Waiting for Tuesday

こちらは宇都宮敦の短歌ブログです。

一首鑑賞(45)

2016-08-30 20:29:00 | 一首鑑賞
ユニホームを着るのが好きだ似合わないユニホームならなおさらいいな  谷川由里子

 気の合う仲間とフットサルチームを作ろうとなったとき、ユニフォームをしつらえる段が一番盛り上がる(二番目に盛り上がるのはチーム名を決める段)。でも、この歌の「ユニホーム」はそういうのではなく、「似合わないユニホームならなおさらいい」と言っているので、もっと出来合いで制服的な「ユニホーム」だろう。つまりは、没個性で画一的でお仕着せだったりする「ユニホーム」、その「ユニホーム」「を着るのが好きだ」と表明するこの歌は、<制度>へのある種の恭順に読まれるかもしれない。しかし、鑑賞者はその真逆で、戦いの歌だと考える。どんな戦いかといえば、<制度>から<世界>への「ユニホーム」の奪還。「ユニホーム」を没個性で画一的でお仕着せだったりする「ユニホーム」から単なる「ユニホーム」にすること。反<制度>ってわけではないから、この戦いは分かりにくいっちゃ分かりにくいけど、このニコニコとした戦いを鑑賞者は支持したい。

(谷川由里子「ずっとレコード」/「サンカク」(短歌同人誌「一角」3号)、2014年)


一首鑑賞(44)

2016-08-28 22:42:00 | 一首鑑賞
一度だけ「好き」と思った一度だけ「死ね」と思った 非常階段  東直子

「一度だけ「好き」と思った一度だけ「死ね」と思った」のは、それぞれ別の時なのか同時なのかってところで読みが分かれそうだけど、同時として読んだ。「「死ね」」という言葉はあんまりいい言葉じゃないと思うけど、いや命を軽んじてるとかそういう意味ででなく、他力本願すぎじゃないって意味で、でも、この場合は「「好き」」も「「死ね」」も同じで、どちらもどうしようもない不可抗力としてやってくるので「「死ね」」でいいんだな、というか「「死ね」」しかないなと思う。「非常階段」は意味的に捉えるとあまりにこの極私的非常事態に出来過ぎ感が出過ぎるので、個人的には、殺風景なビルの外階段のイメージとの響き合いをとりたい。

(東直子『春原さんのリコーダー』本阿弥書店、1996年)


一首鑑賞(43)

2016-08-17 21:30:00 | 一首鑑賞
あしもとを濡らしてじっと立ち尽くす翼よりくちばしをください  土岐友浩

「翼」も「くちばし」も人間のもっていない器官だが、「あしもとを濡らしてじっと立ち尽くす」主体が欲しているのは「翼」ではなく「くちばし」である。「翼」を望んでいるのなら、主体はあしもとの濡れた不快な状態から脱出したいのであろうが、そうではない。「くちばし」を得て、高らかに鳴きたいのか、あしもとをほじくってえさを食べたいのか。鑑賞者は、主体が望んでいるのは「くちばし」のもつそういった機能ではなく<見た目>なのだと思う。自分に「くちばし」があれば、「あしもとを濡らしてじっと立ち尽くす」ことが画になるのに。鷺とかのイメージを想起した。それも白鷺ではなく青鷺のくすんだ感じ。ややユーモラスに逆自己愛的な方向にふった表明で、逆自己愛も自己愛だと切り捨てる向きもあるかもしれないが、その根底にいる<きちんと>「立ち尽くす」ことを選ぶ主体を、鑑賞者は好ましく思う。

(土岐友浩『Bootleg』書肆侃侃房、2015年)


一首鑑賞(42)

2016-08-13 14:51:00 | 一首鑑賞
ゆめのやうに過ぎてゆきますあくまでもゆめのやうにでゆめぢやないです  小池純代

グルメ番組で、「まるでお肉みたい~」みたいな褒めコメントを聞くと、じゃ、はじめから肉食えよと思うのだが、比喩というのはどんなに精度が高くても喩えるものと喩えられるものは根本的に違う(だから比喩が成立する)。「ゆめのやうに過ぎてゆ」くと思ったのならば、それはまぎれもなく「ゆめぢやない」。そのことを、自分に言い含めるような「あくまでも」。ところで、この「ゆめ」は、吉夢なのか悪夢なのか。どちらでも成り立つだろう。吉夢だとすると現実が吉夢のようだということで基本的に喜ばしいことを歌っているようにみえるが、(良い夢のようなのに)「ゆめぢやない」ことがちょっと残念な感じもしてしまう。逆に、悪夢だとするとひどい現実が迫ってくるが、悪い「ゆめぢやない」ことにちょっとほっとさせられてしまう。このように夢と現、瑞と凶が複雑に糾われている歌だと思う。

(小池純代「もんどり問答集」/「短歌ヴァーサス」2号、風媒社、2003年)