Waiting for Tuesday

こちらは宇都宮敦の短歌ブログです。

一首鑑賞(33)

2016-02-27 21:52:00 | 一首鑑賞

ちびっこの曲がらぬカーブ打ち返すリトルリーグで遊ぶ七月  片岡聡一

 久しぶりに行った小学校の体育館のバスケットゴールの低さみたいなかわいさが「ちびっこの曲がらぬカーブ」にはある。そして、それにダンクをぶちかまして壊してしまうような、かわいくない大人げなさがこの「打ち返す」にはある。でも、主体はただ「遊ぶ」だけで、指導的なことを1mmもおこなっていない。技術的な指導だけでなく、自分の大人げなさを世間の厳しさを教えるみたいな正統化もしていないのはいい。大人げないことは大人にしかできない。


(片岡聡一『海岸暗号化』青磁社、2012年)

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一首鑑賞(32)

2016-02-20 21:58:00 | 一首鑑賞

ハンサムなしょくぱんまんを好きになるように娘は育てるつもり  佐藤真由美

 鑑賞者はアンパンマンに詳しいわけではないが、同程度のアンパンマンリテラシーの人は、まず、あの世界で「しょくぱんまん」のルックスはかっこいいことになっていることを呑み込まなくてはいけないかもしれない。「ハンサムなしょくぱんまんを好きになるように」は、まじめな性格込みの「ハンサム」さに惹かれるようにという意味もあるだろうが、どちらかというと、みんなが思う「ハンサム」さを同じように「ハンサム」さだと思い、疑問もなく惹かれるように、という気持ちだろう。いい悪いは別にして、そのほうが生きやすい世界であることを母である主体は知っているから。そして、自分はそうではなかったから。ここに若干の親のエゴを感じてしまうが安心していい。あくまで「つもり」なのだ。「娘」の幸せを祈ると同時に、親の思うような幸せに乗っかってくれない事など端から分かっている。なぜなら、他ならぬ自分がそうであったから。

(佐藤真由美『プライベート』、マーブルブックス、2002年/集英社(集英社文庫)、2005年)

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一首鑑賞(31)

2016-02-13 17:11:00 | 一首鑑賞

半袖じゃ寒いねでもねもう少しリリーフカーでゆけるとこまで  市川周

 「リリーフカー」は、ブルペンからマウンドまで救援投手を送るものなので、「リリーフカーでゆけるところまで」ということは、主体は救援投手ではないのかなと思う。救援投手のバックレにも読めるかもしれないけど、「半袖じゃ寒いね」と気候にあわない格好をしているので、やっぱり違うと思う。最近はリリーフカーはふつうに車だけど、ここでいう「リリーフカー」は昔の、ゴルフ場のカートみたいなやつだろう。主体の心情に、この「リリーフカー」を出すことで、日本のプロ野球のドメスティックなあの感じが付与される。「半袖じゃ寒い」、優勝争いに関与しない秋口のペナント終盤、「リリーフカー」のもつたよりなさと若干のさらしもの感、「ゆけるとこまで」と言いつつ、そんなに遠くまでいけないことは知っている。それでも。


(市川周「午後の右翼手」/『短歌ヴァーサス』11号、2007年) 

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一首鑑賞(30)

2016-02-06 18:58:00 | 一首鑑賞

ラジコンのカモメきらめく海に墜ちそれぞれの荒っぽさでののしる  種田郁子

 広々とした海でラジコン遊びをしている持ち主に、付き添い者が貸して貸してと言いながら、返事も聞かずプロポをとりあげるんだけど、持ち主が操作方法を教えるひまもなく誤操作で海におとしてしまい、当然、持ち主は何やってんだとののしるけど(安いもんじゃないしね)、それにかぶせるようになんでおちるわけとラジコンに向かってののしる、みたいな感じを読んだ。ただ、上句は「の」の解釈によって、すなわち「ラジコンの」を連体修飾格ととるか主格ととるかで、見える景色がかわる。連体修飾格ととれば、「ラジコンのカモメ」、カモメを模した羽ばたき式飛行機のラジコンが「きらめく海に墜ち」(きらめくのは海)だし、主格ととれば「ラジコン」が「カモメきらめく海に墜ち」(きらめくのはカモメ)になる。後者は、「ラジコン」がヘリコプターや飛行機なら前者とあんまりかわらないかもしれないけれど、車だと波止場みたいな舗装の行き届いた平坦なところで、オンロードカーで遊んでる感じになってだいぶ雰囲気がかわる。個人的には、飛行物、とくに「カモメ」を模した飛行機がコントロールを失って海に墜落していく無惨さも捨てがたいけれど、車が突然加速して一直線に海に向かってダイブする画のほうが好みだ。読みのぶれは傷となることもあるけれど、この歌についてはプラスになっていると思う。どんな可能性の中でも同じようにののしっていて、持ち主には気の毒だが笑ってしまう。

(種田郁子「ダズル」/『早稲田短歌』44号、2015年)

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