A.C.T.S.用務員のコツコツ工作帖

なんだかここんとこ「なんでも帖」になってますが…

秋の夜長の自由研究 - L12

2009-09-30 | Chronicle
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ロベールさんが、その栄光に別れを告げなければならなくなった理由は幾つかあります。
まずひとつは、本人の「重量」なんじゃないでしょうか。



左は69年、右は72年、わずか3年で、いわゆる激太りってやつですね。
これは、スポーツマンにとっては、かなりヤバイ現象です。
体重増加だけでなく、怪我の治療のために薬物を使いすぎて副作用が大変だったとか、
○○のために○○を服用しすぎたとか、まぁいろいろあったようです。
72年の時点で年齢はまだ29歳なんですが、摂生に努めていた人ではないのでしょう。
いかんせん「いろいろ酷使しすぎちゃった」んですよね。
まぁ豪傑の人生っていうのは、そういうものなのかもしれません。
それはそれで「らしい」じゃありませんか、ねぇ?。


さて、ロベールさんにはもうひとつ深刻な「重量」の問題がありました。
73年から、マシンの最低重量が改正されちゃったんです。
下の諸元表を見て下さい。



72年のRHの車重は、なんと79.5kgです。ちょっとぶったまげますよね、この数値。
さすが60年代にロードでトコトンやるところまでやったスズキワークスです。
モトクロッサーだってチタンだのマグだの使いまくって、ここまで軽くしていました。

で、平たく言えばこういうの目~つけられて、いじめられるわけです。
ロードでも、60年代に日本車が好き放題にやってペンペン草も生えなくなって、
レギュレーションが改正されましたが、まぁそれのモトクロス版ってことですね。
73年の車重を見て下さい。



なんと89kg。いきなり約10kgも増えています。
頑張ってパワーも3馬力ほど上げているんですが、
どうやら発生回転数を見ると高回転に振れてて、乗りにくくなった可能性は大です。



いきなり10kg増えて、ピーキーになったら、そりゃ乗れませんって。
上に乗っかってる人間だって10kg以上は増えてるんですから、
あ~あ、こりゃダメだ…っての、誰の目にも明かです。
で、73年、ロベールさんはランキングを18位まで落とします。
優勝ゼロどころか、最高位4位という成績でシーズンを終えることになります。

そしてさらに、この1972年、
時代を大きく動かすことになる、あるプロジェクトが、
FNの故郷、ベルギーのリエージュで進められていました。

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