A.C.T.S.用務員のコツコツ工作帖

なんだかここんとこ「なんでも帖」になってますが…

夏休みの自由研究

2009-08-30 | Chronicle
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実は、多摩川スピードウェイについて、以前から疑問に思っていたことがありました。
ネット上などで流布されてる来歴に、どうも「???」な部分があったんですよ。
一般的には…
 1932年(昭和7年)ごろ、東横線の上流側に多摩川オリンピア球場を建設
 1936年(昭和11年)その跡地に多摩川スピードウェイを建設、レースを開催
ということになっているのですが、
どうやら多摩川オリンピア球場というのは東横線の下流側にあったようなのです。
これは、東京急行電鉄50年史の記載や地元に古くから住む方に聞いたこともあり、
また古い地図にも下流側にオリンピア球場の記載があることなどからも推測されます。
さらに決定的なのは、多摩川スピードウェイが出来た後の1937年に、
オリンピア球場でアメフトの試合が行われている記載があるんですよ。
ってことはつまり、オリンピア球場とスピードウェイは、
やっぱり違う場所にあったと考えるのが妥当なんじゃないかと。



そこで、あの周辺の歴史をいろいろ調べて繋ぎ合わせてみたところ、

 1920年(大正9年)河川敷の青木根集落の移転(立ち退き)が始まる。
  (つまり、大正期まではこの河川敷に人が住んでいたんですね。
   ちなみにこの辺の名主さんが青木さんなので青木根と言ったらしいです)
 1921年(大正10年)伊勢神社移転時に古墳を発見。
  (大量の埴輪が出てきたと伝えられています。
   太古の時代からこの辺には人が住んでいたのね。水害とか大変だったろうに)
 1932年(昭和7年)東横線の下流側に多摩川オリンピア球場を建設。
  (野球場だけでなく陸上競技用400mトラックも併設されたようです。
   まだ丸子橋が出来る前で、ずっと下流まで続く施設だったみたいです)
 1934年(昭和9年)東横線の上流側に競走用常設オーバルトラックを建設。
  (この時同時に、コンクリートの観客席が造られたようです。
   どこが母体になって造ったかなどは不明。そうとうお金かかったはずなんですが)
 1935年(昭和10年)オートバイのレースを開催。5000人の観衆を集める。
  (まず、バイクのレースが行われたみたいなんです。ほとんど知られてませんね。
   戦後、第1回全日本モーターサイクル選手権が開催されたのは1949年のことです)
 1936年(昭和11年)多摩川スピードウェイ完成。第1回全日本自動車競走大会開催。
  (これがあの有名な、本田宗一郎さんがひっくり返ったレースですね。
   一般的には多摩川スピードウェイの歴史はここからスタートします)
 1937年(昭和12年)社会情勢の悪化に伴い自動車レースの開催終了。
  (この年、蘆溝橋事件勃発。日中戦争に本格的に突入していきます。
   ま、遊んでる場合じゃない時代になっちゃったってったわけです)
  
…というのが、現時点でワタクシの考える「こうではないのかな」であります。
いえね、別にこれまでのいろんな記述が間違ってるとか言うつもりはないんですが、
これまでどうも自分なりにツジツマが合わないところがありまして、
断片的だったモノを繋ぎ合わせると「こんな感じではないかな~」と。


というわけで、多摩川スピードウェイ黎明期のお話はこの辺にして、
その「本田宗一郎さんの大クラッシュ」のお話に行ってみましょう。
1936年の第1回全日本自動車競走大会(全日本スピードラリー…とかも呼ばれてます)
クルマは、自らフォードを改造した「浜松号」で、
東京のアート商会にいた頃に造った有名な「カーチス号」とは別の車両ですね。
浜松に戻って「アート商会浜松支店」を開業した時分のことになるんでしょう。
この辺の話も、けっこうグチャグチャになって伝えられていますよね。
ま、70年以上も前の話ですから、どうでもいいと言えばどうでもいいんですが。

で、そのクラッシュ写真も、いろいろ伝えられてまして、
これだ、っていう人もいれば、



いや、これがホンモノだっていう人もいるんですが、



1935年に浜松のアート商会前で撮られた写真に写ってる「浜松号」は、
どうも一枚目のクラッシュ写真のクルマに似てまして、



一方、あのカーチス号の#20は、2枚目のクラッシュ写真にそっくりで、
まぁなにがなんだか良く分からない…としか言いようがありません。



いずれにしても、この時のクラッシュで投げ出された宗一郎さん、
顔の左半分が潰れ右肩を脱臼、手首も骨折して全治1年半。
同乗メカニックだった弟の弁二郎さんも肋骨を4本折ったっていうんですから、
もうちょいで「浜松の本田兄弟、自動車競走で死亡」の新聞記事が載ったはずです。
ま、ご無事でなにより…としか言いようがありません。

ちなみに、戦後になって1949年に多摩川スピードウェイでレースが再開され、
1950年の第2回全日本モーターサイクル選手権で優勝したのが大村美樹雄さん。
で、この時の活躍が認められて、
大村さんは1954年にサンパウロに派遣されることになります。
MVチームとちゃっかり記念写真撮ってる右端が大村さん。



で、そのサンパウロ挑戦の前後に発せられたのが、
あの「マン島出場宣言」です。
もし多摩川スピードウェイで本田兄弟が昇天してたり、
大村さんが全日本モーターサイクル選手権で優勝しなかったりしたら、
歴史はずいぶんと変わってたんだろうなぁと思うわけです。
多摩川スピードウェイ…、
単に「我が国初の常設レース場」というだけではない存在感、あるんですねぇ。

そんな歴史秘話ヒストリアとはぜ~んぜん関係なく、
今日も多摩川サイクリングロード名物「空き缶オジサン」たちは、
戦利品を満載して多摩川スピードウェイ横を颯爽と走り去って行くのでありましたとさ。



                                    <続く>

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10 コメント

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さすが・・・ (別冊900)
2009-08-30 00:55:13
早速このハナシがきましたね。
真相はどうなってるんでしょう。
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フジツボマフラーの (#142)
2009-08-30 01:36:23
創業者の藤壷勇さん、昭和13年5月開催の「第5回全日本オートバイ選手権レース(主催、報知新聞社)」に出場して3位に入ったようです。戦後の昭和24年などにも参戦とか↓
http://e-fujitsubo.co.jp/page005_002.html

大村さんは相鉄・天王町だわな。
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サスが動かないってか? (用務員)
2009-08-30 01:51:55
>別神冊山きょん
ワタクシどちらかと言うと、神経質に真相究明にやっきになるより、
「こうかもしれない」「あ~かもしれない」って、
いろいろもて遊んじゃうのが楽しいんじゃないかと思ってましてね、歴史って。
別に仕事でやってるわけでもないし、卒論書いてるわけでもないっすからねぇ。
で、最終的には「こうだったら面白いな~」って自分だけの答えを導いて、
キャッハッハ~って楽しむの。思いっきり不謹慎にね。

多摩川スピードウェイ浜松号クラッシュ事件の真相は、
会社乗っ取りを画策した弁二郎さんがクルマに細工して起こした陰謀で、
警察に疑われないために自分も軽く怪我してみたりしたっていうのは、ダメ?。
で、その後ずっと経ってその陰謀に気付いた宗一郎さんが、
浜松製作所長だった弁二郎さんを解任して断絶した…っていうストーリーなんだけど。

これには、ドイツに送った宗一郎さんの二号サンの子供とか、
お気に入りの芸者乗せた車で酔っぱらって橋の欄干に突っ込んだとか、
料亭の二階の窓から芸者さんを投げたら電線に引っかかって殺人を免れたとか、
誰かが好きそうな「無限キット」みたいなオプションが付くんだけどさぁ。

>Qちゃま
お願いだから、真面目なつまらない話にしないでちょ~だいな。
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Unknown (実@KL怪X)
2009-08-30 10:15:12
ふぅーん、この辺は最近行ってないけど、KDXやらマウンテンバイクやらで走ってるな。

大昔、ポパイかなんかの特集で多摩川べりの紹介してませんでしたっけ?、堀内誠一さんの挿絵で・・
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KDXは無理だろうけど… (用務員)
2009-08-31 12:07:56
ほな、こんど一緒にこの辺走ってみません?。MTBとかで。
まぁ特に何が面白いとかって場所でもないんですけどね。
「ふ~ん、このあたりか~」とか言って、
浜松号クラッシュ現場の第2ターンあたりを眺めるなんてのも、オツかも。

ポパイの特集ってのは知りませんでしたぁ。
いろんな企画やってたんですねぇ。
実はね、この「多摩川スピードウェイ跡探索」だけじゃなくて、
対岸の「旧・巨人軍多摩川グランドを訪ねて」とか、
ぐっと下流にある「羽田赤鳥居に伝わる祟り伝説を訪ねて」とか、
上流の方だと「旧日活撮影所・赤木圭一郎事故跡を訪ねて」とか、
その他にも多摩川リバーサイド紀行してみたいの、いっぱいあるんですわぁ。
でもなんか、オジサン趣味ね、全体に。
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トーこんこめぇてぇ (実@KL怪X)
2009-08-31 14:09:25
おおぞらぇ~、球は飛ぶ飛ぶぅ
#ぜってぃ09番さんにはうけないだろな・・(ぼそ)

おっさんだから・・しかたないんじゃないの?

ちょうど中間あたりだから、うそんこランドナの虫干しに良いかもです。<MTBはあげちゃったんでランドナしかないのね。

MTBは体に良くないし、ポタリングで・・
タイミング頂ければ、ご一緒いたします。

この辺じゃなかったっけ、岡本かのこの碑がある公園?
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そ~よね~ (用務員)
2009-09-01 01:10:26
闘魂こ~めて~ 大~空へ~
球~は飛ぶ飛ぶ 炎と燃えて~ 
おおジャイアンツ~
その名担いてグラウンドを~ 
照らすプレイのたくましさ~ 
ジャイアンツ~ ジャイアンツ~ 
ゆけゆけ それゆけ巨人軍~

グッさんには、
このスピリット、分かんないだろ~な~。

ほいじゃ今度、うんこランドナの虫下し、行きましょ!


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玉川クヮルテッド (ほりぐち)
2009-09-01 02:28:38
スクールやレポートやジムやお参りで忙しく、やっと来れた・・・。

巨人軍多摩川グランドと言えば、あの大リーグボールシリーズを伴宙太と共に開発した有名な場所という以外はピンと来ないです。ガキの頃はジャイアンツ関連でよくスポーツニュースで取り上げられてましたね~。

ところがギッチョン、アート商会やカーチス号あたりは「本田宗一郎と井深大展」二回見に行く程なんで、ワリと好きなんですわ。確かにあの辺りの情報って錯綜してて、判り難いのでオッサンの論文「夏休みの自由研究」プリントしてゆっくり読んでみたいです。ザックリ読んでも、朝鮮戦争~日ハムへの流れは奥深そうで楽しみ~!
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星くん!! (実@KL怪X)
2009-09-01 13:11:31
「ガシ」、汗臭そうな男どぉしの抱擁、憧れちゃうわぁ(意味なし)

巨人・大鵬・玉子焼きは、僕らの先輩達でしたが、自分達もね。「私の手が語る」は読んだんだな。
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花形くん! (用務員)
2009-09-01 20:26:42
みなはん巨人には反応しちゃうのね~。
こんど簡単に旧巨人軍多摩川グランドの写真、載っけるかんね。
昔の選手たちが練習後に買い食いしたっていう、
土手の上の「グランド小池商店」も残ってるかんね。
(改装しちゃったけど)

「本田宗一郎と井深大展」とか「私の手が語る」とか、
さすがに出てきますね~。
宗一郎さんに関する本だと、ボクは、
「世界を換える男・本田宗一郎の人と思想・斉藤栄三郎著・読売新聞社刊」
がお勧めだすぅ。
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