うなぎの与三郎商店

目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、教育・古典など。タイトルは落語「うなぎ屋」より(文中敬称略)

人を傷つける仕事

2016-12-21 23:00:00 | 教育 学校・教職・授業論
【人を傷つける仕事】

《教育が「犯罪」と背中合わせであることについて》

 9日のこと。「荒川強啓デイ・キャッチ!」(TBSラジオ)の「ボイス」コーナーで「デイキャッチャー」の宮台真司が、映画監督ルナルド=ベルトルッチを取り上げた〔注1〕。最近、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」(1972年)の演出が問題になったばかりである〔注2〕。宮台は、女優に対する十分な説明と同意なしに性的なシーンを撮影したのは女優の「尊厳」を奪い、壊す行為であったと言う。「尊厳」の破壊は心身の自由を奪う。許されることではない。

 レクリエーション(娯楽)とアート(芸術)の話も出てきた。レクリエーションは、疲れた人間がまた元気になること、元に戻ることであるのに対し、アートは元に戻れないことだと言う。「アートは離陸面と着陸面が違う通過儀礼」とか言っていたっけ。「人を傷つける営み」であるとも。

 人を傷つけるアート、傷ついた人が元に戻れなくなるアートは演出上、相当な力が要求される。それができる人間がアーティスト(芸術家)である。そう考えると、女優の尊厳を破壊しない枠の中で演出できなかったベルトリッチは演出の才能がなかった。ついでに、人畜無害なレクリエーション作品をつくって「芸術家」を僭称する人間も芸術家の名に値しない。

 概ね以上のようなことを述べていた。途中で「ケツ」とか「クソ」という言葉が出て来たのは無視する……。

 この話を聞いて真っ先に思ったのが次の言葉——

教育とは、経験の意味を増加させ、その後の経験の進路を方向づける能力を高めるように経験を改造ないし再組織することである。〔注3〕


 教員採用試験対策には、教育思想家の「名言」を覚えるという作業があって、そのうちのひとつがデューイのこの言葉である。授業ではポーカーフェイスで淡々と説明する。受講生は試験の時、「教育とは……」を見たら選択肢の「デューイ」を選ぶだけのこと。

 しかし、毎度のことながら意味の重い言葉だと思う。というか、なに言ってやがんだ、デューイ。

 デューイ自身は「意味の増加」について「われわれが従事する諸活動の関連や連続をますます多く認知すること」〔注4〕、また「その後の進路を方向づける能力を高める」ことについて「自分が行っていることを知っているとか、一定の結果を意図することができるということは、いうまでもなく、やがて生起することをいっそううまく予想することができるということ、またそれゆえに、有益な結果をもたらし、望ましくない結果を回避するように、前もって用意したり、準備したりすることができるようになること」〔注5〕だと説明する。

 昨日より今日、今日より明日の自分が、またそんな人間の集合体である社会がよりよいものに成長・変化していくかのような進歩的・開発的な教育観である。ただ、見方を変えると「経験を改造ないし再組織する」とは人生が変わることである。あるいは、人生を変えてしまうということだ。

 つまり、教育とは「離陸面と着陸面が違う通過儀礼」(宮台)であり、人生に傷をつける過程である。言いかえるなら、子どもたちの尊厳を保ちつつ傷をつける営み。そうであるからには、親や教師には相当の見識と技術が要求される。昨日覚えたマニュアルを今日ドヤ顔で語る/語れる/語ってしまう未熟者、未熟であるにも関わらず実践してしまう粗忽者が迂闊に手を出せる領域ではない……当たり前か。
 
 私は医療を行って生業を立てているものであるが、常々医療行為というものが人権を侵害することなしに遂行出来るはずがないと考えている。すなわち医療行為はそれそのものが人権を侵害する行為であり、その行為が行えるということは、医療側と患者側の暗黙の諒解(りょうかい)がそこに存在するから成立しているのであると考えるのである。〔注6〕


 教育に従事する人間にもこの程度の認識——「所詮は人権を侵害している」〔注7〕のであって「もしこれが両者間(医療側と患者側)に諒解が成立していなければ完全に傷害罪を構成する」〔注8〕といった厳しい認識が必要だと考える、自戒を込めて。そうでなければとんだ「犯罪者」である。

 一方、教育が娯楽(レクリエーション)だったら——教育によってなにひとつ人生が変わらず、教育コンテンツが単なる消費財だったら、などといったことも考える。考えるまでもなく既にそうなっているのだけれど〔注9〕、それに従事する人間が「親」や「教師」を名乗っているとしたら、これもまたとんだ食わせ者である。


1.「芸術のためにモラルを破ってもいい?」2016-12-09放送。
2.「映画 「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の暴行場面めぐる非難に監督反論」BBCニュースJAPAN2016-12-07。
3.デューイ『民主主義と教育』(上)、松野安男訳、岩波書店(岩波文庫)、127頁。
4.同前。
5.同前、128頁。
6.柴田二郎『病いに医者いらず』(小学館文庫、1999年)——2003年度秋田大学医学部医学科後期試験小論文入試問題より。原典は所持せず、未確認。〔2016-12-26追記〕柴田二郎『病いに医者いらず かしこい患者になるために』小学館(小学館文庫)、1999年、171頁。注7・8にもページ番号を追加。
7.同前、175頁。
8.同前、172頁。
9.例えば「飛び込め――隣のレミング〔修正版〕」2014-08-14参照。
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