先日、TVのニュースで“本薬師寺のホテイアオイ”が満開と報道されていた。
私もカメラを持って昔を偲んだ。
大和三山の耳成山、畝傍山、天香具山の山頂を結ぶ三角形の中に、絢爛たる文化を誇る藤原京が栄え、底辺の畝傍山と天香具山の丁度中間に薬師寺の東西二塔が聳えていた。
薬師寺は680年 天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を発願して建立された。しかし、平城遷都の後の718年、寺は平城京に移築され、現在の西ノ京の薬師寺となった。
今も小さな堂の前には堂々とした塔の礎石が十数個並んでおり、現在の薬師寺と同じ構成、規模であったことが判る。寺跡の周囲は休耕田を利用し、布袋葵の大群落を作っている。
本薬師寺跡の前には、黒岩重吾による大伴旅人の万葉歌碑が花に囲まれて立っている。
わすれ草わが紐に付く香具山の
故りにし里を忘れむがため(万葉集 334)
奈良では平城遷都1300年祭の準備がはじまっているのだが・・・
私もカメラを持って昔を偲んだ。
大和三山の耳成山、畝傍山、天香具山の山頂を結ぶ三角形の中に、絢爛たる文化を誇る藤原京が栄え、底辺の畝傍山と天香具山の丁度中間に薬師寺の東西二塔が聳えていた。
薬師寺は680年 天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を発願して建立された。しかし、平城遷都の後の718年、寺は平城京に移築され、現在の西ノ京の薬師寺となった。
今も小さな堂の前には堂々とした塔の礎石が十数個並んでおり、現在の薬師寺と同じ構成、規模であったことが判る。寺跡の周囲は休耕田を利用し、布袋葵の大群落を作っている。
本薬師寺跡の前には、黒岩重吾による大伴旅人の万葉歌碑が花に囲まれて立っている。
わすれ草わが紐に付く香具山の
故りにし里を忘れむがため(万葉集 334)
奈良では平城遷都1300年祭の準備がはじまっているのだが・・・