ゆめのやうに過ぎてゆきますあくまでもゆめのやうにでゆめぢやないです 小池純代
グルメ番組で、「まるでお肉みたい~」みたいな褒めコメントを聞くと、じゃ、はじめから肉食えよと思うのだが、比喩というのはどんなに精度が高くても喩えるものと喩えられるものは根本的に違う(だから比喩が成立する)。「ゆめのやうに過ぎてゆ」くと思ったのならば、それはまぎれもなく「ゆめぢやない」。そのことを、自分に言い含めるような「あくまでも」。ところで、この「ゆめ」は、吉夢なのか悪夢なのか。どちらでも成り立つだろう。吉夢だとすると現実が吉夢のようだということで基本的に喜ばしいことを歌っているようにみえるが、(良い夢のようなのに)「ゆめぢやない」ことがちょっと残念な感じもしてしまう。逆に、悪夢だとするとひどい現実が迫ってくるが、悪い「ゆめぢやない」ことにちょっとほっとさせられてしまう。このように夢と現、瑞と凶が複雑に糾われている歌だと思う。
(小池純代「もんどり問答集」/「短歌ヴァーサス」2号、風媒社、2003年)
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