砂時計

人生は砂時計のようなもの。砂時計は、一粒の砂の落下から始まり、最後の一粒の砂が下の空間に着地したとき終焉となる。

ストレス性頻尿?

2017-04-14 03:00:21 | 捨石 拾遺(すていし しゅうい)日記

いま4月中に解決しなければならないことがありまして
それをクリアできないと 倒産という結末が待っている
森友学園の不正?補助金のことを考えると
本当に腹正しくなる
国などは強きを助け 弱きを切り捨てる
でも最悪の事態にならぬよう 日夜奮闘している
ポジティブに捉えているつもりだが
いつの間にかネガティブな影が忍びよる
熟睡ができず 何回もトイレに通う
ストレス性の頻尿なのか
年齢からくるものなのか
前立腺肥大か? 
排尿したあと スッキリしない
あと7日間為すべきことを為し 
青空を見たい

寝ているときが 至福?

2017-04-13 09:12:22 | 空蝉日記

寝ているときが 至福?
余り悩みが深刻でありすぎると
悪夢にうなされると
寝損の感がする

夢のなかで 空を飛ぶシーンが最高だ!
しかし地上に降り もう一度飛ぼうとし チャレンジするが思うようにいかない
目が覚め
もう一度寝直し
飛ぶ夢を期待するが
夢に出てこない

永遠の眠りというのは
眠りの延長なのだろうか
もし寝て そのまま目を覚ますことができなくなったら・・・
と、考えてしまうこともある

桜便り

2017-04-12 04:58:39 | 阿武隈川物語
桜便り

桜便りは隣町の那須町まで届き
阿武隈川の岸辺に届くのは
あと数日
桜を観るたび
「今年も桜の花に巡り会えた」
と、ホッとします。
齢を重ねるほど
桜の花を愛しくなります
蝉と同じく
桜の花も
この世に美しく咲く
時間は短く儚い生命だけに
余計に愛しくなるのかもしれない
悪戯な春の雨風に遭わないことを
祈る 壱日でも遅く


お前は誰だ!

2017-04-11 00:11:22 | 捨石 拾遺(すていし しゅうい)日記
一緒に住んでいる夫の名前も忘れてしまった
83歳になる白髪春田桜さんは
畳2枚分を合せたよりも 大きな鏡の前に向かって
「お前は誰だ!」怒鳴っていた。
「どうしたの?」と尋ねたら
「わたしが話しかけても、この婆~は黙っているだけで話もしない」
「だから怒ったのさ」
「そしたら婆~怖い顔をしたので、また怒ったのさ」

「お前は誰だ!」と叫んだ桜さんの声を聞いたとき ハッとした。
それは
「お前は誰だ!」と放った桜さんの言葉は
こだまとなって「お前は誰だ」と
自分に帰ってきた。
「お前(自分)は何者か?」
と問われると 言葉が詰まってしまった。
「捨石拾遺(すていし しゅうい)です」と答えても
自分が何者なのか 説明したことにはならない。
自分は どんな人間なのか
他者に対しどう思われているかと
他者の眼を気にしすぎるけれど
意外と自分のことがわかっていないのが自分。
だから「お前は誰だ!」と尋ねられたときは
躊躇(ちゅうちょ)してしまう。

認知症老人という鏡を通し
自分は誰なのか。
他者の眼を気にせず
朝風呂のとき「自分は何者のだ~」
鏡に向かって叫んでみた。

他者のことはよく見える。
自分のことは自分が一番知っている、と
見えていない自分なのに。
自分のことは自分がよくわかっている、と
強がりを言っても、結局はわかってはいない。
自分という人間
大きな鏡の前に立ち
鏡に映った自分の顔は
たるみと浮腫みで肌艶はない。
「これが俺の顔か」なのかと
自分に思わず呟いてしまった。
いまは朝風呂のあと
顔をマッサージしクリームを塗っている。




巡り来る春に咲く花

2017-04-10 08:23:38 | 阿武隈川物語
生きていると
悩み事が尽きなくい
悩みから逃げることもできない
やれることは全てやりきり
その結果を待つしかない

朝陽がで鈍く光る阿武隈川上流
朝の散歩コース(写真)

今日 beagle元気と朝の散歩
元気はるんるん気分で
尻尾を左右に最大限振っていた
自分は尻を振る訳にもいかない
路傍に目をやると
黄色と白色の水仙が咲いていた
また今年も咲いたのだな、と
(水仙の写真でもパチリと写せばいいのだが)
咲いた水仙の花は
やがて枯れるが
また春になると咲く

人間の命も水仙のように
一度亡くなっても
また生まれてくる
仏教では輪廻転生(りんねてんしょう)という
しかし 自分が死んだ後の世界は
どうなるのかわからない。
本当に「この世に何度も生まれ変われるのか」と
疑問を持つような自分は 成仏できないのだろう

それだけに
いま生きていることに感謝し
残り少ない時間を後悔しないことだ
散歩しながら
後悔?
「いま」、いま自分が立っている地点
自分より前(先)は 未来であり
自分より後(うしろ)は過去
後ろを振り返り悔やんだ(後悔した)ところで
どうしようもない
後悔することなく
今春も水仙は咲いた

「わたし」のなかの「私」

2017-04-10 04:56:46 | 捨石 拾遺(すていし しゅうい)日記
老い逝く余もドクダミと同じ日蔭の存在


ドクダミは、雑草扱いされ、やや日蔭の湿った場所を好み、

どこにでも生え野山や空き地で見ることができる。

日が当たらない仄暗い木立の下に咲くドクダミの花の白さに魅せられてしまい、

花言葉は「白い追憶」という素敵な意味が込められている。

ドクダミの葉は、独特の「臭い」があり、

「悪臭」の花と誤解へ偏見を受けやすく邪魔者扱いされる。

それでもドクダミは、昔から日本人にとって、

ドクダミの白い花や葉を見ると、

懐かしい記憶や故郷を思い出せてくれた。

ドクダミは「十薬」(ジュウヤク)とも云われ、

様々な薬効があり、昔から民間治療薬として重宝されてきた。

子どもの頃に遊びでケガをしたときやお腹の調子が悪いとき風邪を引いたときに

母親に手当や看病してもらったことなど。忘れていた記憶が蘇ってくる。

ドクダミは、風邪や便秘の治療、高血圧の予防、傷・おでき、冷え性、蓄膿症に効き、まさに万能薬である。

「毒や傷みに効能がある」ということから、『毒痛み』とも記さてきた。

 日蔭に生育し仄暗い木陰に咲くドクダミの花は

ロマンチックであり、白い追憶となって君を想いだす。



憎めないバイキンマン

2017-04-09 17:42:30 | 読み書きノート
主役で優しいアンパンマン
自分の身を削って困っている他者を助けるアンパンマンは
人気者であるけれど
私は
悪戯好きで 他者を困らせ
アンパンマンを窮地に追い込もうとするも
いつも最後は逆転負けで終わるが
そんな憎めないバイキンマンが好きである。
本当はバイキンマンよりドキンちゃんのほうが悪知恵が働き
それに乗せられるバイキンマンかな。
他のキャラクターの大半は食べ物から成っていて
なんだか付け足しのような感じ。
食べ物のキャラクターだから
それに対抗した形で
バイキンマンの登場なのかな。
円盤に乗って空を飛び
ハスキーな声が似合うバイキンマン。
バイバイキン~


捨石拾遺(すていし しゅうい)

2017-04-09 16:00:32 | 捨石 拾遺(すていし しゅうい)日記
捨石

「捨石」は、字面で読むと役に立たない捨てられた石、

或いは路端に転がっている小石という意味になるであろうか。

庭園のなかでは捨石は「景石」と呼ばれ、

庭園に在る他の草木や他の石を引き立たせるという存在価値を持つのである。

捨石だけでは、何の意味も価値も持たないが、

必要とされる処に在るまたは置かれるだけで、

その捨石は輝きを放す。



拾遺

捨てる神あれば拾う神ありというが、

こんな怠けものな「人間」を拾う神はないであろう。

高見順が詩のなかで、小さな石を蹴らないでくれ、小石にも“いのち”が在ると。

小石よりも自分の存在は更に小さく

砂漠に舞う砂塵のなかの一粒の砂にすぎない。

路傍の小さな石をみて

自分は、何を感じ、何を想うであろうか。

老後をゆったりと過ごす年金額もなく、

酒を酌み交わし語りあう友人もいなくなり

孤独な人間である。

憐憫の言葉さえかけられない捨てる石のような存在でしかない、いまの自分。

「拾遺」は、漏れ落ちたものをひろって補うという

意味があることから、この世に完璧な人はそう存在はしない。

自分の欠点は気がつきにくいけれども、

他者の欠点や弱点は気になる。

気になるところを何気なく補っていくことが、「拾遺」なのかもしれない。

自分があなたの隣りにいるだけで、反対にあなたが私の隣りにいるだけで、心が休まる、

そんな補いあいがあっていいのかもしれない。

“拾遺”とはそんな意味合いである。



捨てる神あれば、拾う神ありです

捨石の如く 役に立たない石と足で蹴られても

捨石を拾い 花の脇に置いてくれたことで 

花はより美しさを増し 小石にも生命があることを

花見る人に知ってもらいたい

そんな意味合いを込め「捨石拾遺」というペンネームにした







知らない町へ行きたい

2017-04-09 05:36:14 | 空蝉日記
我が家の荒れた芝生の庭に
今春 一番に咲いた一輪のタンポポ

春は何故か「黄色」い花が多い
黄色い花は「幸福」を告げる花 または「幸福」を運ぶ花
であると勝手に解釈している
春の黄色い花は
福寿草 蒲公英 菜の花 水仙 などが浮かぶ
蒲公英(タンポポ)の花は
綿毛になったタンポポも好き
綿毛 種子 飛ぶタンポポは
風に乗って知らない町に飛んでゆく
私も風の吹かれるまま
寅さんみたいに
知らない町や海岸を歩き
素敵な女性と巡り会いたい
知らない町で
古びれたアパートでもいい
独りになりたい

自分は何者?

2017-04-08 16:42:10 | 空蝉日記
画像が思うように出せず 失敗してます

自分という人間
死んだら自分の存在は「ない」
人間の命は誰も有限であり死は訪れる
死んだらthe ennd
死後の世界は 死んだ人はわかっている?
現世に生きている私を含め 経験できないだけにわからない

こんなこともときどきふと考えることがある
そんなつまらないようなことを考えている自分がおかしいのか
カミュの変身に登場する巨大蜘蛛みたいに
他者から恐られ おかしく思われるのか
自分はこの世に生れ
あっという間に時間は流れ
気がついたときには 白髪混じりの頭髪となった
時間をタイムスリップすることもできない
できたらどの年齢に戻りたい 10歳かな

もし自分が誰かと入れ替わることができたら
人生はどう変わるのか

もし自分は他者の心の動きを見えるとしたら
人生はどう変わるのか

どれも有り得ない話であり
問題は
自分がこれから
残された人生 他者貢献していくのか
小さなことでもいい
他者のため それは自分のためでもある
3分タイマーのウルトラマンではないが
自分の砂時計の砂も残り少なくなってきた
最後の一粒の砂が落ち逝くまで
いまを生きるのだ


30分もかけ食事介助

2017-04-05 13:50:53 | beagle元気と私の交流日記
 僕が余り食べれない状態は7日間位続き、
体重も体力も落ちてきた。
赤ちゃん時代の写真は数枚あるが、
まだpcに取り込みがされておらず、
僕としては「どんな顔をしていたのか、
早く見てみたい」と思っている。
拾遺君は「(僕が)食べてもらわないと痩せ病気になってしまう」とたいそう心配してくれていた。
ふやかしたドッグフードを食べないので、
僕をゲージから出して、
拾遺君の膝の上に頭を乗せ、
30分もかけスプーンで食べさせてくれた。
鼻につく嫌な匂いもしたが、我慢して食べた。
食べた気がしなかったが、
全量を食べさせた拾遺君はホットし、
ママに「全部食べたよ」と嬉しそうに話している顔をみると、
「食べてあげて良かった」と思ったが、
また夕食も・・・・と思うと、
気が滅入ってしまった。

ふやかしたドッグフードは不味かった

2017-04-05 04:29:21 | beagle元気と私の交流日記
 改めて僕の名前は、「捨石 beagle 元気」(長いのでここでは「元気」と呼ぶ)。
4月8日は僕が産まれた日で、お釈迦様の誕生日と同じなのだ。
もう少しで4歳になる。
人間様の平均寿命と違い、
僕の場合12歳から15歳頃まで生きられる、
と言われているが、それはわからない・・・。
長生きすると犬も認知症になり下の世話を受けている老犬もいる、
と拾遺君から聞いたことがあった。
 僕は、産まれたときから腸が弱く、
嘔吐や軟便の症状があり、僕は親によく心配をかけた。
赤ん坊のときは、ドッグフードにお湯を入れふやかしたものを食べさせられた。
お湯でふやかしたものは、嫌な匂いが鼻につき、
「最高」に不味く、食は進むどころではなかった。
ドッグフードを口にしない僕をみた拾遺君は、
その日のうちに東北自動車道を30程走り、
僕を2箇月のときから診てくれていたドッグドクターのところへ駆けつけてくれた。
そのときは嬉しかった。
こんなにも僕のことを心配してくれ、
診察後抱っこしてくれた「ご主人様」の顔を嘗め尽くしてあげた。
僕がドッグフード食べないのは、
ふやかしたことに原因があることに気づいてくれない。
 Beagleは鼻が利き、国際空港で麻薬犬として活躍されていることは知られている。
そのご先祖様の血を引く僕も鼻が敏感であり、不快な匂いは鼻につく。
ふやかしたドッグフードはその最たるもの。
どうしてそんなに敏感になったかというと、
或る日拾遺君が、おやつの時間だよ、と僕に話しかけてきた。
拾遺君の親指と人差し指を向かい合わせに、
ふやかしてはいない硬いままのドッグフードを3粒ほど手にしていた。
豆粒のような硬いドッグフードを口にしたときは、
カリカリと音がし、歯応えもよく美味しかった。
その味を覚えてしまったので、
ふやかした食物は本当に不味かった。

beagle元気と私の交流日記 「出会い」

2017-04-04 01:23:48 | beagle元気と私の交流日記
僕は、平成25年4月8日 静岡県で産まれ

6人兄弟姉妹だったが僕は、

何番目に産まれたかはわからない。

産まれて間もなく車に揺られ、国道1号線から国道4号線へと北上した。

気がついたときには南陸奥市のホームセンターのなかのペットショップに居た。

日曜日ともなるとペットショップの売り場コーナーは人間様で賑わい

落ち着いて寝ることもできなかった。

胡瓜(キュウリ)のネットを買いにきたおっさんがペット売り場に立ち寄り、

不覚にも余と目が合ってしまった。

売り場の姉ちゃんが、ゲージから余を抱きかかえ、後頭部が剥げていたおっさんに手渡しをした。

何故かおっさんの匂いが余には心地よく、

遠く離れ住んでいる余のパパの匂いに似ていた。

おっさんに抱きかかえられ、頭を何度も撫で、両手で余をおっさんの顔に近づけていた。

おっさんは、22歳年下の妻に「家に連れて帰る、今日から家族だ」と話をし、

さっそくお姉ちゃんに話しかけ手続きをした。

ゲージとドッグフードを購入し、

僕はミニカに乗せられ、阿武隈川辺ちかくの団地にあるおっさんの平屋に到着した。

おっさんの家族の一員となったのは平成25年6月4日の晴れた日であった。

 「外に住ませるのは可哀そうだ」とおっさんの言葉にママも同意、

玄関から入った廊下のところが僕の住む居場所となり、

居間そしてダイニングまで見通せたので寂しくなかった。

僕の名前は「元気」とつけられ、家族になった記念に赤い首輪をプレゼントしてくれた。

そうそうおっさんの名前は捨石拾遺(すていし しゅうい)、妻は菜々子、僕元気が仲間入りし、家族は3「人」となった。

あれから4年近く時日が経過した。

自分のことを「僕」と書くことにする。

僕のご主人様は変わった名前であり、呼びづらい。

「拾遺さん」では他人行儀だし、「拾遺君」ではご主人様に対し失礼になる。

家族なのに「ご主人様」と呼ぶのはおかしいので、「主人」がいいかな、と思ったが、

情愛が湧いてこない。

日頃から僕のことを面倒みてくれているのに「拾遺君」と友達感覚で呼ぶのも大変失礼だが、

主人はそんなことを気にするような性格の持ち主ではない。

僕のことを我が子のように可愛がり、

またある時は友達のようにつきあってくれ、

ともに生きる同胞として扱ってくれている。

だから生きる仲間感覚で「拾遺君」と呼ぶことにした。

これから僕と拾遺君の交流日記を綴っていくとしよう。


帰るところがなくても 居場所をつくる

2017-04-03 13:01:14 | 空蝉日記
振った骰子を懐に戻すことはできない
渡った橋を引き返すことはできない
帰ることはできない
過去を振り返ってたところで
それは昔話のこと
頭を抱えている難題があっても
悩んだところで解決しない
行動を起こすしかない
できること
何でもチョッとでもいい
やれることは全部やり終えてからでも間に合う
考えることは
いま しなければ
自分を救うのは誰でもないお前自身なのだ





阿武隈川物語 プロローグ

2017-04-03 10:48:35 | 阿武隈川物語
小さな掘立小屋の窓からは
阿武隈川は見えない
毎朝夕 私の話家族であるbeagle元気を誘い
阿武隈川の岸辺を散歩する
行きときは 前方に那須連山が見える
帰り路は 阿武隈川の流れを見ながら下る
阿武隈川の春夏秋冬の移ろいとともに
心の移ろいや揺れ動きも含め
徒然なるままに書いていきたい
まだ阿武隈川の源流に行ったこともなく
それでいて阿武隈川物語を始めるという無計画性
阿武隈川を通し 砂時計のように
限りある人生
気がついたときは 
浦島太郎のように白髪になり
辺境に棲んでいる私は
世の流れから遠のき
時代遅れの感がするけれども
いま 辺境の地阿武隈川の辺というこの場所で
生きていく