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傷付き、失礼、差別的、息苦しい。

 非・該当者が該当者を慮っているのか代弁💩しているつもりなのか「誰それを傷付ける」「誰それに失礼」「差別的だ」という言葉。
 的を射ているとわたくしも"思って"しまうことがある。主にわたくしが非・該当者であるときに。


 以前、盛んに更新していたサイトで、とある人が「~なんて、◯◯に失礼」という表現を使った。それは自分の言論の正当化のために「◯◯」を持ち出してきたわけだ。
 そしてまぁ、言ってしまえばそこに当たるのは「作り手」なのだが、言っている本人も作り手であれば、わたくしも作り手で、しかしわたくしはその意見には反対だったし、別に失礼だとは思わなかった。

 「誰それに失礼」という文言は大義名分的で、自己正当化したまま他人を殴れる曖昧な言い方だと思いますね。主にどのように失礼なのか聞きたいところです。


 で、わたくしは思い悩むことは多いのですが「傷付いた」という自覚に乏しいというか、「傷付いた」という認識はなくて、腹が立った、気に病む、悩んでしまう、不安、とか、そういう言語化というか表現というか分析をしてきたので、「傷付いて」いるという状況がまだしっくりきていない。

 わたくしは反出生思想持ちで、子供が嫌いで、遺伝子的にも片輪で、家系的にも片輪が遺伝するのが目に見えているのですけれども、生殖というか子供の話がまぁまぁ、意識持っていかれちゃうんですよね。

 でも産みたい欲はマジでないので、別に"傷付い"ているわけではないし、"産めない"点に於いてのコンプレックスは特にないんですけど、まぁ、子供云々の前にマトモじゃなかった点については多少の後ろめたさは否めないですね。

 それはそれとして、産む・産まない・産める・産めないはナイーブな話らしくて、"産みたくても産めない人"への配慮()がめちゃくちゃ過剰な気はしますがね。
 

 何が言いたいのか忘れたんですけど、まぁ、世の中はパートナー主義で、子供がいるのが幸せで、恋愛は乜ッ勹スで、恋愛は告白するのが正義で、好き合っているのなら交際する、という主流になっていて謎なんだよな。

 わたくしはほぼほぼマジョリティなんですけど、たまにマイノリティの側にいるな、ってなるときに、配慮してほしいとかは別に思わないし、失礼とも思ってないし傷付いてもないし差別されたとも思ってないけど、ま、最も適当な言葉でいえば、息苦しいわな、と。

 で、その息苦しさを取り除くのは社会の仕事ではないのよ。わたくしの一個人的なワガママだったりするわけ。
 だって、わたくしの後ろめたさを引き摺り出してくるな、なんてあたおかですわ。

 マジで意味も中身もない記事だったな。




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