アメリカ帰国者が日々の出来事・人生・世の中などを語るブログ

日本に帰国して矛盾だと感じたこと、人生における発見や日常のことなど色々語ります

人の命よりも利便性が大事なのか?~東海道新幹線での殺傷事件について~

2018年06月12日 | 政治・国際情勢について

先週の土曜日に発生した東海道新幹線の中での殺傷事件。これを聞いた時、3年間前の同じ東海道新幹線でのガソリン自殺を思い出した。私は実家や親戚が名古屋にいるので、東海道新幹線を使うため、3年前の事件を聞いた時、安全対策を即座にやってもらいたい、と思ったが、3年経っても何もなされなかった。結果、また同じような事件が発生した。

鉄道会社側も政府側も利便性が損なわれるから、という理由で安全対策を怠ってきたが、ここに来てようやく、安全対策について重い腰を上げるようだ。これには、2年後に控えている東京オリンピックも踏まえてのことだが、では、もし東京オリンピックがなかったら、腰を上げなかったのではなかろうかと思ってしまう。

何故、日本はいつも、大きな事件が起こらない限り、何も実行しようとしないのか。いつも思うのだが、日本人の危機感のなさ、行動力のなさに腹立たしい思いを感じることが多い。児童虐待の対応にしてもそうだ。行政の対応が甘いため、虐待で亡くなった児童が沢山いるのに、未だ何も抜本的な改革がされていない。

話が少しそれてしまったが、私はこの「利便性が損なわれるから」という言葉に非常に違和感を感じる。利便性が最優先で、人の命は二の次だということだからだ。この言葉を発している本人は、そんな意図がなくても、そういうことになってしまう。何故なら、

利便性と人の命は天秤に図れない

からだ。これを分かっていて発言しているのだろうか?そうとは思えない。両方両立させるのは不可能であり、人の命を優先するには、利便性をどうしても犠牲にならざるを得ない。

ならば、利便性を多少犠牲にしても、安全性を最大限確保することが重要ではないのか?そうすることによって、たとえ駅に到着するのが、今までよりも1時間早くなっても、人はそれに応じて順応するようになる。現に、2011年にアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、空港では厳重な安全対策が行われるようになり、出発前の2時間前には空港に到着しないといけないようになった。最初は不便さを感じながらも、今ではそれが世界の基準になり、当たり前のように人々はそれに対して順応しているのだ。

しかも、お隣の中国の高速鉄道では既に厳重なセキュリティーチェックが行われているというではないか。中国ができて、何故日本はできないのか?(下記の動画の4:35秒あたりに注目)

「包丁持ち男が」通報次々 走る密室で逃げ惑う乗客(18/06/11)

ここでは、日本では抜き打ち検査が良い、と言っているが、乗客からすれば抜き打ち検査では不安に感じる人が多いだろう。これを聞いていると、日本ではどうしても利便性や儲けが最優先であり、人の命・安全性は利便性を犠牲にしてまでやる必要ない、という姿勢が伺えてしまう。

これから新幹線の安全確保について、政府と鉄道会社が議論に入るそうだが、それがどの程度実行されるのか、もっと重要なのはそれがどのくらい早く実行されるのか、だが、何事も実行が遅い日本のことだからすぐに安全対策が実行されるとは全く期待していない。なので、私が次に新幹線に乗る際は、自分の命は自分で守らないといけないので、安全対策のために自分もナイフを持参するか、防弾チョッキを着るのか、はてまた刺叉を持って新幹線に入るべきなのか、できれば銃があれば一番良いのだが、そういうことを考える必要が出てきてしまったようだ。


事実を調べると誰に投票すべきか見えてくる~2017年衆議院選挙を通して~

2017年10月22日 | 政治・国際情勢について

本日は衆議院選挙の投票日。台風が近づいているので、朝起きてすぐに投票所に出かけた。関東の方では既に雨が結構降っているが、この後、午後から段々雨が強くなるそうだ。

さて、今回の衆院選、安倍総理の大義なき突然の解散から端を発し、都知事の仕事に専念すると言ったはずの小池都知事が国政に乗り出して新党を結成、それに更に続いて民進党の分裂と続いたため、これまでにない政治不信に陥ってしまった。私自身、これまで特に支持する政党がなく、結局誰に任せても同じ、という考えを持っていたのだが、選挙権を放棄するということは、国民としての権利・義務の放棄、日本の将来、自分自身や将来を担う子供達の為の幸せを考えることを放棄しているのを同じになる、という考えから、選挙には毎回必ず行っていた。

しかし、今回ばかりは、20歳で選挙権を得て以来、初めてのことであるが、本当に選挙に行きたくないと思ったのである。日本の将来を任せたいと思う人が誰もいないのである。誰も信じられなくなったのである。

これではいけない、と感じ、私が取った行動は、自民党の過去の実績、各政党の考えや、議員の実績などを色々調べてみた。正直、ここまで徹底的に調べたことが今までになく、恥ずかしながらこれまでの私は忙しさにかまけて自分自身で政治や政党のことなどをきちんと調べようともせず、単にテレビやインターネットニュースなどのマスコミの情報だけを頼りに判断していただけだった。

色々調べてみると、驚いたことに、マスコミが報道していない情報が沢山あるということだった。例えば、第92代の麻生総理大臣は在任中、かなりマスコミに叩かれていたが、実際はかなり多くの功績を残されていたのだ。それをマスコミが全く報道しなかったため、私も知る由もなかったが、調べれば色々と出てくることが今回のことで良く分かった。

これだけでなく、他にも、例えば東北大震災の原発事故に関してもマスコミが報道していない事実が数多くあることが分かり、日本のマスコミの報道がかなり偏っていることが判明した。どうも日本のマスコミは、自分達に都合の良い情報だけを抜き出して、その事実だけに留まらず、その話題に尾ひれを付け、あることないこと書きたて、世論を煽っているだけとしか思えない。これは非常に危険だと言わざるを得ない。

本来のマスコミの役割は、良い情報も悪い情報も含め発信するべきで、事実は事実だけに留めて、後は読み手の判断に任せるべきものではないのか?もちろん、マスコミも人間だから、その情報の捉え方によって考えがある程度偏ってしまうことは避けられないものの、情報を配信する側としては、あくまで、できるだけ中立であるべきで、こうこうこうだから、辞職すべきだ、これは独裁だ、と結論づけるところまでするべきではないと思うが、いかがなものか?概ね、そういう判断は正しくないことが結構多いのである。

日本のマスコミがこの様な報道をするから、日本人の多くは自分の頭で物を考えることができなくなってしまうのだ。

私も今回の調査で感じたことは、事実を調べることによって自分の考えが整理される、ということ、そしてこの様な政治状況・世界状況の中でどの候補者が、どの政党がふさわしいのかが見えてくるのだ。ベストな候補者など、神様以外は誰もいない。結局はその中でベターな候補者・政党を選ぶしかないのだが、正しい情報を身に付けていると、判断しやすくなることは間違いない。

これは非常に面倒な作業であるものの、日本の将来、自分達や子供達の将来を決める大事なことだ。これまでマスコミに影響されていた自分を大変恥じている。しかし、これに気づくことが出来、また、政治をより深く理解することができたので、自分にとっては大変大きい収穫だったと思う。

また、普段から家族や友人の間で政治を話題にするのも非常に重要ではないかと思う。残念ながら、私の周りの友人を見ているとあまり政治に関心のない人達が多いので、比較的関心の高いご年配の方と議論することが多い。日本人は議論が苦手な人が多いので、こういう話題を避けがちなのだろうとも思う。しかし、お互いに意見や情報を交換することによって、更に知識や理解が深まり、違う視点からの物の見方も知ることができるので、より、政治に関心が得られるのではないかと思う。

さて、今夜の投票結果がどうなるのであろうか....。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


安倍総理の「こんな人たち」発言 ~人の口は、心に満ちているものを話す~

2017年07月04日 | 政治・国際情勢について

先日の東京都議会議員選挙の街頭演説で、「安倍辞めろ」コールを浴びせられた安倍総理は、そのヤジに対して、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と反撃。

一見、何でもないように見えるこの言葉、なんとなく違和感を感じたのは私だけではないことが、ネットニュースで分かった。そもそも、国会審議中のヤジもそうだが、ヤジは、たとえどんな理由があったにせよ、感心できるものではないし、相手がどれだけ気に入らなかった、おかしい、と感じても、決して感情的になってヤジを飛ばすものではないと私は考える。

しかし、そうとは言え、そもそもヤジを浴びせられた原因を作ったのは安倍総理自身ではないのか?国民を無視し続けた政治を続けた結果、国民の多くが怒り心頭になっている現状を謙虚に考えないで、有権者である国民に対して「こんな人たち」ということは何事であろうか?これでは、安倍総理もヤジを飛ばした人達と同じレベルになっているだけだということが、一国の総理が分からないのか?

先月の安倍総理支持率が急落したことに対して、本人は反省の意を述べていたが、あれは本当に反省しているとは思えない、と、この言葉を聞いて確信した。安倍総理が「こんな人たち」と発言しているのは、普段から私達国民をそういう風に思っているという証拠である。

新約聖書のルカ6章45節にこんな言葉がある。

「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら、人の口は、心に満ちているものを話すからです。

私達は、ついうっかり「売り言葉に買い言葉で...」とか、「イライラしていてつい言ってしまった」「酔った勢いで言ってしまった」など、言葉で多くの失敗をしていないだろうか?しかし、実はこのような場で発せられる言葉が、その人の本心・本性であるということが、あまり多くの人が分かっていない。安倍総理がああいう場で「こんな人たち」と発言しているのは、普段からそう思っている証拠であり、だから国民を軽視した政治をするのである。

従って、私達も普段から自分の心の中で思っていることに対して注意を払う必要がある。もし、生まれてから一度も失言したことがないと言い切れる人は、その人は、よほど類まれなる自己抑制力と自分の舌が制御できる人である。しかし、そんな人はこの世に誰一人いない、と聖書でははっきり述べている。それ程、私達の心の中は邪悪に満ちているのである。だから、私達は日々神様の導きが必要なのである。

安倍総理のこの発言に対して、菅官房長官は「常識的な発言」と述べ、しかも「民主主義国家ですから、選挙運動というのは自由だ」とまで言ってのけた。では、自由なら何を言っても良い、と言いたいのだろうか?

これは何を言ったかどうかではなく、安倍総理自身の人格・総理としての在り方の問題である。どれだけひどいヤジを浴びせられても、一国の総理ならば、じっと我慢して耐え、謙虚にこれは自分が蒔いた種なのだ、と思えない所が、そもそも一国のリーダーとしての資質に欠けているのではないだろうか?

また、他のインターネットニュースでも述べているように、何故この発言が大問題にならないのか、それもおかしい。稲田防衛大臣の発言もそうだが、あれは自衛隊を政治利用した発言であり、憲法違反ではないのか?安倍総理のこの言葉に対して、日本のマスコミが大きく取り上げないのは何故なのか?マスコミの追及があまりに手ぬるい。

それとも、そういうことが分からなくなってしまった程、日本人マスコミは鈍感になってしまったのか、政府から圧力を受けているからなのか真実は分からない。

 

 


考えの偏ったリーダーが組織・国家を滅ぼす~1列王記12章からの考察~

2017年06月08日 | 政治・国際情勢について

アジアでは北朝鮮問題、中東ではISの問題、そしてアメリカではトランプ大統領が国内に限らず、国際社会をもひっかき回しており、世界各国でテロが発生、世界は今、大混乱の渦の中にいる。そして、そんな中で各国で保護主義や極右政党が誕生し、日本もその例外にあらず、世界中で極端な思想や考え方が横行するのが当たり前になってしまった。

旧約聖書の1列王記12章はそのような極端な考え方を持った人がリーダーになった場合、どういう結末になるかが示されている。

12章では、ダビデの息子、ソロモン王の死後、息子のレハブアムが王になったが、祖父のダビデの様に様々な苦労を重ねて王になったわけではなく、また、ソロモンの様に父ダビデの苦労を見て育ったわけでも全くないので、何の苦労もなくぬくぬくと育ったのだろう。いわゆる、ボンボンのお坊ちゃんだ。苦労を全く経験しない人間は往々にして、思いやりもなく、人の痛みも感じないものなのだが、レハブアムもその一人だったことが、ここではっきりと分かる。

2節から、ヤブロアㇺを中心とした一団が、過剰な労働に対してなんとかして欲しい、とレハブアムに申し出る場面がある。おそらく彼らはソロモン時代に多くの建築や工事などを行い、相当な苦役を課されていたのであろう。しかし彼は、彼らの意見を聞き入れて親切にしてあげてください、という長老の意見を無視し、彼と同じ世代で同じような考えをもつ若者の意見、「彼らにもっと重い労働を課せ」という言葉に従ってしまった。

この様なことは、日本も含め、今の世界のどこかでも行われていることだが、このたった一つの決断が、ソロモン時代まで一つにまとまっていたイスラエルを分裂・滅亡へと導いてしまう。つまり、この1つの決断がイスラエルにとって致命傷となってしまったのだ。

しかし、私は何も年寄りの意見を全て聞きなさい、とは言っていない。トップの立場であれば、労働者の労働が本当に過酷なのか、もしくは怠けたくて文句を言っているのか疑ってしまうのは致し方ない。だが、日本の会社は、残念ながら後者の方を考える所が多いと思われる。社員の意見や訴えも聞かず、根性がないからだ、とか言って過剰な労働をさせ続ける。これは極端極まりない。だから、電通の若い女性社員の自殺が起こってしまったのだ。

けれども、労働者の言っていることが真実なのかどうかは、一方の意見だけでは判断できない。ましてや、政治経験もほとんどない若者の意見が全て正しい、と考えるのは非常に危険なのである。事実確認もしないで、長老の意見も無視したレハブアムの犯した代償は大きい。その後のイスラエルの歴史を見ると、あまりに大きすぎる。

これを見ると、今の日本の阿倍政府も、アメリカのトランプ大統領も、そして北朝鮮も全く同じ状態になっているのではないかと思う。日本では、森友学園問題や、加計学園問題など、疑惑が後を絶たないが、自民党自ら事実確認をしようともせず、隠蔽し、闇に葬ろうとしている。自民党は昔、様々な考えの人が多くいたようで、間違った方向に行かないように、他の自民党員達の意見を取り入れていたようだが、今の自民党にはそれがなくなってしまっているという。今の政権は、同じ自民党内で批判的な意見を持つ者の意見を全く聞かなくなったようだ。従って、今の安倍政権には、誰もブレーキをかける人がいない、いわゆる暴走状態なのであろう。

また、アメリカではトランプ大統領の極端な保護主義・思想がアメリカ国内だけでなく、世界をも分断している。これらのトップの人達が、果たして北朝鮮の危機を乗り越えられるのか、はなはだ疑問である。

ここから分かるのは、組織や国家のリーダーの器であるためには、偏った思想や考えを持ってはいけない、ということである。一つの偏った考えを支持すれば、分断は免れない。こういう混乱している社会だから、逆に私達は極端な思想に捉われる誘惑が強くなるのではないか?自分の思いや考えに気を付けていないと、私たちは第2次世界大戦前のドイツのナチシズムや、大日本帝国が犯したような過ちにまた陥ってしまうだろう。

極端な思想は、組織や国家だけでなく、私達自身をも滅ぼすことになるのである。

 


国が繁栄するのに最も大事なことは、正義である

2017年05月07日 | 政治・国際情勢について

日本の政治の体たらくぶりは今更に始まったことではないが、それにしても問題が次から次へと矢継ぎ早に起こり、歯止めが利かないようである。森友学園を含めた数々の政治と金の問題、大臣の失言、女性問題にまつわる不祥事など、数えたらキリがない。またそれだけでなく、国会答弁を見ていても、防衛大臣がまともに答弁できない、どう考えてもとんちんかんな答弁しかできない法務大臣。私は仕事で通訳をすることもたまにあるが、思わず、この答弁の通訳をするとしたら、本当にバカバカしくて通訳もしたくない、日本の恥さらしをするだけの、本当に馬鹿げた答弁であると感じてしまった。

日本を引っ張るトップレベルの人間が、この様な体たらくで本当に良いのか??政治だけでなく、警察官による不祥事や事件も多く、警察自体も体たらくになっているようである。本来、批判的な観点で物事を洞察しなくてはいけないはずのマスコミもこれらの問題に関して真剣に取り上げるということもしないから、結果、政治家達は何をしても許される、と感じるようになり、国民をすっかりなめてしまっているのではないかと強く感じている。

人の前に立つこの様な大人の姿を見ていると、若い人達や子供が悪いことをしても許されるんだ、罰せられないんだ、と思い、世の中をなめるようになる。そうすると、この人達が大人になって国を引っ張る立場になると、体たらくさがますます度を増すばかりになるのである。

現在、旧約聖書の第二サムエル記を読んでいるが、ここではイスラエルの王、ダビデの王としての有能ぶりが数々記されている。このサムエル記を読んで見ると、彼は、自分の為に働いてくれた側近や部下に対しても、罪を犯した場合は、それが意図的であろうとなかろうと、死という厳しい処罰を下していたことがわかる。

今の時代だと、大変厳しい処罰だと思うのだが、この時代はイエスが来る前の、律法の時代であったため、この様な厳罰な処罰が下されていたのであろう。今の時代であれば、ここまで厳しくする必要はない。しかし、厳しくする必要がないからと言って、緩すぎる処罰(もしくは処罰がない)となると、これでは周りに示しがつかず、モラルが下がり、人々はトップについていかなくなる。これは、会社の組織でも同じことである。

ダビデが有能だったのは、第二サムエル記8章15節に記載されているように、「その民のすべての者に正しいさばきを行った。」からだ。たとえ、自分の為に命をかけて戦った部下でさえ、ダビデの判断を仰がないで勝手な行動を起こした為に、死という厳罰な処分を下していた。

同じ旧約聖書の箴言では、国を繁栄させる為の唯一大事なことが記されている。

正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。」(箴言14章34節)

その証拠に、ダビデは姦淫の罪を犯して以来、正しい裁きをするどころが、無実で忠実な部下を殺害するまでに至り、結果、人々はダビデから離れていき、挙句の果てには、自分の息子に追われて、国を出ていく羽目になってしまっている。この時点では、イスラエルは既に経済的にも潤っていたと思う。にも関わらず、人々の心がダビデから離れてしまったのは、このダビデの体たらくさ故だったのではあるまいか。

国を繁栄させるのは、経済政策や教育政策、軍事政策でもない。正義がまかり通っているかどうかなのである。従って、国のトップになるような人は、人格高潔でないといけないのであるが、残念ながら、今の与党も、そして野党にもそのような人物は見当たらない。(しかし、個人的には、最近は表舞台に現れていないが、私が尊敬する高潔な政治家が一人いる。その人に将来、首相になってもらいたいと思っているのだが。)

トップたる者は、自分の取り巻きや部下に甘い人であってはならないのだが、残念ながら状況を見ると、まるでお友達のように馴れ合いごっこをしているようで、緊張感がまるでない。このような環境では、正義もへったくれもなくなってしまうのであろう。