Waiting for Tuesday

こちらは宇都宮敦の短歌ブログです。

一字あき

2005-10-31 03:30:43 | ノンジャンル
アジア某国からこんにちは、
宇都宮敦です。
仕事の関係で、こちらに移り住みました。
というわけで、怒濤の1週間でした。
なんか、門扉に龍の絵が書いてあるアパートに住んでます。
まだ落ち着いてないのですが
ひとまず、第4回歌葉新人賞選考会に参加しての感想を。
なにはともあれ、笹井さん、おめでとうございます。
歌集楽しみにしています。

ざっと検索して、いろいろな方の感想などを読みましたが、
当日の様子は牧野芝草さん
レポートがくわしかったです。
(当日ご参加でない方は是非ご参照ください)

結果そのものよりも、
穂村さんが、早々に上位選出であることを
表明してくださったおかげで
加藤さん、荻原さんの本音の部分
(もちろん他の発言に嘘があるという意味ではないです)での
僕の作品を認められない理由ってのが
聞けてよかったです。

話題の一字あきについてですが、僕なりにまとめると、
加藤さんの批判は、一字あきに意味をもたせすぎていて、
一字あきがないと読めない作品が多すぎる、
一字あきがないと読めないものは短歌として
成立してないのではないかというもので、
一方、荻原さんの批判は、
批評性もなく雰囲気であけているような一字あきが
散見するというもので、
逆方向からの批判だったと思われます。

僕の一字あきは
枡野さんのところに投稿するうちに
「意味の切れ目には一字あきをいれましょう」
という教えに殉じて、
それこそ「オートマチック」に
いれていくうちに獲得したものです。
しかし、枡野さんのもう一方の
「ひとつの散文として切れ目なく仕上がっているのが理想」
という教えは
ガン無視なわけで、
一字あきの多用は、教えられたから踏襲というよりも、
教えられたうえで自分で選びとったという
自負はあります(というとかっこよすぎる気がするけど)。
一字あきをガンガンいれていって
一首を統べる万能感をなくしていくというのが、
僕の問題意識というか書きたいことに合っていた、
あるいは、一字あきをガンガンいれて
統覚を減じていくうちに
問題意識や書きたいことがでてきたのだと思います。
だから、僕は枡野さん経由で短歌に出会ってなく
別ルートで短歌の世界に入っていたら
(という仮定が有用なのかどうかは別として)
もっとつまらない歌しかできなかったと思う。
えーと、何が言いたかったかというと、
いまのこの状況は枡野さんの「せい」ではなくて
「おかげ」です、ということです。

えーと、やせます。
でも、僕の歌、かっこいい系ではないので
まだ大丈夫だと思うけど。
でも、
これ以上肥えたら作風かえなきゃいかんなと
思っていたところです。




コメント (1)
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