砂時計

人生は砂時計のようなもの。砂時計は、一粒の砂の落下から始まり、最後の一粒の砂が下の空間に着地したとき終焉となる。

30分もかけ食事介助

2017-04-05 13:50:53 | beagle元気と私の交流日記
 僕が余り食べれない状態は7日間位続き、
体重も体力も落ちてきた。
赤ちゃん時代の写真は数枚あるが、
まだpcに取り込みがされておらず、
僕としては「どんな顔をしていたのか、
早く見てみたい」と思っている。
拾遺君は「(僕が)食べてもらわないと痩せ病気になってしまう」とたいそう心配してくれていた。
ふやかしたドッグフードを食べないので、
僕をゲージから出して、
拾遺君の膝の上に頭を乗せ、
30分もかけスプーンで食べさせてくれた。
鼻につく嫌な匂いもしたが、我慢して食べた。
食べた気がしなかったが、
全量を食べさせた拾遺君はホットし、
ママに「全部食べたよ」と嬉しそうに話している顔をみると、
「食べてあげて良かった」と思ったが、
また夕食も・・・・と思うと、
気が滅入ってしまった。

ふやかしたドッグフードは不味かった

2017-04-05 04:29:21 | beagle元気と私の交流日記
 改めて僕の名前は、「捨石 beagle 元気」(長いのでここでは「元気」と呼ぶ)。
4月8日は僕が産まれた日で、お釈迦様の誕生日と同じなのだ。
もう少しで4歳になる。
人間様の平均寿命と違い、
僕の場合12歳から15歳頃まで生きられる、
と言われているが、それはわからない・・・。
長生きすると犬も認知症になり下の世話を受けている老犬もいる、
と拾遺君から聞いたことがあった。
 僕は、産まれたときから腸が弱く、
嘔吐や軟便の症状があり、僕は親によく心配をかけた。
赤ん坊のときは、ドッグフードにお湯を入れふやかしたものを食べさせられた。
お湯でふやかしたものは、嫌な匂いが鼻につき、
「最高」に不味く、食は進むどころではなかった。
ドッグフードを口にしない僕をみた拾遺君は、
その日のうちに東北自動車道を30程走り、
僕を2箇月のときから診てくれていたドッグドクターのところへ駆けつけてくれた。
そのときは嬉しかった。
こんなにも僕のことを心配してくれ、
診察後抱っこしてくれた「ご主人様」の顔を嘗め尽くしてあげた。
僕がドッグフード食べないのは、
ふやかしたことに原因があることに気づいてくれない。
 Beagleは鼻が利き、国際空港で麻薬犬として活躍されていることは知られている。
そのご先祖様の血を引く僕も鼻が敏感であり、不快な匂いは鼻につく。
ふやかしたドッグフードはその最たるもの。
どうしてそんなに敏感になったかというと、
或る日拾遺君が、おやつの時間だよ、と僕に話しかけてきた。
拾遺君の親指と人差し指を向かい合わせに、
ふやかしてはいない硬いままのドッグフードを3粒ほど手にしていた。
豆粒のような硬いドッグフードを口にしたときは、
カリカリと音がし、歯応えもよく美味しかった。
その味を覚えてしまったので、
ふやかした食物は本当に不味かった。

beagle元気と私の交流日記 「出会い」

2017-04-04 01:23:48 | beagle元気と私の交流日記
僕は、平成25年4月8日 静岡県で産まれ

6人兄弟姉妹だったが僕は、

何番目に産まれたかはわからない。

産まれて間もなく車に揺られ、国道1号線から国道4号線へと北上した。

気がついたときには南陸奥市のホームセンターのなかのペットショップに居た。

日曜日ともなるとペットショップの売り場コーナーは人間様で賑わい

落ち着いて寝ることもできなかった。

胡瓜(キュウリ)のネットを買いにきたおっさんがペット売り場に立ち寄り、

不覚にも余と目が合ってしまった。

売り場の姉ちゃんが、ゲージから余を抱きかかえ、後頭部が剥げていたおっさんに手渡しをした。

何故かおっさんの匂いが余には心地よく、

遠く離れ住んでいる余のパパの匂いに似ていた。

おっさんに抱きかかえられ、頭を何度も撫で、両手で余をおっさんの顔に近づけていた。

おっさんは、22歳年下の妻に「家に連れて帰る、今日から家族だ」と話をし、

さっそくお姉ちゃんに話しかけ手続きをした。

ゲージとドッグフードを購入し、

僕はミニカに乗せられ、阿武隈川辺ちかくの団地にあるおっさんの平屋に到着した。

おっさんの家族の一員となったのは平成25年6月4日の晴れた日であった。

 「外に住ませるのは可哀そうだ」とおっさんの言葉にママも同意、

玄関から入った廊下のところが僕の住む居場所となり、

居間そしてダイニングまで見通せたので寂しくなかった。

僕の名前は「元気」とつけられ、家族になった記念に赤い首輪をプレゼントしてくれた。

そうそうおっさんの名前は捨石拾遺(すていし しゅうい)、妻は菜々子、僕元気が仲間入りし、家族は3「人」となった。

あれから4年近く時日が経過した。

自分のことを「僕」と書くことにする。

僕のご主人様は変わった名前であり、呼びづらい。

「拾遺さん」では他人行儀だし、「拾遺君」ではご主人様に対し失礼になる。

家族なのに「ご主人様」と呼ぶのはおかしいので、「主人」がいいかな、と思ったが、

情愛が湧いてこない。

日頃から僕のことを面倒みてくれているのに「拾遺君」と友達感覚で呼ぶのも大変失礼だが、

主人はそんなことを気にするような性格の持ち主ではない。

僕のことを我が子のように可愛がり、

またある時は友達のようにつきあってくれ、

ともに生きる同胞として扱ってくれている。

だから生きる仲間感覚で「拾遺君」と呼ぶことにした。

これから僕と拾遺君の交流日記を綴っていくとしよう。