A.C.T.S.用務員のコツコツ工作帖

なんだかここんとこ「なんでも帖」になってますが…

秋の夜長の自由研究 - L13

2009-09-30 | Chronicle
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ベルギーのリエージュは、
首都のブリュッセルから100kmくらい内陸方向に入った所にあります。
そこから西にちょっと行くと、500のモトクロス会場で有名なナミュールの町。
南東にすぐの所には、ロードのスパ・フランコルシャンがあって、
真南に進んでいくと、第二次大戦の大激戦で有名なバストーニュ/アルデンヌの森です。

ブリュッセルもそうなんですが、
なぜかベルギーの町ってのはあんまり愛想が良くないっていうか、
重厚な雰囲気は漂ってるんですが、外向きにお化粧してないっていうか、
華やかさみたいなのがあんまりなくて、地味~な感じがしますね。
(ベルギーの皆さん、ごめんなさいね)
ところが昔から、ベルギーとかお隣のオランダの人っていうのは、
商売の感覚にはもの凄く長けていたらしいですね。
あんな小国がヨーロッパででかい顔してるのは、その辺の才あってのことらしいです。
ま、ヨーロッパの近江商人ってところでしょう。

さてさて、リエージュ周辺っていうのは大昔から良質の鉄鉱石の採れるところでして、
大きな川も流れていたりするもんですから、早くから鉄鋼の町として大発展しました。
FNみたいな「精巧な鉄のギミックのカタマリ」を造る会社がいくつも創業し、
町には小さな鍛冶屋さんとか食器屋さんとかがいっぱい看板を掲げています。
たぶんあの辺の人たちは、昔から金属いじりに馴染んでいたんでしょうねぇ。

で、リエージュの大学にルシアン・ティルケンスっていう先生がいらっしゃいまして、
息子のギー(=Guy)君は、モトクロスをやっていました。
ティルケンス先生、ギー君のためにバイクいじりなんかも手伝ってあげてたんですが、
ある日ちょいと面白いサスペンションを思いついちゃって、
「お!、こりゃエ~んでないの?。どっかのメーカーに売り込んで儲けたろ!」
って発想を持つに至ります。1960年代後半のことです。

その頃のモトクロスのトップメーカーって言えば、ハスクとCZで独占状態でしたよね。
で、この先生、もちろん学者さんなんですが、商売人としてもなかなか面白い人でして、
平気な顔して両方に売り込みに行っちゃいます。
(どっちもリエージュのFNのライバル会社っていうのが面白いんですがね)
ハスクがどういう判断を下したのかは定かではありませんが、
とにかく先生のアイデアは、スウェーデンでは不採用になったようです。

一方のCZは、がっつり食い付きました。
ティルケンスさんが造ったという説とCZが造ったという説、両方がありますが、
とにかく試作車が出来ました。



モノサスの基本部分はその後のモノと同じカラクリになっているんですが、
通常のショックが付いてる場所に補助的にダンパーがある、過渡的なカタチですね。
メインのユニットには、シトロエンの自動車用ショックユニットを使ったそうです。
1969年のことです。

で、その頃CZのライダーだった500のデコスタさんと、
250のシルバン・ゲボスさん(エリックのお父さんですね)が開発テストを担当します。
(ふたりとも、まだ両クラスのNo.1ライダーではない時代です)
走らせてみた具合は、上々だったようです。
上々だったんですが、なぜかこれがすぐにデビューすることはありませんでした。

いろんなことが考えられます。
まず、ティルケンスさんが提示した特許料というかパテント使用料が、
CZと折り合わなかったっていうのが考えられます。これはまぁ妥当な憶測ですね。
CZさんのところ、レースに強いは強いですが、
西側の通貨に対してそんなに大金が払える会社ではないような気がします。
ティルケンスさんも、適当に妥協しちゃう人ではなかったんでしょう。


もうひとつ考えられるのは、デコスタさんの策略です。ここからちょっと長くなります。
(策略なんて言うとちょっと大袈裟ですけどね。まぁアイデアってとこです)

どうやら、当時のトップライダーの皆さん、
この時期すでにCZに対して限界を感じていたんじゃないかと思うんです。
現在はまぁうまく行っているけど、将来性が無いっていうか、夢が描けないっていうか、
できれば他のメーカーに乗ること、すでに充分に考えられていたと思います。

でも、ハスクはスウェーデン人とかフィンランド人とか、
コテコテの純血バイキングしかワークスに乗せません。
そこに明かな選別があったのは確かです。
ジャどこかって言えば、じわじわ頑張っているスズキが、視野に入る時期なんですよ。

それまで日本人ライダーで細々と世界選手権に参戦していたスズキが、
オーレ・ペテルソンさんを乗せて初めて入賞したのが1968年です。
トップライダーは分かるわけですよ、
「オーレ程度のヤツが乗ってあのくらい走るんだから、オレならもっと…」って。
それにロードで、日本のメーカーがムキになるとどのくらいやるのか、
彼らはみんなよ~く知ってますからね。
「う~む、近い将来、スズキありよね」って。

そこでデコスタさんのアイデアです。
「この変なサス、CZじゃなくてスズキに持っていった方が良いんじゃない?」って。
ティルケンスさんと相談して、CZで実用化されるの、抑えたんではないかと。

そして直後に、大変な民族大移動が始まります。
1970年に、ロベールさんとゲボスさんがスズキに乗ることになって、
いきなりランキング1、2位を獲ります。
デコスタさんは、大きな漬け物石のいる250は避けたかったんです。
ですから、71年にスズキが500に参戦を開始するのを待ってCZからスイッチし、
あっさりとスズキ初の500チャンピオンになっちゃいます。

この辺の「目利き」って大事ですよね。
自分の実力と、バイクの性能と、どのクラスを走るか、うまくやらないと、ねぇ。
250じゃ絶対にNo.1の座に座るのは無理ですから、やっぱり500なわけです。
デコスタさんは500ならスズキで(初挑戦の年で多少の不安はあるけど)一人天下です。
そしてこの大きな賭けは大成功して、500のチャンピオンになって、
これで一つ年上の帝王ロベールさんより、いきなり「格上」になれちゃったわけです。


で、その1971年、面白い試作車が走り始めます。
RH71ベースに、ティルケンスさんのサスが付いたマシンです。



このサスのこと、一番よく分かってるのは、デコスタさんですからね、当時。
同郷のティルケンスさんと手を組んで、スズキと交渉するにも、
デコスタさんは一番良いポジションにいるわけです。
なにしろロベールさんより、名目上は格上ですから。

バイクだって、良く出来てますよねぇ。
CZのプロトの、いかにも試作車風と比べて、ぜんぜん出来が良いのは明かです。
これはかなりマジに造ったとしか考えられません。
で、スズキの社内でも、評価は上々なわけです。

ところが、スズキの台所はとてつもなく厳しいんですわ、この時期。
ペテルソンさんなんていうBクラスひとりの時期なら良かったんですけどね、
いきなりロベールさん、デコスタさん、ゲボスさんって超大物が来ちゃったもんだから、
スズキモトクロス始まって以来の大出費時代に突入してるわけです。
ぼこぼこタイトル獲れてるのは良いんですが、お財布なんかスッカラカンですよ。

ライダーは、これ以上ないくらい良いタマが揃ってますし、
そんなサスに大きなお金使わなくても、充分に行けるだろう…可美村はそう判断します。
で、スズキがティルケンスさんのサスを採用することはありませんでした。
デコスタさんだって、いろいろ計算します。
サスに大金使って自分に回る分を削られたんじゃたまんないですからね。
その辺はいろんな要素を天秤にかけて、近江商人は実を取ります。


さ~て困っちゃったティルケンスさん、
でも、そんなことでくじける近江のアキンド…じゃなくて、
ベルギーの先生じゃありません。
年が明けて72年になってみたら、あらあら、ヤマハが元気良く出てきたじゃない!
むふふ、こりゃ~いけるんじゃないの?

先生ったら、スウェーデン、チェコ、可美村に続いて、
そそくさと磐田行きの切符を購入しちゃいます。

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9 コメント

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モノすごかったモノショック (red)
2009-09-29 23:06:41
ヤマちゃんいい買いモノしちゃったわネー、モノがモノだけにいいモノだってー。
でも ヤマちゃんたら73年の春一番のお祭り(矢田部)の時は秘密のモノよって、だから他のメーカーのモノたちがモノを見たくてモノモノしかった見たいだったモノね。

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そしてモノクロスは海を渡った。 (ほりぐち)
2009-09-30 01:08:12
何かRHでモノサスのテストしてる動画見たことありますが、そういうコトやったんですか。可美村てスズキ?いろんなオトコ達の関わりや思惑が用務員さんなりの解釈ながら消化でき、大変興味深いです。「ホンダなら買うてたかな?」とか。

しかしティルケンスがなんで関西弁やねん?!
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そしてホンダだったら、、、 (red)
2009-09-30 01:53:38
(ほりぐち)さん 面白いとこ 付いてくるナー、(ウン)
走る実験室のホンダが 【あと1年】早くモトクロスで 優勝しとたら 天下の本田宗一郎だもん 札片振って横取り即決かもヨ、有り得なくもねーな?面白い。
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実は (142)
2009-09-30 20:54:38
ヤマハが71年9月にベルギーのロコレースで見つけて(すでにスズキではテスト車でデコスタとゲボスがテスト中。CS82年創刊号に記事あり)、ティルケンスさんと交渉したら2~3億と言われ、スズキは辞退。でもヤマハは買っちゃって翌72年にデビューさせて谷田部で勝っちゃう訳ですね。

しっかし、別冊細工リストあたりで連載でもすりゃあいいのに、とも思いましたが、リアル世界では画像の版権とかいろいろあるからのぉ・・・なんてな~


で、「モイセーエフの真実」に続くかも.
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ダハハ (142)
2009-09-30 22:02:09
下記コメントの訂正です。

71年9月→72年9月
翌72年にデビュー→翌73年にデビュー

webだと修正も可能なんでひと安心・・??
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お知らせっていうか、ヤバイ! (用務員)
2009-09-30 22:30:23
なぜか突然なんですが、
先程からこのブログの編集画面にログイン出来なくなってしまいました。
つまり新規のページがアップ出来ないんですわ。
こうしてコメントは書き込めるんですけどね。

う~ん、チェコかロシアからのサイバー攻撃かとも思うんですが、
どうにも原因が分かりません。
もう少しジタバタやってみますが、
それでもダメなら、しばらくお休みするか、
どこかにお引っ越しってことになりそうです。

う~ん、もう少しで、
やっとモイセーエフさんとKTMにたどり着けると思ってたのに~!

ってわけで、しばらくジタバタジタバタ・・・・・
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祟りじゃ~! (ほりぐち)
2009-10-01 02:30:52
なっ、ティルケンス先生に関西弁使わすから祟りちゃいますか?

CZモノサス車画像見ました。ホンマにシトロエンそのままのサスにビックリ!
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あかん・・・ (用務員)
2009-10-01 10:13:44
ふ~、ダメです、

いろいろジタバタやってみたんですがログイン出来ません。

やっぱりティルケンス先生の祟りかな~。


う~ん、ちょっと他のブログも探してみますわ。

てなわけで、自由研究、ちょいお休みさせて下さいまし~。








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お引っ越し~! (用務員)
2009-10-01 23:36:24
いろいろやってみたのですが、
やっぱりダメなので、
お引っ越ししちゃいますぅ。

http://yomuin.seesaa.net/

まだシェイクダウン中です。
ちびちびいじりながら行きますので、
ヨロシュウに。
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