三谷幸喜の脚本。舞台を映画にしたもの。
しかしまあ風俗が古くてびっくりしたわ。
わざと昔っぽく作ってるのかと思ったの。衣装とかメイクをね。
でも1991年の映画なら、……うわ、今から25年前か。それはもう相当昔だねえ。古くもなるわ。
言われてみれば、塩見三省さんとか豊川悦司とかずいぶん若いか。
降る雪や 90年代は 遠くなりにけり。
むしろ相島一之と梶原善の変わらなさが異常。
相変わらず転がるシチュエーションをひたすらに書きまくる。
面白いんだけど、全体的な話としてと考えると困る。手のひら返しまくりの面白さだから、あらすじというものはなくて、
状況が二転三転。それに尽きる。上手く書いてる。
キャラクターは総じてみんなうざったかった。一癖も二癖もある人ばかり。
共感出来るように書かれている人はいない。
当然三谷幸喜の当て書きだとそうなりますが。12人もいて、よく書き分けるよなあ。ほんとに群像劇の人だね。
ただまあ、感心まではしなくてね。法律なんてのは考えようによって形が変わる鵺のごときものであって、
それを上手く設定に持ってきたなあという感じ。
元ネタあるしね。元ネタは「12人の怒れる男」。これは見たことない。
ってことは、この時の陪審員には女性はいなかったってこと?54年当時いなかったのか、描いた時代がもっと前なのか。
今は(確率的に)男女比は同数に近い筈だよね?
そう。25年前には架空の設定でしかなかった日本の陪審員制度も、誰も望まぬ間にあれよあれよと制度化されてしまいました。
わたしは当時、怒りに燃えた。
わたしは世情に極端に疎く、現在の総理大臣の名前すらアヤシイのだが、
それでも、裁判員制度、当時議論されていましたか?
一般人は誰も何にも知らないうちに成立してしまった、誰かが何かの得のために隙をついて成立させてしまった制度じゃありませんか?
だいたい日本人は歴史的に、全てお上の言う通りでやってきた国民性なんだから、
早くから議会制度を発足させてきた、あるいは移民から始まり、合議制が根本にある(または「自分の身は自分で守れ」)
欧米諸国とは法についての意識が全く違う。
裁判員制度を運用するためには、基本的な法認識をもっと浸透させることがまず必要だと思われるのに、
(小学生の時から教科として法律を教えるとかね)
何にもしないで制度だけ作ってしまった。何にもですよ。何にも。
耕さないで、種も蒔かないで、それなのに収穫しようというようなもんだ。理不尽。お上横暴。
そもそも一般人が裁判に参加して役に立つことってなんかありますかね?
法的知識が全くない人を参加させる意義ですよ。
法律に感情論を持ち込むだけのことじゃない?たしかに法律的な考えは、一般認識とはかけ離れたところに着地することがあって、
その是正を狙ったのかもしれないが、それは感情論で無罪が有罪になる可能性と表裏一体ですからね。
感情で物事が決まらないためにあんなゴチャゴチャした法律を作っているのに、今更なんで一般市民を巻き込むのか。
何のメリットがあってそんな制度を作ったのかなあ。
色々お題目はあるかもしれないが、
……結局実際は、欧米の猿真似をしたくなったということに尽きるのはないのかという疑いが消えない。
わたしは絶対に裁判員にはなりたくない。殺人事件の物証なんて見せられたら、確実にトラウマになる自信がある。
お上はなぜわたしにそんな苦役を課すのか。それで何かあったら誰が責任を取ってくれるのか。
まだ量刑部分のみに限定するのなら、一般良識を反映させるということにも多少頷けないことはないのだが。
死刑も含めた有罪無罪とか、荷が重すぎる。子供に大船の舵を取れと言っているに等しい。
裁判官や弁護士検事はそういう部分を決めるために訓練をした人の筈。専門性が高い職業のトップクラスじゃないか。
全然知識がない人が、法律的知識のある人に誘導されないという保証はどこにあるのか。
映画の感想ではなくて、裁判員制度に対する怒りになってしまった。
今見ると、この映画は裁判員制度に対する風刺にもなりますね。作った当時は全く意図しなかったことだろうが。
Huluにて視聴。
(配信番組は随時変更があります)
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