砂時計

人生は砂時計のようなもの。砂時計は、一粒の砂の落下から始まり、最後の一粒の砂が下の空間に着地したとき終焉となる。

捨石拾遺(すていし しゅうい)

2017-04-09 16:00:32 | 捨石 拾遺(すていし しゅうい)日記
捨石

「捨石」は、字面で読むと役に立たない捨てられた石、

或いは路端に転がっている小石という意味になるであろうか。

庭園のなかでは捨石は「景石」と呼ばれ、

庭園に在る他の草木や他の石を引き立たせるという存在価値を持つのである。

捨石だけでは、何の意味も価値も持たないが、

必要とされる処に在るまたは置かれるだけで、

その捨石は輝きを放す。



拾遺

捨てる神あれば拾う神ありというが、

こんな怠けものな「人間」を拾う神はないであろう。

高見順が詩のなかで、小さな石を蹴らないでくれ、小石にも“いのち”が在ると。

小石よりも自分の存在は更に小さく

砂漠に舞う砂塵のなかの一粒の砂にすぎない。

路傍の小さな石をみて

自分は、何を感じ、何を想うであろうか。

老後をゆったりと過ごす年金額もなく、

酒を酌み交わし語りあう友人もいなくなり

孤独な人間である。

憐憫の言葉さえかけられない捨てる石のような存在でしかない、いまの自分。

「拾遺」は、漏れ落ちたものをひろって補うという

意味があることから、この世に完璧な人はそう存在はしない。

自分の欠点は気がつきにくいけれども、

他者の欠点や弱点は気になる。

気になるところを何気なく補っていくことが、「拾遺」なのかもしれない。

自分があなたの隣りにいるだけで、反対にあなたが私の隣りにいるだけで、心が休まる、

そんな補いあいがあっていいのかもしれない。

“拾遺”とはそんな意味合いである。



捨てる神あれば、拾う神ありです

捨石の如く 役に立たない石と足で蹴られても

捨石を拾い 花の脇に置いてくれたことで 

花はより美しさを増し 小石にも生命があることを

花見る人に知ってもらいたい

そんな意味合いを込め「捨石拾遺」というペンネームにした








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