なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね 増田静
「なんでなんで」は「君を見てると」ではなく「靴下を脱ぎたくなって」にかかっているのだろう。「君を」好きなのはわかっている。「なんで」、好きという気持ちが「靴下を脱ぎたく」なるという気持ちになってしまうんだろうというちょっとした恥ずかしさ。「靴下を脱ぎたくな」るのは、心を許しているとかそういうことの象徴といえるかもしれないけれど、もっと理屈じゃない欲望な気がする。だから、「困る」。いや、「困る 脱ぐね」でたいして困ってない。たいして困ってないし、脱いじゃう。その先のことを想像できるからじゃなく、この行為自体がたまらなく官能的でかわいい。
(増田静『ぴりんぱらん』BookPark、2003年)
本箱が無いから本を冷蔵庫に入れて眠ると君は言ひたる 水上芙季
「本箱が無いから本を冷蔵庫に入れて眠る」は後半の行動の派手さにびびるが、よく考えると前半も後半の理由になってない。そのへんに転がしていても「眠る」ことはできるはずだし。ともかく収納はしなくてはいけないという気持ちはもっているのだろうか。ただ、律儀なのか狂ってのくよくわからないが、この「君」が魅力的であることはよくわかる。冷蔵庫のなかでキンキンに冷やした「本」が何なのか気になる。
(水上芙季『静かの海』、柊書房、2010年)
おれか おれはおまえの存在しない弟だ ルルとパブロンでできた獣だ フラワーしげる
「存在しない」のに存在するみたいな話は哲学的な問いかけになりやすいけど、この歌は「ルルとパブロン」の音の響きもあいまって神話的なにおいがする。ほら、「ルルとパブロン」って、南洋の神話なんかにでてきそうじゃない? 未分化な神と人間と動物、矛盾だらけのファミリーツリーに近親相姦的恋愛、創造と生殖が同義である感じ。(あまりに適当で専門家には怒られてしまうかもしれないが)鑑賞者が思う神話的な要素てんこもりだ。ただ、「ルルとパブロン」は神の名でもそれを模した造語でもなく現実にある風邪薬の商品名である。これは英雄時代の歌ではなく現代の歌だ。現代において英雄的な振る舞いをすることの喜劇的な暴力性と悲劇的な孤立性を感じる。
(フラワーしげる『ビットとデシベル』書肆侃侃房、2015年)