい印象に残る建物です。

当時は

こんな所で競馬を楽しむお洒落な人も多かったのかもしれません。

[竣 工] 1929年(昭和4年)

[所在地] 神奈川県横浜市中区根岸台

[設 計] H.モーガン(アメリカ) 



[18]旧 伊藤博文金沢別邸

2014-09-26 | ◆建築物探訪

金沢八景歩きで見つけた、旧伊藤博文金沢別邸です。

野島の入口にあり

目の前の八景島越しに海を眺めることができる

当時の美しい景観を想像できる浜辺に建つ別邸です。

いまでも贅沢過ぎるほどの間取りで造られ、

サワラ材で造られた大人数で入れそうな広いお風呂が印象的です。

当時は多勢の政府高官をはじめ

大正天皇、裕仁親王(昭和天皇)も訪れたと言われるほど歴史を物語る所でもあり

文化的価値も含め建築としても価値のある建物です。

[竣 工] 1898年(明治31年)

[改 築] 2009年(平成21年)1031日 

居間棟の湯殿、台所棟の玄関・水屋等、資料を基に復元。

[所在地] 横浜市金沢区野島町

[構 造] 茅葺寄棟屋根、田舎家風意匠をもつ海浜別荘建築

 



[17]三菱一号館

2012-08-05 | ◆建築物探訪
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外装もふくめ当時としては珍しくテナントごとに入口、階段、トイレが設置された丸ノ内最初の洋風貸事務所です。[16]に記した第一生命館などの建物にくらべ、レンガ造りの脆さか関東大震災、大戦では多くの被害を受けのちの再開発では、レンガ造りの建物が激減していったようです。このあたりの再開発で現在の建物は当時の建物に似せ、レプリカ再建されたもので、竹中工務店が施工しました。
冬のイルミネーションが始まるころに何度か見ていて、はじめて見た時には、東京の真ん中にまだこんな建物があるんだと思っていましたが、レプリカであっても不思議と当時のことが思い浮かびます。
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[竣 工] 1894年(明治27年)6月30日
[改 築] 2010年(明治27年)4月6日
[所在地] 東京都千代田区丸ノ内二丁目
[設 計] ジャサイア・コンドル 曽禰達蔵  
[施 工] 三菱地所・竹中工務店(改築)
[構 造] レンガ組積造(イギリス積)





[16]第一生命館

2012-08-03 | ◆建築物探訪
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日比谷のお壕端、帝国劇場あたりに出かけると目の前に現れるのが第一生命館です。
ご存じの通り戦後、連合軍総司令部(事実上・米政府)・GHQが置かれた建物です。
見た目もそうですが、それ以上に頑丈に出来ていたからこそ、当時の米軍はここに総司令部を置いたとも言われています。以前に訪れ[5]でも紹介した明治生命館同様にお壕端には数々の建築物遺産がありますが、現在の第一生命館は時の流れと共に全面改装を行い、昔ながらの建物を残し再開発されました。当時とは違ったイメージなりましたが、お壕に浮かぶ前面の建物が当時を偲ばせてくれました。
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[竣 工] 1938年(昭和13年)11月3日
[改 築] 1989年(平成元年)12月解体(東寄り部分)
      1993年(平成5年)10月1日改装(西寄り部分)
[所在地] 東京都千代田区有楽町一丁目13番
[設 計] 渡辺仁、松本与作  
[施 工] 清水組(現・清水建設)
[構 造] 鉄骨鉄筋コンクリート構造





[15]横浜市開港記念会館

2012-02-25 | ◆建築物探訪
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横浜市開港記念会館(ジャックの塔)です。
開港50周年(明治42年)を記念し設計を一般公募、福田義重氏の原案が採用され全額市民の寄付で建てられた公会堂です。この日は中の様子は見れませんでしたが講堂もあり、大阪にある中之島公会堂と共に大正期に建てられた公会堂では共に有名な建物でもあります。大震災で倒壊し、復旧工事で昭和2年に復元されましたが、終戦後に進駐軍により接収、接収解除までの13年間は米軍の“メモリアルホール”として使用されてました。翌年の昭和34年、いまの横浜市開港記念会館に名称変更され補強修理も積重ね現在の横浜三塔(「キングの塔」(神奈川県庁本庁舎)、「クイーンの塔」(横浜税関本関庁舎)のひとつ「ジャックの塔」として人々の目を引き付けています。
また、中にある数々のステンドグラスも震災で焼失後、昭和2年に当初のものと同様に復元され非常に価値の高い作品として残されています。
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[竣 工] 1917年(大正6年)6月
[所在地] 神奈川県横浜市中区
[設 計] 原案:福田義重 山田七五郎 佐藤四郎  
[施 工] 1917年(大正6年)6月
[構 造] 煉瓦造(一部RC、SRC造)