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みゆーのおようふく

暇を見つけてはぼちぼち、のんびりソーイング♪子育ての息抜きです。

友達の一時帰国 2014

2014-10-29 09:36:26 | 雑感
 毎年、この季節、オーストラリア(メルボルン)に在住の幼馴染が3週間ほど帰ってきます
今年はお父さんの7回忌だったそうです。

 秋に再会するのが恒例行事。

 1回目はランチ。その後我が家で、子供の帰りを待ちながらのおしゃべり。

 2回目は三井アウトレット行き。

が、毎度のパターン。


 お土産には、オーガニックコスメの洗顔料をお願いしました。

 
 まだ日本に入ってきてないブランドらしい。甘いバニラの香り
 そして、珍しい味のTimTam。

 オーストラリアは物価が高いらしく、日本のラーメン屋の1杯のラーメンが1400円くらい
するそう。

 特に滋賀でも湖東地域のこの辺。ランチも700~1000円までで食べられるので(メイン、ライス、サラダ、スープ
付き)、友達はオーストラリア人のダンナを驚かそうと写メをとっていました。
 
 アウトレットでは、KALDIの商品を見てオーストラリアとの相場と価格比べも楽しいようです。
TimTamだけは、現地で買うのと値段が変わらないなぁ・・なんでやろ?だって。
 友達は、帰国すると、洋服をまとめ買いして帰るので(オーストラリア人と体型が違うし、向うでは合う服がないらしい)、
今年もお仕事着をいっぱい買っていました。

 オーストラリアのダンナさんは、2年前に我が家の子供たちと出会ってからすっかりお気に入りで
成長を遠くで見守ってるらしいです。
去年と同様、FaceTimeでテレビ電話の予定が・・・
 私のiPod Touch4では、今年の春から出来なくなったみたいなので・・・
 
 来月、友達のiPhoneを我が家のWiFiでつなげて再チャレンジの予定です。

 
 

 

四十九日法要

2014-10-17 09:43:12 | 雑感
 父の四十九日法要(満中陰)が月曜日に終わりました。

 夕方から台風接近だったけど、朝10時半~。食事を挟んで2時には終了。
お寺さんが、台風対策の為、朝から戸締りをしたそうなので、お寺には行けなかったけど。
無事、終わりました。
(実家は、浄土宗。宗派すら、あまり実感せず、今まで生きてきました)

 月曜日は、祝日も多く、三七日、四十九日と大きな節目には、ちょうど休日。
父親、ちゃんとみんなのことを考えたタイミングで亡くなったのかな・・・なんて。

 毎週月曜日の夜に、お寺さんに来てもらっていましたが、ここで節目。
次は、12月の100カ日。しばらく間が空きます。

 病院へ通っていた時よりも、父が亡くなってから月日の経つのが、早いこと、早いこと・・・
母は、まだ手続き類が残っているみたい。
とにかく、郵便局の貯金や保険の手続きは、大変みたいです。

 あっという間になくなった父なので、未だに実感が湧きません。
ガタッと弱ったのが最後の数週間だけだったので(寝たきりは最後の日のみ)元気な姿しか
思い出せません。

 9月中旬。最後の入院費用を清算しに、母とへ行きました。
お世話になった看護師さんにバッタリ出会ったのですが、私に
「自分がいなくなったらお母さんが家で一人になるから可哀想や」と父が看護師さんに良く話していて、
お母さんをずっと心配していたと伝えてくれました。

 私たちの前では、元気ぶって病気の重大性を分かってないふりをしてたけど、
本当は死が近づいているのを知って毎日を過ごしていたんだなと思うと、苦しいです。

 天国に行った父。今頃、何をしてるのかなぁ。


 みゆーは食い気に走ってます。

父の病気を通じて

2014-09-12 14:29:33 | 雑感
 父の病気を通じて感じたことが3つ。

 一つ目 平凡な日常がいかに幸せかということ。

 平和ボケじゃないけど、健康ボケと言うか・・・
 私は、20年以上、お葬式に参列することなく、周りの身近な人間もずっと健康に生きてきたので
これが当たり前になっていました。改めて考えたことがなかったです。
 いつか、人は亡くなる・・・それは十分に分かっていたつもりなんだけど。ずーっと未来のことの
ように思っていた気がします。

 父の病気の情報を得たくて、人の闘病ブログを読むことが増えました。
若くっても、病気の人がたくさんいます。
小さな子供を抱えて闘病生活を送る方の内容は、自分に置き換えたら胸を締め付けられるような
思いになりました。子供の成長を見届けられないかも??と想像するだけで、苦しいです。

 毎日や、一年があっという間に過ぎる・・・って感じるのは変化のない日常。
それって本当に幸せなことです。


 2つ目 やりたいことはすぐに実行
 
 またいつか、しよう。この考え、止めようと思いました。
ほんと、先は読めません。いつ自分が死ぬか、分からない。そう思いました。

 西国三十三所巡りをここ数年かけてしていた両親。あと、一つ「善光寺」を残すのみでした。
去年末、ツアーの案内が届いていたのに、「今年は、年末慌ただしいし、来年にしよう」という
会話をしていました。
あと一つやのに、もう行けばいいやん、来年って・・・となんとなく嫌な予感がした私。

 入院前、父は「年末なんてあっと言う間やし。そんなん行けるわ」と自分の病魔の重大性も
知らずに言っていました。
 結局、入院してから、体調は悪化の一途。行けず仕舞いに終わりました。

 20数年前。親戚のおばちゃんが、旦那のガンを看取ってから、数か月で、家のリフォームをしたり、
海外旅行へ行ったり。その当時は、その行動力に疑問で一杯でした。
今なら、その気持ち、なんとなく分かります。
 明日は、どうなるか分からないから。


 3つ目 家族が病気になった人にしか分からない気持ち

 30代後半から、喪中のはがきをもらうことが増えました。
友達の両親も、70才代前後になり、ちょうど病気を発症する年代なんだと思います。
親が亡くなったって聞いても、やっぱり他人事で感情移入出来ない自分がいました。
 
 夏休み中。ガンでお姉ちゃん(享年36才)を亡くしたママ友と良く遊んでいました。
その子と話していると、気持ちを分かってもらえ、癒された自分がいました。
友達には、ついつい思い出させる結果となり、涙ぐむ場面もあり、本当に悪いことをしたな
と思っていますが。

 祖母が亡くなった時は、そんなに悲しくなかったのに、父となると一緒にいた
時間も長く、私もそれなりに生きてきたので、いろんな感情が爆発。
本当につらくって辛くって。良く泣いていました。
父が最後、どんな感じで亡くなってしまうのか・・・想像するのが一番辛かった。

 亡くなる2日前、2択を医師から告げられました。
腎不全で尿が出ないので、このまま点滴を減らせばカリウムが溜まり、先に心臓が止まる可能性があるが
穏やかに亡くなる。
それか、カリウムを薄める為に、点滴を増やせば、その水分は腹水に溜まり、苦しむ可能性があるが、
数日延命出来ると。

どちらにしますか?と。

 医者は痛みを取ってあげて、安らかに亡くなられる方がいいのでは・・・と提案されました。

結果、痛みをコントロールする麻薬を入れ、点滴を減らし安らかに心臓が止まる方向を選択しました。
麻薬を入れた途端、会話がなりたたなくなってしまいましたが、ガンの激痛を体験することなく、
安らかに去って行った父。

 きっと苦しみ、もがき亡くなっていくのでは。。。と勝手な想像をしていた姿とは、まるで違って
すーっと穏やかに、あっけなくいなくなりました。

 今回、病気になった本人じゃないので、まだまだ私には、分からない辛さが父にあったと思います。

 「死ぬのを待ってるのは嫌だ。寂しい」と言っていたのを思い出します。
 
  名義変更手続き中の母が「この世からお父さんの名前が徐々に消えて無くなっていくなぁ」
と呟いていました。

 この世から、自分が消えてしまう。見えていた景色がある日、全部消えて無くなる・・・

 父は毎日、どんな気持ちで過ごしていたんだろう。


ガンはいつから?

2014-09-11 11:35:31 | 雑感
 父のガンはいつから出来ていたんだろう・・・ 父の闘病中、何度も考えていました。

 5月末に受診したときには、既に、胆嚢から肝臓、リンパに数ヶ所。そして胆管もいくつか
詰まっていて、その影響で黄疸も。(黄疸は、見た目には分かりませんでしたが)
原発が分からないくらい、その辺りがガンに侵されていて。
でも、きっと、原発は胆嚢ガンからでしょう、って。
ステージも4bくらい、末期も末期だったそうです。

 父の闘病中、何度も母と弟が夜、医者に呼び出され、今後の治療方針、現状を聞かされていました。
私は、子供がいるので、夜は出にくくて、聞くことが出来ず。
画像データを見てなくて、その分、具体的に知らないことをいいことに、
純粋に、父を励ますことが出来るのでは??と思っていました。

 亡くなる2日前、日曜の昼間。最後の話し合い。弟の都合がつかなかったので、
私と母が聞きに行きました。
私が質問をいっぱいするので、主治医がさかのぼって画像データを見せてくれました。
素人では、分からないことがいっぱいでしたが、最後に聞けたこと。今になっては貴重です。


 主治医に聞いたところ、おそらく1年前にはガンが出来ていたでしょうということでした。
 
 父の日記を読み返すと、初めて腹痛を感じたのが10月。
腰痛に苦しみ出したのが、11月以降です。

 父は町医者に20年以上。高血圧の薬をもらうため、通院していて、血液検査は4カ月に一度。
それを見直すと、9月の段階では、正常値。1月の段階で肝臓の数値に異変が。上昇していました。

 父は、その町医者がデータの異変に早急に気付いて、病気に気づいてくれなかったことの恨みつらみを
闘病中、担当医や看護師に言いまくっていたそうです。
1月のデータの上昇にも、「これくらいなら。様子見しましょう」で済まされていたみたい。

 あと、父は病気発覚を恐れていたのか、正直に申告しない癖がありました。
だから、きっと問診の時も、「ちょっとだけ、だるい」とか「このへんがなんとなく」
と曖昧。これも、病気発見を遅らせた要因だと思います。

 主治医には、今年の始めに当病院を受診していたら状況は変わっていましたか?
と質問してみました。

 きっと、治療を始められるのが速かっただけで、結果は同じでしょう・・・

 という残念な答えでした。

 胆嚢ガンは、初期に発見されるのはかなりのまれ。初期なら、特に無くても生活出来る
臓器なので、切って、おしまいだそうです。
でも、市民健診や血液検査では見つけられず、たまたま腹部エコーを撮った、とか
胆石持ちの人の定期検診とか、そんな状態でしか、早期発見は難しく、大概痛みが出て
気付いたころには手遅れの末期だそうです。
そして、症例が少ない分、治療法もあまり研究されていない、
その病気になった父は、運が悪いとしか言いようがないのです。

 6月に入院。結果としては何も効果がなく、父の体力を奪ってしまった抗がん剤投与を3回。
ステント留置。たった2ヵ月半で亡くなった父。

 後悔は尽きませんが・・・

 今年早々に入院していたとしても、手術が出来ず、抗がん剤治療を早く始められただけ・・・
だとすると、病気だと知らないまんま、1月から5月下旬まで、時折襲う腹痛に苦しみながらも
普通の生活を送ってきたこと。
早期に発見できなかったのなら、これで良かったんじゃないか、という風に、
考えるようにしています。(そうして、理由づけして納得したいだけかも・・・)

 それと、父の亡くなった日。ダンナが知らせる為に、自分の実家に
すると、義理父はちょうど受診中だったそうです。
父の病気のこともあり、去年健診を受けなかった義理父を心配して、義理母が強引に
人間ドック受診を申し込んだそう。
2年ぶりの健診で、膀胱に22ミリのポリープを発見。(2年前には無かったものなので、
去年受診しなかったことを悔やんでおられました)
これから、検査続きとなるみたい。義理母は、「ガンの可能性、高いわね」
「でも症状が出る前の発見だから、まだ初期かな。大丈夫かな」と揺れる心境のようでした。

 長年、健康ボケしていた私。ずーっと周りも健康で来たのに。
病気って続くのかな・・・
不安です。

2014-09-08 10:51:09 | 雑感
 実家の父が8月26日、午後4時ごろで亡くなりました75才でした。

 告知から、3ヶ月。2ヶ月半の闘病生活でした。
病名は『胆嚢ガン』

 父が病気になるまでは、胆嚢??何それ??ってくらい聞いたことのない臓器でした。
でも、この胆嚢ガン、痛みや症状に気付いたころには手遅れなことも多い厄介なガン。

 父は、年明けくらいからだるさや時折右上腹部の痛みに悩んでいたみたいだけど、てっきり
腰痛や胃痛と勘違い。整骨院へ行ったり、胃薬を飲んで散らしていたみたいです。

 5月になり、日々腹痛が起こるようになり食欲もなくなり、5月最終週に受診。
そのころには手遅れで、肝臓やリンパまでガンが浸潤しており、どこが原発か分からないくらい
ガンが進行していたそうです。

 初めの余命は、半年。
10~30パーセントの人しか効果がない、抗がん剤も3回チャレンジしましたが、結果、
良くはならず、黄疸が出て、その後は中止。
ステントを入れ、黄疸が出る処置を7月下旬にしました。

 その段階で、余命が2週間~1ヶ月と短くなりました。
元々元気だった父。進行が、想像以上に早かったと思われます。

 8月に入ると、ぐっと目に見えて弱って、更に食欲はなく、体は黄疸で白目まで黄色くなり、
中旬からはお腹に腹水が溜まり出し、カエルのように膨れてきて苦しそうでした。
むくんで腫れた脚をマッサージしてあげると喜んでくれました。

 お盆には、退院。1週間自宅で過ごしていましたが、次の受診日まで、あまりのしんどさに
待てず、再入院。
生きる気満々の父が、あまりの痛さに、入院の前日には「死にたい」と言い出しました。

 亡くなる前々日にナースステーション近くの個室へ移動。翌日の朝、痛みどめの麻薬で、
あまり意思の疎通が出来なくなりました。当日は、もう反応がなく、寝てばかりでした。

 再入院から6日。
最後の死因は、腎不全で、カリウムが増え、その影響で心臓が止まり、すーっと静かにあっけなく
亡くなりました。

 
 夏休み。子供がいるので私は、2、3日に一度くらいしか、なかなか病院へ行けませんでした。
(騒がしくって苦情がきたことがあったので。しかもすぐに退屈するし)
一応、すぐに駆けつけられるように、県内で過ごすようにしていました。


 父が亡くなった日は、みゆーの始業式の前日。
最後の夏休み。自宅でのんびりする予定でした。
朝、母からがあり、父の具合が悪そうだとから連絡があったと聞き、いざということに備え、
学校に宿題を提出しに行ってから、昼からへ向かいました。

 父が亡くなった時間。もしも、学校が始まっていたら、みゆーの帰宅後、宿題をさせている時間。
きっと死に目に会うことが出来なかったと思います。

 あっけなく亡くなったけど、最期をみとれたのは、幸せだったと思います。
(弟は、仕事を早々に切り上げましたが、間に合いませんでした。会わせたい人に連絡を、と
看護師さんに言われてから、わずか10分でした)

 最後まで、生きる事に執着していた父なので、遺言も、何もメッセージもなく、
20日まで付けていた日記にも、日々のことしか書いていませんでした。

 本当は、もっと感謝の言葉も言いたかったけど、死ぬ間際の意識がない状態でしか、
言えませんでした。(父は病名は知っていたけど、余命は知らなかったので。最後まで
励まし続ける必要があったのです)

 闘病生活が短かったせいもあり、極端に痩せることもなく、今にも目を覚ますんじゃないかと思う
ような安らかな姿で亡くなりました。

 みゆーは、納棺の儀で棺に入った父を見て、「狭い所に入って可哀想だ」と泣き、
こうちゃんは、焼かれて骨になった姿もみたので、現在「おじいちゃんは、ホネホネになって星に
なったんだよね」と言っています。


 今年のお正月は、弟ファミリーといつものように実家に集まり、食事をしていました。
なんら、変わらなかった父。夏にいなくなるなんて、誰も考えもしなかったです。
実家ので写真を撮るのが恒例でした。フィルム式だからまだ現像してないけど、
いつものような笑顔で映る父が残っているんだと思います。
想像すると、泣けてくるなぁ

 父と二人暮らしだった母。夜に、ふと、これは夢じゃないかと思うこともあるみたい。
お通夜、お葬式。その後は、お返しに親戚を回ったり、名義変更など手続き類がいっぱいで
毎日くたくたなようです。私も、お手伝いしていますが・・・

 母が一人になると、毎日生存確認のしないとなーとか、今まで考えられなかった
不安を感じます。
父が亡くなったことは未だに信じられませんが、現実なんですよね。



 


Wで寂しいよ・・・

2014-06-09 09:42:34 | 雑感
 6月に入り、年少のこうちゃんも、保育時間が延び、1時半お迎え。
先週から、給食が始まりました。
食が細くって、食に興味のないこうちゃん。もうすぐ4歳なのに、体重も13キロ台です。
お箸も上手じゃないので、トレーニング箸とスプーンとフォークの3点を持たせています。

 あまり食べてないのか?運動量が多くなったのか?
帰宅後、おやつを欲しがります。
どうなのかなぁ?と心配です。
何年間もランチタイムを共にしてきた相手がいなくなり、一人ぼっち。
お気楽ではあるけど、今は寂しいなぁ

 それと、春先から体調不良を訴えていた実家の父。
整骨院に通ったりしていたけど、そこじゃないやろ??と
いよいよ怪しくなってきたので・・・
半ば、口論になりつつ、5月最終週に受診してもらいました。
大きな病院でCT等、精密検査の結果、かなりの重症と判明余命宣告を受けるほどでした。

 先週から入院になりました。
いずれ、親が先立つのは分かっていたけど、突然の展開。
この2週間は、落ち込んで泣いてばかりでした。
ほんの2週間の出来事なのに、毎日が長く感じるし、平凡な日常がどれほど幸せなことか
実感しています。

 しょっちゅう、実家通いしていた私。
父も、こうちゃんもいなくなった昼間。心にポッカリ穴です。

 父の病院には、母と一緒に、近所に住む弟夫婦も協力の元、出来るだけ、通って最後の親孝行を
したいと思っています。

今年もオーストラリアの幼馴染と再会

2013-11-15 14:11:02 | 雑感
 10月末から3週間、今年もオーストラリア在住の幼馴染が帰省していました。

 例年通り、二回出会い、一回目はランチと我が家でおしゃべり、二回目は、
アウトレットでショッピングというパターンです。

 
 お土産をもらいました。
アドベントカレンダーと、リップクリームと、ピンクソルトと、パチパチはじけるチョコ。
 
友達いわく、「日本ほど、いろんな物が手に入る国ってないし。そろそろネタ切れ。悩むのよね
だって。
確かに、私の住む田舎でも近くに、KALDIがあるし、輸入食材も昔に比べて簡単に
手に入るようになりました。 

 去年はオージーのダンナさんと一緒に帰国でしたが、今年は友達一人。
ダンナさんは、去年こうちゃんとアウトレットへ行ったのが楽しかったらしく、の待ち受け
画面が1年間、ずっと「こうちゃんの写真」だったそう。

 なので、ダンナさんに見せるべく、友達はiPhoneで、こうちゃんの写真や動画を
撮りまくり~

 我が家でWi-Fiを使って、iPod Touchと、オーストラリアのダンナさんのiPhoneでテレビ電話も
楽しみました。
 いつまでもガラケーで時代に取り残されてる私。
 テレビ電話の仕方をメモ。

     appleのスマホのアプリの
        Face Time を立ち上げ

    連絡先→+→新規連絡先→登録する→完了

  つなげる時は・・・
    よく使う項目→かけたい人を選択→名前を呼びだす

 の手順。
 友達のオーストラリアの自宅もテレビ電話で見せてもらいました。

 十数年前だったら、考えられないことが出来て、感動です
(昔だったら、国際電話かエアメール。それが今では、Wi-Fiで無料で出来るなんて・・・)

 友達は、日本滞在の時は国際電話になるから、iPhoneはほとんど使わないらしいけど。
関空や京都駅周辺は、海外からの旅行客の為にFree Wi-Fi スポットがあったよーと教えてくれました。
月々の携帯代が勿体なくて(現在1890円なので)、なかなかスマホに変える気がしないんだけど、
これからFreeスポットが増えたら、iPod Touchを持ち歩けばすむやんと思って
しまいました。(田舎でFreeは、なかなか普及しないだろうけど。かと言って、専業主婦の私。買い物に
出るくらいで外で検索する必要は皆無です)

 一年のこの時期にしか出会えない友達。でも、毎年そのブランクを感じさせないくらい
楽しいひと時を過ごしています。

 今年は小学生のみゆーが3時に自分で帰宅なので、時間に余裕があったけど、
来年からはこうちゃんの幼稚園のお迎えが1時半だったりするので、ちょっとバタバタ
しそうです。



親戚の美容室が閉店

2013-06-07 10:30:48 | 雑感
 親戚の美容室が5月末で閉店しました。
直接原因は、社長を務めるおじさんが83才と高齢で、4月に心臓の病気で倒れて
救急車で運ばれ入院してしまったこと。(回復されて、つい先日無事退院されました)

 全盛期は3店舗経営され、今も2店舗あったのですが、急きょ同時に閉店です。
おばちゃん(私の父の姉)が先生で、おじさんが経理担当。
今まで親戚価格として技術料半額でカットしてもらっていました。
 
 そのおばちゃんも私がみゆーを妊娠中の2006年くらいから、ボケが進行してきて、
引退。2年半前から施設に入居されています。

 私が結婚した2002年には、サイパンの挙式にも参加してくれてて、元気だった
んだけど。
サイパンにはその息子夫婦(私にとってはいとこ)が1993年から美容室を経営していて、
挙式のヘアメイクを頼みました。
結婚5年目の2007年には、再びサイパンを訪ねて、いとこ夫婦のにも遊びに行きました。

 しかし・・・
 仲良さそうに見えたそのいとこ夫婦も子供の教育方針で亀裂が入り、数年前に離婚。
そしていとこは、その後再婚し、今月には第一子が誕生するそうです。

 何だか・・・
10年で、こんなに親戚の環境が変化するなんて、振り返ると恐ろしいです。

 高校生の頃はたまに市内の美容室へ行くこともあったけど、自分が運転するようになって
からは、車で25分かかっても親戚の美容室一筋でした。
みゆーとこうちゃんの初カットも、もちろんコチラ(カット代は840円にしてもらってました)

 美容室を変えるのって、かなり勇気が要ります。
5月下旬に閉店の話を聞いて、慌てて、カットしに行きました。(もう、半年くらい
行かなくて良いように結構バッサリ)
お気に入りの美容師さんが違うお店に行かれるようなので、メール交換。
その人を頼って行こうかな~
「同じ人間がカットするのに、これから価格が高くなってごめんね」
なんて言われたけど、、もう親戚価格が適応されないし、仕方がないことです。

 貸衣装もされていたので、秋の七五三(みゆーが7才、こうちゃんが3才)に借りようと
思っていたので、それも考え直し。

 突然の出来事だったし、かなり、ショックです。

クロックスまとめ買い

2013-04-11 10:34:26 | 雑感
2才の頃から、1年中、クロックスを愛用中のみゆー。

プライベートタイムでは、クロックスばかり。

最近、で、去年のモデルがお安くなっていたのを見つけたので、思わずまとめ買い。
(送料かかるし・・・)


現在、17.5センチを愛用中のみゆーに、
18.5センチと20センチを購入。
キティちゃんとミッキーもあって、可愛いです。
(ミッキーはこうちゃん用に。現在13.5センチなのに、履くのは何年後やねん!!)

パパには、相変わらずの無駄遣いだね~とか嫌味を言われるかと思いきや
「これから物価が上がるし、賢い選択だね」
と珍しい反応。
ちょっとビックリ


みゆーの小学校は、今日から給食開始です。帰りは2時10分。

私は今日、朝の立ち番があたり(年に一度らしい)、お迎え当番(一年生は今週のみ、
水~金まで交代で親がお迎えに行きます)もあたっています。
私も、小学生の親になった!と改めて自覚を持つ1日です。


洗濯機と電話機を買い換え

2013-01-31 11:37:21 | 雑感
結婚して10年くらい経つと、家電が順番に壊れるよ~と友達から聞いていました。

去年、結婚丸10年を迎えた我が家。
まさしく、その時期がやってきました。

次々、家電が悲鳴を上げています

去年は、炊きあがりがおかしくなった炊飯器を買い換え。

この週末は、洗濯機と電話機を購入。


10年頑張ってくれた洗濯機。
脱水時、恐ろしい騒音を上げ、最期には、床に油が飛び散る始末。


今回も同じメーカー「東芝」にしました。
6キロ→7キロへ。

ヤマダ電機で、人気No.1の洗濯機。色はピンク好きのみゆーが選びました。
乾燥機能も必要ないので、縦型で、静音であること、サイズが小さいこと、内蓋が無く、
途中でも洗濯物を放り込めるのが決め手です

使ってみてびっくり。脱水時の音の静かなことったら

今回知りましたが、最近の洗濯機にはこんな表示が。

洗濯機の寿命って「7年」だったの
そりゃ、10年使ってたら、おかしくもなりますよね。



ダンナが学生時代ら愛用していた骨董品のような電話。
充電機能がバカになり、途中で通話が切れ、使用不能になる事態に。
「NTT」ってマークがついてますが、一体どこで購入したのでしょう???


パナソニックの超シンプルな、1番人気のお手頃価格の電話にしました。
(カタログより)

今回、電気店巡りをして感じたんだけど、電話ってあんまりオシャレなデザインのものが
ありません。
今や、若者の一人暮らしには電話は不要だからかな・・・
安物を買ったこともあるけど、本当に見た目も触り心地も安っぽい

子機のプッシュ部分なんて、シリコン製なのか、押しにくくって爪を立てないと無理です。
もっぱら、実家に電話するだけに使用してるので、仕方ないかな・・・


ヤマダ電機で交渉して、ネット価格よりもお安く買えたので満足。

ダンナは、今まで、買った家電でリコール品や不良品に当たったことないし、どれも
寿命を全うしてるからそういう意味では、ツイてるよね・・・なんて前向き発言でした。

あと、冷蔵庫が本当、たまーにブーンとモーター音がして、ドアを開けると「カタカタカタ・・・」
と音が止まるので、それが危ないかなぁ・・・

ボーナス時期も終わったし、今月はまとまったお金を繰り上げ返済したから、
大きな買い物はキツイです。