Waiting for Tuesday

こちらは宇都宮敦の短歌ブログです。

一首鑑賞(25)

2014-09-22 02:43:00 | 一首鑑賞
7月の冷たいアイスクリームを 結婚しよう 思い出してる  木村比呂

 「7月の冷たいアイスクリームを」「思い出し」ながら、「結婚しよう」という言葉がふと口をついてしまったのか、意気込んでプロポーズしようとしているときに「7月の冷たいアイスクリームを」「思い出し」てしまったのか、あるいは、「7月の冷たいアイスクリームを」「思い出し」ているときに「結婚しよう」という言葉をきいたのか。いずれにせよ、「7月のアイスクリーム」と「結婚」の関係も誰の言葉(実際の言葉にせよ心の中の言葉にせよ)かもよくわからない。でも、なんだろう。不条理で唐突なのに別にびっくりはしない。むしろ、奇妙な安心感がもたらされる。「結婚しよう」という呼びかけ(あるいは決意)は祝祭のなかにあるが、「結婚」(生活)自体は日常だ。「7月の冷たいアイスクリームを」「思い出している」のは普通のことだけど、普通すぎて異常だ(普通のことは普通思い出さない)。これらが、文法的にはあんまりない挿入によりあざなわれ、いい感じとしかいいようないものが生み出されている。
(@rahiro 8:42 - 2012年7月3日https://twitter.com/rahiro/status/219939133295034368


一首鑑賞(24)

2014-09-14 19:14:00 | 一首鑑賞
歩道橋に立って遠くを眺めてた 空は近くて遠くは遠い  加藤千恵

 それほど高いというわけでもないのに、「歩道橋」の上というのは不思議な開放感がある。わりとごみごみした街でさえも。だから、イメージ的にも感情的にも上句はひとつの共感に収斂しやすい。しかし、下句を読んでしまうとひとつの疑問が浮かぶ事によってその共感はたやすくほどけてしまう。「空」が「近」いというのなら、主体は何を眺めていたのだろう。「空」が「近」いというのなら、街路樹もビルも道ゆく人も目に映るすべては「近い」はずだ。ここで「遠く」が、自分の未来とか、目では眺めることができないもののある種の比喩的な表現ととる事も出来るかもしれないけど、やっぱり、僕は「遠く」をほんとうに眺めてたと思う。しかし、その「遠く」は、下句のような認識が頭をよぎるとたやすく消えてしまうものだ。「空」を「近」いと認識した事によって、上句が嘘になってしまったということではない。「空」も街路樹もビルも道ゆく人も目に映る全てを眺めながら「遠く」を眺めていたのだ、「遠く」を「遠い」と認識するまで。
(加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』マーブルブックス、2001年/中央公論新社(中公文庫)、2003年/集英社(集英社文庫)、2011年)


一首鑑賞(23)

2014-09-07 14:52:00 | 一首鑑賞
いや、君の努力はすべて実らない霧さばしりて隠さるる兵  黒瀬珂瀾

 バトルものの少年漫画とかで、絶望的に力量差のある敵と戦っていて、試行錯誤の末ようやくわずかな光明が見えたと思った矢先、実は敵は全然実力の片鱗すらも見せていなかったことが明らかになって、さらに深い絶望をつきつけられる、みたいな歌だなと思った(わかりにくい)。なにか事を成そうと思ったら、状況を把握し、戦略を練り、準備をするという、いわゆる「努力」をするわけだけれど、いざ事に及ぶ段で、それまですべて把握していたと思っていた状況が一変してしまい(突然の霧がたちまちに敵兵を包みこむように)、いままでの「努力」が無に帰してしまうというのは、わりとよくあることだ。「いや、君の努力はすべて実らない」とあらためて言われると絶望的な気分にはなるが、全否定ゆえのやさしさとユーモアをもっていてほのかな明るさがある。むかつくけど。それでも、「努力」は必要なのだ。「努力」が「すべて実らない」地点に立つために。そここそが本当の始点だから。そこから歩き出さなくては行けない。深い霧のどこに兵が潜んでいるか分からなくても。
(黒瀬珂瀾『空庭』本阿弥書店、2009年)