うなぎの与三郎商店

目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、教育・古典など。タイトルは落語「うなぎ屋」より(文中敬称略)

糸〜もういないけどいるよ

2019-08-13 23:00:00 | 随想 Home! Sweet Home! ―家族の物語―
【糸〜もういないけどいるよ】

《集まり散じるルーツのこと》

 先月末に同じ市内にある妻の実家を訪れたとき、義父から幼少期の話を聞いた。目白の千登世橋の近くに住んでいたという。鬼子母神で遊んだこともあったとのこと。都内に住んでいたのは知っていた。エピソードを聞いたこともあった。でも、具体的な場所——番地まで聞いたのは初めてである。

 あまりにも「ご近所」でびっくりした——というのも、私は学生時代に東池袋の都電乗り場のすぐ近く、木造アパートの2階の四畳半(半畳の台所付・風呂なし・トイレ共同)に住んでいて、夏目漱石の眠る雑司が谷墓地もその少し先の鬼子母神もそれなりに身近な存在だったからである。

 先日、その千登世橋を訪れた。妻と娘が新宿で「レオ・レオーニ展」("レオ・レオニ"じゃないのかな)を見に行き、私と息子が池袋を巡り、夕方落ち合うという家族トリップのついでである。車で新宿まで行き、西口で妻と娘を降ろし、その後池袋へ向かい、鬼子母神の近くのコインパーキングに車を止めて、息子と二人で訪れた。

 高校生になった息子はカメラに夢中になり、ちょっと目を離したスキにあっというまに技を磨き、私など到底追いつかないレベルになっている。時々思うのだが、息子や娘に限らず、人はわずかな期間に劇的な成長を遂げ、それ以前とはまったくと言っていいほどの別人になることがある。年齢は関係ないとは思うものの、出会いには旬というものがあり、若いときの出会いは一生を左右するほどのかけがえのないものとなる……うらやましいような、怖いような。

 その息子を同行して、細い路地から千登世橋を目指し明治通りに出ると、すぐ目の前が千登世橋だった。あっけなかった。歩道橋の向こう側、通りに面したマンションが義父の生まれ育った場所(跡地)である。そう言えば、近くにドイツ文学者の高橋義孝の自宅があったというが、こちらは詳しい番地を確かめずに来てしまった。

 私はiPhoneで、息子は一眼で近所の写真を撮り、それからサンシャインへ向かって歩いた。展望台から撮影しようと思ったからである。最短距離で歩くと細い路地を通る。鬼子母神の周囲が曲がりくねった細い道であるのに対し、同じ細道でも東池袋に近づくにつれて少し整備された小綺麗な道に変わる。この4月、横断歩道を自転車で横断中の母子が暴走車に轢かれて亡くなるという事故があった。その現場となった道端のガードレールには今でも花束が積まれていた。

 息子に声をかける——「父ちゃんが学生の頃に住んでいたアパートはすぐ近くだよ」。サンシャインシティへ一直線にのびる通りを歩きながら、ビルの居並ぶ左手とは反対側の、先ほどの鬼子母神・雑司が谷と似たり寄ったりの細い路地が続く右手を指して言ってみた。左手のサンシャイン前の区画、かつて大勝軒や教育同人社のビルがあった辺りはよほど注意しないと痕跡がわからない。まるで異次元空間である。しかし、通りひとつ隔てた反対側は時が止まったように30年前と寸分変わらぬ姿を見せている。

 東池袋の再開発のことは知っていた。私のアパートがあった区画が取り残されていることも知っていた。実際、数年前に訪れたことがあって、そのときは再開発地域の激変ぶりに少なからぬ目眩を覚えながら、時の止まったあの日あのままの旧居周辺のコントラストも目に焼き付けていた。

 しかし、この日は息子を路地に案内しながら、ただならぬ気配を感じた。激変したビル群ではなく、あの日あのままであるはずの光景に何かただごとでは済まない事態が生じている——路地を入るとすぐに蔦の絡まる廃屋が目に入る。少し進むと、樹木が生い茂った森が現れる。その隣はさすがにあの日あのままの建物、東池袋四丁目児童公園もあの日あのままでホッとしたのもつかの間、さらに進んで左に曲がり、かつての住まいに続く袋小路の路地の入り口に立つ——「〇〇(息子の名前)、父ちゃんのアパートが壊されている……」

 足場が組まれ、建物全体が布で覆われていたから外壁塗装でもしているのかと思って近づいてみると、2棟分の木造アパートがひとまとめに解体された跡に鉄筋コンクリートの建物が建築中だった。ついに消えたか、〇〇荘!

 この「〇〇荘」というのは、学生の頃、自分の住所に「〇〇様方」と書くのが恥ずかしくて私が勝手に大家さんの名前を借りて付けた名前である。入り口が一つで、靴を脱いで板張りの廊下を歩いて自分の部屋に行くという昔ながらの下宿屋だ。郵便受けはアパートの入り口に手作りの箱を連結したものが打ち付けてある。もちろん、勝手なアパート名でも郵便は届いた。隣室の「先輩」は大学4年になっても「〇〇様方」を使っていたし、そもそも「〇〇荘」なんて勝手な名前はアパートの中では私しか使っていなかったはずである。それなのに、その後、市販の住宅地図やグーグルの地図にはなぜかこの「〇〇荘」が書いてある……。

 変わり果てた〇〇荘の前で呆然としていると、視界の片隅を何やら異様な影がよぎった。旧居に気をとられ、見ていたはずなのに気づかなかったが、路地の突き当たりにあった大家さんの親族の家——私が不在の時によく実家からの宅急便を預かってもらっていた家が完全に「森」になっていた。先ほど路地の入口で見かけた森の最深部は大家さんの親族の家だったのか……。ふと、建築現場の掲示を見ると、施主はまったく聞いたことのない人物の名前が記されている。

 ああ、大家さん夫婦も親族のおばあさんも亡くなったのかもしれない。

 気温と湿度が異様に高く、じっとしているだけで汗が吹き出す。息子にとっては馴染みのない場所だ。長居は無用だろう。私は息子に向かってもう一度「ついに壊されたみたいだね」と言って、それからサンシャインシティへ二人で向かった。バスセンターの方から建物に入る。うだるような暑さから一転、冷房の効いた快適で賑やかな空間が広がっていた。ついさっきまでの世界が一瞬にして遠くへ弾け飛んで行った気がした。

 サンシャインの展望台には、昼の明るい時間と夕日が落ちてからの2回昇った。その間、東口のビックカメラ本店でカメラや付属品を見て回った。店員に促されるままミラーレス一眼の上級品(30〜40万円ぐらいするもの)を手にした息子が、感激のあまり顔を紅潮させていた。手にした時の重み、ファインダーをのぞいたときの鮮明な画像、そういった諸々が、アマゾンでネットショッピングするのとは違う感情を引き起こしたらしかった。私は傍で見ていて「ああ、今この瞬間にまた何かが変わったな」と思った。静かな、しかし深い興奮が手に取るようにわかった。

 夜景を撮るときに窓ガラスの写り込みを防止する穴あきレフ板を買った。大は小を兼ねるというから、少々値は張っても大きめのものを買った。それが功を奏したらしく、陽が落ちてから展望台を再訪したとき、息子は撮るたびに感嘆の声を上げながら、これでもかと思うくらい何枚も何枚も熱心に撮影していた。以前、別の展望台で撮影した時は、ガラスに写るカメラ本体や人の姿の写り込みで苦労したらしかった。それがすべて解決し、絶景を収めることができたのだから、落ち着いていろと言うのが無理な話である。

 池袋に移動してきた妻と娘と落ち合った。妻に〇〇荘が取り壊されていたことを話し、実際に「現場」へ足を運んだ。妻もかつてこのアパートに来たことがある。そこから都電乗り場へ移り、家族4人で鬼子母神まで移動した。鬼子母神で降りると、辺りはつい先ほどまでの喧騒を微塵も感じさせない静寂の中にあった。夜になっても気温が下がらず、湿度が異様に高い。人影の絶えた参道を家族で歩きながら、先を行く息子と娘の後ろ姿に込み上げてくるものがあった。この二人がいつまでも仲のいいきょうだいであることや、30年前に自分が住んでいたアパートが消えていたこと、大都会の一角でひっそりと森になっていた廃墟のこと、自分の中で何かが変わったに違いない息子のこと、同じく「レオ・レオーニ展」を見て作画にいっそう意欲を燃やす娘のこと、そして何より、そのすべて——子どもたちのことはもちろん、消えたアパートのことや廃墟のことを語ってもすべてツーカーで話が通じる妻のことなど。

 駐車場のすぐ近くにある義父のかつての住まいの跡に、妻と娘も連れて行った。妻もこの場所について知らなかったという。偶然の巡り合わせでいろんな糸が繋がり、伸びていく感覚。

 車に乗ると、そのまま千葉の自宅まで一気に飛ばした。近くの弁当屋で4人分の弁当を買い、自宅で食べた。私は、昼間どんなに暑くても飲めなかったビールをここで一気に飲んだ。そのうち、息子と娘を含めた4人で飲むことを期待していいのだろうか。4人以外の新しい身内が加わって飲むことを期待してもいいのだろうか。……何ごとも期待しすぎると裏目に出るので、ホドホドのところで寝てしまった方がいいだろう。予定を立てようと思ったところで見えているのは未来のごくわずかな部分だけだ。そのわずかだって当てになるものじゃない。それに人の一生なんてあっという間に終わってしまう。

 次の日は私たち夫婦の結婚記念日だった。子どもたちがわざわざ近所のケーキ屋でケーキを買ってきてくれた。30年前の私も妻も、こんな日のことをどれほど予想できたというのか。こんな子どもたちがいるということはもちろんのこと、そもそもお互いがいっしょにいるということも。
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