お好み夜話-Ver2

秀吉は箱根を完走できるか ?

子どもから大人まで、よほどのうつけ者でない限り日本人なら知らぬ者のない戦国武将といえば、信長、秀吉、家康の3人。

なかでも、昭和の良い子が人気投票をしたとすれば、一番人気は太閤秀吉、織田信長、徳川家康という順になるだろう。

それは戦前・戦後の教育と「吉川英治」の「太閤記」と「仮面の忍者赤影」とNHKの大河ドラマや映画の影響によるところが大きいのではないだろうか。

それらでイメージされるのは、信長は苛烈で残虐「なかぬなら殺してしまえほととぎす」の狐で、秀吉は貧しいなかから身を起こして立身出世したヒーロー「なかぬならなかせて見せようほととぎす」の陽気な猿、家康は気難しく何を考えているのかわからない「なかぬならなくまで待とうほととぎす」の狸おやじというもの。

そしてマヌケな身の程知らずは「明智光秀」という定説。

そういう定説にどっぷりはまって、秀吉好きは「太閤記」や様々な秀吉関連の本を読んでいた。

しかしこの歳になって、ようやく世の定説に疑問を持って「それ、ちょっとおかしくね ? 」と読み始めた歴史本。

う~ん、権威ある大学教授や歴史学者が落ち込む定説の罠、教科書には絶対書かれない歴史の闇、映画やテレビの嘘、明治になって日本に持ち込まれた19世紀ドイツの歴史家「ランケ」の実証主義歴史学を盲信・鵜呑みにしてきた日本史は、最近いろいろ覆されてきている。

遅まきながらこのオヤジは、羽柴秀吉が「天下を盗れた」最大の出来事「中国大返し」のあまりの異常さに気がついてしまったのだ。


きっかけはこの本 ↓
「信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた」
いやいや、トンデモ本だよね。

詳しくは読んでいただきたいけれど、目からウロコの事実は信長・秀吉・家康の激変の時代はわずか60年ほどの出来事だったということと、京都の街に外国人・イエズス会の宣教師がウロウロしていて、本能寺からほんの100mほどのところに南蛮寺(カトリック教会)があったということを深く考えていなかったことだ。

この本を読んだことで戦国史、とくに「本能寺の変」に俄然興味を持って次々に読み始めた。

              そしてこちら ↓
「本能寺の変 431年目の真実」
明智光秀の子孫だという著者「明智憲三郎」が「本能寺の変」の定説をひとつひとつ検証して覆してゆく、面白い。


     さらに ↓
「本能寺の変 秀吉の陰謀」

茶の湯の専門家の著者「井上慶雪」が、なぜ信長は供回りも少なく、当時の国家予算の半分に匹敵する茶道具の名器を携え本能寺に滞在したかを解説し、秀吉の陰謀を暴いてゆく。

じつに興味深い。


ここまで読んでふと思い、我が家の蔵書を調べてみたら、秀吉・戦国・歴史関係の本がありますあります。

今までオイラは何を読んでいたのか⁉️ 灯台下暗しとはこのことだと反省し、数十年ぶりに埃を払って読み返した。

そして  これら ↓
「日本史集中講義」

「歴史謎物語」

時代考証家「稲垣史生」の数冊。



昭62年発売の学研歴史シリーズ③「羽柴秀吉 怒涛の天下取り」

で、思った。

「本能寺の変」の謎には異説・黒幕説かずかずあれど、明智光秀の単独犯行説はあり得ないということ。

直接手をかけたのは明智でも、その裏には秀吉、家康、そして「細川藤孝」(あの元総理の先祖)がふかーく、深く関わっているに違いないということ。

なかでも一番得をした秀吉、その太閤様の英雄談「中国大返し」のありえねー事実。


「本能寺の変」がおこった天正10年6月2日(1582年 )、秀吉は備中高松城 (岡山のちょっと先)攻めでテンパっていた。

高松城を東京ドーム154面分の水で満たして水攻め、城主「清水宗治」の小舟での切腹は「吉川英治」や「司馬遼太郎」のお話しに華を添えるお涙頂戴なのだが、この水攻めも近年の研究で自然災害を利用したんじゃね ? というのもある。
( 本能寺の変 秀吉の陰謀 P.36 秀吉の高松城水攻めは虚構だった )

まあそういう状態の時に、いち早く信長の災難を知り敵軍毛利と和睦をして、怒涛のごとく全軍1万7千の兵を引き上げたのは6月6日、7日には100㎞も離れた姫路に着き、8、9、10日と駆けに駆けて80㎞で尼崎、さらに3日駆けて山崎で決戦。

そういう行程でおよそ219㎞を走破したという。

昭和の良い子ならいざ知らず、平成のオヤジは
うっそでー !!
といってしまう。

だってさあ「箱根駅伝」のコース、大手町の読売新聞社前~箱根・芦ノ湖間の往路5区間が107.5Km、復路5区間が109.6Kmの合計10区間で217.1Kmですよ。

仮に219㎞を13日で割ると1日16.84㎞だけど、世に伝わっている上記のコースだと2日で100㎞の姫路コースはウルトラランナーだって根をあげちゃう渡河ありの大雨の中の死のロードレースだぜよ。

いかに戦国の武者がタフだって、舗装してあるわけじゃなし、シューズがあるわけもなし、サプリメントもなけりゃ沿道のエイドだってないうえ、甲冑着て刀差して、そりゃ無理だろうってことはダメダメランナーのこのオヤジだってわかるってものさ。

ま、半分を騎馬武者ってことにしても、お馬さんは長距離走者じゃないよ。

競馬やる人は分かるだろうけれど5000mレースでいっぱいいっぱいさ、13日も走り通したらつぶれちまうよ。

それに、1万7千人+お馬さんのメシどうすんの ?

「黒田官兵衛」が行く先々で根回ししたって、こりゃ無理でしょう、山崎に着いた時点でヘロヘロの戦意喪失でしょう😖

それをNHKはいともたやすく秀吉ならやったでしょうといってしまうんだから、いかに定説が悪しき曲解を流布させたかって開いた口がふさがらない。

でも事実、秀吉は大返しして山崎で明智光秀を討っているのだから、つまりそれは秀吉がもっと早く本能寺があることを予期していて、引き返し工作も事前にやっておいて、あとで自分のプロパガンダでよろしくやったということではないのか。


これだけでも秀吉が腹黒そうってことはわかるし、さらに家康はもっと腹黒く、「細川藤孝」はきったねー奴ってことになるんだけど、現代の常識で考えちゃだめなのさ。

戦国時代の常識は今の非常識ってこともあるし、その時代の人だったらどうするか、一族の生き残りをかけたらどうするのかってことを考えないとね。

いやぁ歴史は面白い。

戦国というターニングポイントが、幕末というターニングポイントへ連綿とつながっていて、それが大東亜戦争で英雄「太閤秀吉」として祭り上げられ、その幻影を未だに振り払えないでいるんだから困ったものだ。

学生の時には頭に入らず理解できなかったことが、オヤジになってようやく腑に落ちたのだから、一回オヤジやってみるのもいいね😜

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