先週の土曜日に発生した東海道新幹線の中での殺傷事件。これを聞いた時、3年間前の同じ東海道新幹線でのガソリン自殺を思い出した。私は実家や親戚が名古屋にいるので、東海道新幹線を使うため、3年前の事件を聞いた時、安全対策を即座にやってもらいたい、と思ったが、3年経っても何もなされなかった。結果、また同じような事件が発生した。
鉄道会社側も政府側も利便性が損なわれるから、という理由で安全対策を怠ってきたが、ここに来てようやく、安全対策について重い腰を上げるようだ。これには、2年後に控えている東京オリンピックも踏まえてのことだが、では、もし東京オリンピックがなかったら、腰を上げなかったのではなかろうかと思ってしまう。
何故、日本はいつも、大きな事件が起こらない限り、何も実行しようとしないのか。いつも思うのだが、日本人の危機感のなさ、行動力のなさに腹立たしい思いを感じることが多い。児童虐待の対応にしてもそうだ。行政の対応が甘いため、虐待で亡くなった児童が沢山いるのに、未だ何も抜本的な改革がされていない。
話が少しそれてしまったが、私はこの「利便性が損なわれるから」という言葉に非常に違和感を感じる。利便性が最優先で、人の命は二の次だということだからだ。この言葉を発している本人は、そんな意図がなくても、そういうことになってしまう。何故なら、
利便性と人の命は天秤に図れない
からだ。これを分かっていて発言しているのだろうか?そうとは思えない。両方両立させるのは不可能であり、人の命を優先するには、利便性をどうしても犠牲にならざるを得ない。
ならば、利便性を多少犠牲にしても、安全性を最大限確保することが重要ではないのか?そうすることによって、たとえ駅に到着するのが、今までよりも1時間早くなっても、人はそれに応じて順応するようになる。現に、2011年にアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、空港では厳重な安全対策が行われるようになり、出発前の2時間前には空港に到着しないといけないようになった。最初は不便さを感じながらも、今ではそれが世界の基準になり、当たり前のように人々はそれに対して順応しているのだ。
しかも、お隣の中国の高速鉄道では既に厳重なセキュリティーチェックが行われているというではないか。中国ができて、何故日本はできないのか?(下記の動画の4:35秒あたりに注目)
「包丁持ち男が」通報次々 走る密室で逃げ惑う乗客(18/06/11)
ここでは、日本では抜き打ち検査が良い、と言っているが、乗客からすれば抜き打ち検査では不安に感じる人が多いだろう。これを聞いていると、日本ではどうしても利便性や儲けが最優先であり、人の命・安全性は利便性を犠牲にしてまでやる必要ない、という姿勢が伺えてしまう。
これから新幹線の安全確保について、政府と鉄道会社が議論に入るそうだが、それがどの程度実行されるのか、もっと重要なのはそれがどのくらい早く実行されるのか、だが、何事も実行が遅い日本のことだからすぐに安全対策が実行されるとは全く期待していない。なので、私が次に新幹線に乗る際は、自分の命は自分で守らないといけないので、安全対策のために自分もナイフを持参するか、防弾チョッキを着るのか、はてまた刺叉を持って新幹線に入るべきなのか、できれば銃があれば一番良いのだが、そういうことを考える必要が出てきてしまったようだ。