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ゴジュウカラの絵日記

あっという間に50代!?その日々の素直な思いや疑問や感動を綴ってみたい。(著作権は管理者に帰属します)

金剛山で藪漕ぎ?!

2007-07-13 11:19:04 | 自然・環境
 以前からR115を福島に向かう度に気になっていた。山頂付近の彫の深い(?)姿が何となく魅力的で、何という山だろう?と、、、。いつか調べて登ってみたいものだと思っていた。猪苗代の用事が済んで、午後が約束の福島へ向かう途中、丁度その付近で時間が余ってしまった。ふと魔が差して(?)ハンドルを切り、この気になる山の方へ向かって見たら、道路沿いに「金剛山入り口」の看板が出ていた♪しかも、「ボケ封じ観音」と言うおまけまで付いているではないか!これは何かの因縁・或いはお導きと勝手に解釈して、約束の友人宅に電話して誘惑しようとしたが断られた。時間があるのだったら早めに来て一緒にお昼を食べなさいとの事。「ボケ封じだよ~!」とおまけをちらつかせたけど、家族を働かせている最中とかで、流石に自分だけ逃げ出す訳には行かない様子なのでこちらは諦めて、比較的近い町の友人に「駄目元」で電話してみたら、なんと二つ返事でOKが出て、彼女の到着を待って遊歩道と書いてある山道を歩く事に決定!
 青天の霹靂のような誘いだから、「急がないでゆっくり支度して来てね!」と念を押して、さて、たまには待つのも良いもんだとばかり車の中でうたた寝をしたり、それも厭きて気持ちの良い梅雨晴れ間の空を写生してみたりと余裕で楽しんでいたら、それらしい車が来た。先ず境内の入り口にある「刺抜きお地蔵さん」にお参りする。清水が流れていて、そばに束子が何個か置いてある。彼女曰く「自分の悪い所、直して欲しい所をこの束子で擦るんだよ~♪」と。ふうん?こんなの初めてだなあ!と思いながら、「私は頭が悪いから!いや、根性も悪いし、あ、目が悪い、足にもウィークポイントあるんだっけ~~!」と自分の頭や胸を束子で擦ってみて「ん?」と気付いた・・・彼女はお地蔵様の体を束子で洗っている?!・・・やっと合点が行った、、、^^;)やはり、一番悪いところは頭だ!とお地蔵様の頭は特に念入りに磨く、、、--;)
 遊歩道入り口の案内板でコースを確認して、急な階段が続いている方を登りに使うことにする。「遊歩道だから♪」登山靴に履き替える程もないかなと私にしてはどっちかというと街歩き用(?)の靴で歩き出す・・・・でも、これが甘かった!裏磐梯の地図と20万分の一の地図しか持って居なかったので、地図で確認しながら歩くといういつもの習慣を省いてしまったら、遊歩道の終点から467mの山頂に続く登山道を良く把握しないまま四等三角点の山頂についてしまった?! 見ると三角点の先に来る時と大違いのなだらかなシッカリした踏み跡が延びている。たった今四輪駆動で這い上がってきた登山道へ戻りたくないという願望が強く、「もしかしたら此処から遊歩道に続いているかも知れない~♪」という山登りでは決して嵌まってはならない「希望的観測」という罠にもう少しで嵌まる所だった。踏み跡が消えて来て行く先に向こうの尾根が見えて来て、はっと気付いてコンパスを覗いてみると、ひたすら南に向かっている模様、、、^^;)友人を誘った責任も手伝って、少し元気を失いかけていた私に「お腹すいたから、兎に角お昼にしましょうか?」と友人が助け舟を出してくれる・・・・傍目にもガス欠が一目瞭然だったのだろうか、、^^;)一息ついて、脳細胞にも栄養が行き渡り、薮蚊もうるさくて、「ひとまず山頂に戻り、ほぼ登山道に沿ってコンパスを頼りに藪漕ぎしながら下ろう!」と言うことに決定。20万分の一で観た方角だから、かなりずれるとは思うけれど、車により近い所に下りればOKと言うことで急斜面をサルのように、或いはターザンのように(?!)下り始める。時々絶体絶命と思える地点あり、でも不思議なもので自分のありとあらゆる能力をフル回転させて結構とそれを乗り切る工夫が、力が出て来る・・・・・やっぱり刺抜き地蔵さんの頭を念入りに擦っておいて良かったみたい?!・・・窮地も段々楽しくなってくる、と少し勾配もなだらかになって人の手が入っているらしい杉林になって来た。「しめたっ!」道なき道でも誰かの歩きやすい踏み跡がある筈、そして大きな道に通じる筈と楽になった藪を更に下っているうちに「何と?これが遊歩道?」と言うような車がゆうに通れるような道に出てしまった、、?! ホッともしたけど、少し残念な気持で歩いて行くと、あっという間にお地蔵さんの居る駐車場に着いてしまったのだった。よい道連れに恵まれた事に感謝!思いがけない冒険をさせてもらった事に感謝!♪
 友人と別れて、さて本命の用事に向かうのに「任せといて!私んちの中庭よ~!」と焦るあまり近道を目指したら見事に迷ってしまってやっと辿り着いた時は友人も、怒りも心配も通り過ぎて諦めに変わっていた頃だった?!・・・ような気がする。大仕事が終わって、息子は、とっくに無罪放免で出かけて居たし、旦那さんはゆったりとテレビを見ていたけれど、私の顔を見てニタ~ッと可笑しいの堪えるように笑った、、「ん?私、そんなに(友人は兎も角、、、^^;)ご主人の前でも何度か恥を晒していたっけ??・・・あ~~~っ!?」自分が全部、忘却の彼方に追い遣って居ただけだった・・・○○事件・バッテリー事件・○△事件・・・そして勿論、友人には、その何十倍も毎度ご迷惑おかけしておりま~~すm(__)m

「貝の火」朗読会

2007-07-11 19:54:41 | 自然・環境
 大好きだけど難解な宮沢賢治の童話や詩の世界、子供の頃から何度となく読み返し、魅力的だけど難解なのか?難解だから魅力的なのか?解らないまま兎に角気になっていた作品だった。友人からの情報で前回の朗読会に出かけたら、朗読会の案内が届いた。作品はその「貝の火」だった。小躍りしてワクワクしながらその日を待ち、方向音痴も何のその「野性の勘があるわさ!」と駆けつけた。
 会場は、とある片田舎の喫茶店・・・かな?何だかタイムトンネルをくぐったような異次元世界の扉を開いたような不思議な空間だ。おまけに魔法使いが化けているんじゃない?と思える猫が店番をしている?! 生粋の(?)手作りケーキとハーブテイが何だか心に溜息をつかせてくれるんだっけ、、、♪
 
 ハーブテイを飲みながら待つこと数分、、かな? 不思議な音色の鈴の音で朗読会が始まった・・・何でも、この鈴の音は聴衆の為というより朗読者本人のスイッチ切り替えに重要な役目(?)を果たしているのだとか、やはりタイムトンネルか異次元の扉かしら?

 「貝の火」は長いので途中にテイータイムを入れると言う事だった。「そんなに長いんだっけ?」とふと思ったけど、何の事ない私が印象的な場面以外はすっかり忘れていた(=この辺の方言ではほろけていた、、!?)だけだった。語り手と聴衆とひとつになって物語が進んでいくうちに、自分で読んでいただけでは気付かなかった物語の謎(?)や意味が少しだけだけど解ってきた(=ような気がする、?!)憎っきはずるく卑怯な狐なんだけど、案外大なり小なり似たような人間が居るのが現実社会だとも気付かされる。良識ある大人と思えていた主人公ホモイの両親も微妙に意志の弱さを持つ普通の大人だったんだと、、。これまで「貝の火」は自分にとって在る意味バイブルでもあったけれど、こうして他人が朗読するのを聴く中で、薄っぺらな平面図だったのが奥行き深く少しの汚れと登場人物(=動物)の体温が感じられるようになった。それは一面怖いことでもあるけれど、こういう積み重ねで理解を深めていくことも必要だと思った。

もっと原風景を

2007-07-11 13:30:02 | 自然・環境
 車で遠出すると、「ここでもか!?」と思える何だか矢鱈と植栽した沿道や観光地が目に付く。一箇所くらいなら、或いはゆっくり短距離を歩くだけだったら、まあ「綺麗!」と感嘆符が出て来るけれど、車で走ると、まるで判で押したように、今流行の化粧をしたような光景が延々と続くのには辟易する。コスモス・マリーゴールド・向日葵・ヒナゲシ・西洋紫陽花・・と何処の国籍だか分からない園芸種が軒を連ねる。車を幾ら走らせても、同じ様な沿道の風景は変わらない、、。
 偶々通りかかって入ってみたのだけれど、天鏡台の入り口の草原にミヤマキンポウゲの種類だろうか、キンポウゲが黄色い星をちりばめたように咲いていた。ずうっと厚化粧の沿道を観て来た目には、懐かしく爽やかな風景だった。キンポウゲは有毒植物だとは、近所の子供達とままごと遊びなどをする段階で教わっていたけれど、今の子供達はどんな風に自然と触れ合って居るのだろうか? 私たちが原っぱで田んぼの畦道で神社の裏山で探検・発見をしていたように、植栽された公園や危険がないようにと山の上までバリケードされた遊歩道、U字溝と大差ないセメントで固められた池や川で自然と触れ合うのだろうか?

 プロジェクトを組んで植栽のお世話をしている方々には申し訳ないけど、ボランテイアで労力を惜しみなく提供している方々にも悪いけど、何もせず自然のサイクルに任せておいた方が良い場合もある。(無論、必ずしも、そうとばかりはいえない場合もあるけど、、、^^;)何はにつけ性急に人間のサイクルで自然を改造し過ぎないだろうか?それも「右習いっ!」のワンパターンで、、。

 子供の教育でも言えることだけれど、「放任主義とは、ほったらかしにすることではなく、遠くから見守ること、辛抱強く待つこと」だと思う。「待つ」と言うことは、もしかすると「神様が呉れた時間」かも知れないと思う今日この頃だ。わずか寿命100年足らずの人間が、そのサイクルで、寿命何百年或いは何千年、否、もしかすると何億年の自然を、小賢しく改造して良い筈がないと心の奥底で思える。

 厚化粧を落とした自然の原風景を想像して見るとイイ! どれだけ心癒される爽やかなものか、、。

安かろう悪かろうの時代?

2007-07-07 01:40:02 | 自然・環境


 先日、郡山市で食育シンポジウムなるものがあり、醗酵学の権威でもある農大教授小泉武夫氏の講演会があると聞き、仕事先から大急ぎで足を延ばし、聴講してきた。その講演のキーワードのひとつに「245円の弁当」と言うのがあった。話を進めるうちに何故245円の弁当が可能か謎解きをしていくと「如何に安いだけの素材を上手く操作して客を引き寄せるか!」の業界の魔術の種明かしとなる。聴いているうちに今の日本の現実を目の前に突付けられた思いで暗澹たる気持になる。聴くところによると日本の食料自給率40パーセントしかないと言う。その怪しげな激安のお弁当はその他60パーセントの材料から出来ているらしいけど、、。

 食料に限らず、「安ければいいのか?」と言いたくなる様な商品が横行する。昔、子供の頃、折り込み広告が出始まったばかりの頃だったかと思う。物珍しげに「安売り広告」に見入っている家族に、普段は物静かで無口な祖父が苛立って言った「安物買いの銭失い!」だと、、。あれから何年経ったのだろうか、過ぎてみれば左程の年数ではない・・・でも、ドンドン文化が失われていく・・・安ければ良いのか?速ければ良いのか?そして他人より楽して得をしたい? 他人より一銭でも多く金を儲けたい? 結局、何を掻き集めようとしているのか?

 「夢見たものは一つの幸福」と詩っていたのは、立原道造だっただろうか? それは多分,他人からどう見られようと確とした譲れない信念に裏打ちされたもの、たとえ灯りは蝋燭一つでも、食べるものがおにぎり一個でも、虚飾や小賢しい議論に惑わされないもの。それは多分、木枯らし紋次郎が(えっ?!)木を削って削って探し求めた一本の楊枝のようなもの、、、。計算なんて合わなくてもイイ! 栄養学になんかそぐわなくてもイイ!! そんな食べ物を食べたい。そんな道具を使いたい。そして、自分の利益・都合よりも相手の気持・有用を先にする人と付き合いたい、、、。

日本縦走の青年

2007-07-02 17:43:13 | 自然・環境
 久しぶりに一日かけての山歩きの後、友人と二人帰り支度をしながらも余韻を楽しむように駐車場で軽くお茶飲み話をしていたら、向こうの方からニコニコと笑顔を向けてザックを背負った青年が歩いてくる。はて?見覚えはないけれど誰だったかしら・・・・このところ、物忘れも進行中だから、うっかりした事も言えないし、ま、当たり障りなく「どちらへ行って来たのですか?」と尋ねると「○△の方から戻ってきました、。」とにこやかに答えるが、どうも言葉が不自由な様子!?友人が「あっ?!」と気付いて(こういうところは私は鈍い蛍光灯なのだ、、、^^;)「日本の人じゃないんじゃない?」と言う。「嘘でしょう!何処から見ても日本の顔でしょう!!」と本人を前にかなり失礼な事を言ってしまったら、「そうです、父親が日本人でドイツから来ました」とのこと!? で、日本語も片言、だけど上手♪ 何でも3ヶ月のフリーパスを使って日本に来ているとかで、北海道からガイドブックを見ながら明後日の計画を立てて、ユースホステルやキャンプ地を利用しながら縦走して来たとのことだ。あまり得意じゃない英語を友人と片言搾り出しながら話をしてみると北海道は十勝岳や礼文・利尻、摩周湖等を歩き、青森を経て平泉、奥松島などを観て来たのだと言う。友人が話を聞きながらしきりに感心している、「日本人だって中々思いつかないようなとても良いポイントばかり歩いて来ている!♪」と、、、。
 自分達の話をする段になって、20万分の1の福島の地図を見せたら、山の名前がところどころ印が付けてあるのを目聡く見つけて「これ,全部登った?」と訊く。この年まで山歩きしているんだもの、このぐらいは当たり前なんだけど、「そうよ!本当はこの地図以外にももっともっと登ってるの!!」とついつい自慢してしまう。すると「スゴイ!すごい♪」と感動しているけど、こんなに素直に感動されると大人気なく鼻の穴を広げて自慢した事が恥ずかしくなる、、、^^;)
 数分間の国際交流(?)ホッとするような良い時間だったけど、何だか今の日本人の若者に欠けている何かを思い知らされて、帰り道少々考え込んでしまった、、、。
 でも、頑張って良い旅続けてね!!