A.C.T.S.用務員のコツコツ工作帖

なんだかここんとこ「なんでも帖」になってますが…

秋の夜長の自由研究 - L11

2009-09-29 | Chronicle
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さて、そろそろモトクロスの話に戻しましょう。
まずは表をご覧下さい。
250の世界選手権が始まってから1972年までのランクベスト10と、
後のチャンピオンたちの足跡です。



前半、ハルマンさんの強さは凄いんですが、
67年ぐらいからハスクと一緒にアメリカでのビジネスを本格スタートさせ、
まぁ旬を過ぎたこともあって、ゆっくりとランキングは後退してゆきます。
このアメリカでの活動は、単にハスクとウェアを売る…といったものではなく、
ヨーロッパ的な本格モトクロスイベントの開催など、多角的なものでした。
モトクロス後進国だったアメリカに「本場モノ」を広める宣教師だったんですね、彼は。



さて、その後を担ったロベールさんっていうのは、とんでもない人ですね。
10年以上にわたって、ほぼトップです。化け物っていうか怪物っていうか、
モトクロスの歴史上、やっぱり図抜けた存在だったんだと思います。
ロベールさんについては、いろんな逸話があります。
マシンが壊れてリタイヤした後、トンカチ持ってメカニック追いかけ回したとか、
バスをチャーターして綺麗ドコロを何10人もパドックにはべらしたとか、
女性と熱戦のうえ寝過ごしてスタートに間に合わなかったのは1回や2回ではないとか、
暴飲暴食豪遊淫乱の限りをつくしたと言われていますが、ホントのことは分かりません。
ただ、いわゆる豪傑タイプなのは確かなんでしょうね。愛すべきライダーの一人です。



強さも存在感も、圧倒的だったのでしょう。
良くも悪くも、250クラスという樽に重くのしかかった漬け物石みたいなものです。
すぐ下にいる人たちは、苦しくて、あがきます。
CZ時代から忠実なNo.2を務めてきたライエさんは、73~74年は250で過ごしますが、
75年には125に移っていきます。活路を見出すには、それしかありませんでした。
デコスタさんも250での限界を感じて、500に行きます。
めきめき伸びてきたミッコラさんも、72年は500に移ります。
偉大な漬け物石は、多くのトップライダーを樽から絞り出してしまいました。
(そのおかげ…というのはオカシイかも知れませんが、
ライエさんもデコスタさんもミッコラさんも、
移っていったクラスでみんな見事にチャンピオンになります)
ひとり突っかかっていたのが若手のアンダーソンさんくらいです。

ところがこの巨大な漬け物石が、突然はずれる時がやってくるのです。

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3 コメント

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欧州のライダー (red)
2009-09-29 00:30:27
モーー マーイドー スイマセンーー
『アアー ヨカッターワー』(もう古いか)なんて歌いたく成りましたワ、戻って 私の様な少年には、最近重かったナーッ(爺に片足突っ込んで話しつこいのにねーて テ名で良く言うネ)、
改めて上の票を見ると この年代スエーデン、ベルギーの自由側諸国のお金を稼ぐ【プロライダー】とプラス国の威信を担った共産圏諸国(外貨獲得?)の【プロライダー】の戦いて構図を思い画くのわしだけかのーーー、(前は、変な昔の怨念だの言ってて) 違うかな?
しかし この当時 私生活でも【ハチャメチャ】(強調)
なJoel.ROBERTが 単に抜きんでた実力だったと言う事だろうね1972年までは、(でもスゲーよな ウンウン)
さて 朝早起きせんといかんからウンコして寝るベー。
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Unknown (用務員)
2009-09-29 09:09:22
現役バリバリの頃のロベールさん、
見てみたかったですよね。
どんなに凄かったんだろうって。

っていうか、タイムマシンに乗って、
60年代の現場に行ってみたいもんです。
楽しくてしょうがないんだろうなぁ。
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Unknown (red)
2009-09-29 14:16:56
ドリームジャン、メルヘンジャン わしもスンッゴク見てみテーーーーョ、ホントウニ。(いい歳こいてってー 言われっかも しんんなくとも)

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