アメリカ帰国者が日々の出来事・人生・世の中などを語るブログ

日本に帰国して矛盾だと感じたこと、人生における発見や日常のことなど色々語ります

国が繁栄するのに最も大事なことは、正義である

2017年05月07日 | 政治・国際情勢について

日本の政治の体たらくぶりは今更に始まったことではないが、それにしても問題が次から次へと矢継ぎ早に起こり、歯止めが利かないようである。森友学園を含めた数々の政治と金の問題、大臣の失言、女性問題にまつわる不祥事など、数えたらキリがない。またそれだけでなく、国会答弁を見ていても、防衛大臣がまともに答弁できない、どう考えてもとんちんかんな答弁しかできない法務大臣。私は仕事で通訳をすることもたまにあるが、思わず、この答弁の通訳をするとしたら、本当にバカバカしくて通訳もしたくない、日本の恥さらしをするだけの、本当に馬鹿げた答弁であると感じてしまった。

日本を引っ張るトップレベルの人間が、この様な体たらくで本当に良いのか??政治だけでなく、警察官による不祥事や事件も多く、警察自体も体たらくになっているようである。本来、批判的な観点で物事を洞察しなくてはいけないはずのマスコミもこれらの問題に関して真剣に取り上げるということもしないから、結果、政治家達は何をしても許される、と感じるようになり、国民をすっかりなめてしまっているのではないかと強く感じている。

人の前に立つこの様な大人の姿を見ていると、若い人達や子供が悪いことをしても許されるんだ、罰せられないんだ、と思い、世の中をなめるようになる。そうすると、この人達が大人になって国を引っ張る立場になると、体たらくさがますます度を増すばかりになるのである。

現在、旧約聖書の第二サムエル記を読んでいるが、ここではイスラエルの王、ダビデの王としての有能ぶりが数々記されている。このサムエル記を読んで見ると、彼は、自分の為に働いてくれた側近や部下に対しても、罪を犯した場合は、それが意図的であろうとなかろうと、死という厳しい処罰を下していたことがわかる。

今の時代だと、大変厳しい処罰だと思うのだが、この時代はイエスが来る前の、律法の時代であったため、この様な厳罰な処罰が下されていたのであろう。今の時代であれば、ここまで厳しくする必要はない。しかし、厳しくする必要がないからと言って、緩すぎる処罰(もしくは処罰がない)となると、これでは周りに示しがつかず、モラルが下がり、人々はトップについていかなくなる。これは、会社の組織でも同じことである。

ダビデが有能だったのは、第二サムエル記8章15節に記載されているように、「その民のすべての者に正しいさばきを行った。」からだ。たとえ、自分の為に命をかけて戦った部下でさえ、ダビデの判断を仰がないで勝手な行動を起こした為に、死という厳罰な処分を下していた。

同じ旧約聖書の箴言では、国を繁栄させる為の唯一大事なことが記されている。

正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。」(箴言14章34節)

その証拠に、ダビデは姦淫の罪を犯して以来、正しい裁きをするどころが、無実で忠実な部下を殺害するまでに至り、結果、人々はダビデから離れていき、挙句の果てには、自分の息子に追われて、国を出ていく羽目になってしまっている。この時点では、イスラエルは既に経済的にも潤っていたと思う。にも関わらず、人々の心がダビデから離れてしまったのは、このダビデの体たらくさ故だったのではあるまいか。

国を繁栄させるのは、経済政策や教育政策、軍事政策でもない。正義がまかり通っているかどうかなのである。従って、国のトップになるような人は、人格高潔でないといけないのであるが、残念ながら、今の与党も、そして野党にもそのような人物は見当たらない。(しかし、個人的には、最近は表舞台に現れていないが、私が尊敬する高潔な政治家が一人いる。その人に将来、首相になってもらいたいと思っているのだが。)

トップたる者は、自分の取り巻きや部下に甘い人であってはならないのだが、残念ながら状況を見ると、まるでお友達のように馴れ合いごっこをしているようで、緊張感がまるでない。このような環境では、正義もへったくれもなくなってしまうのであろう。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。