++ それでも夢をみていたい。++

平成18年8月28日
ママは安らかに息を引き取りました。
癌で余命3ヶ月宣告。
  その闘病記録と、終わり。

癌と宣告されること。ママとガン告知。

2006年03月16日 | ● ガン告知/ 過去日記 ☆
*** イレッサ服用 43日目 ***

ガン告知されたときのことを思い出していた。
なので今日はそのころのことを。

パパの職場に連絡があって
パパと弟(下)がふたりではじめの告知を聞いた。
正確には1月16日のこと。
悪いことを言われるかも知れない。
でもガン告知をされるとは思っていなかったと思う。
しばらくはあたしに言えなかった。らしい。
自分の落胆ぶりから考えると娘も
酷く落胆して壊れてしまうんじゃないかと思ったらしい。

癌という病気のことと、余命。
あたしがそれを聞いたのはその10日後のこと。

☆ 1月26日 ☆
その数日前に心臓の膜の水を抜いて
死にそうな姿を見ていたから
あたしは癌なんだとは思っていたんだけど。
余命が3ヶ月というのはものすごい衝撃だった・・・・・・
聞いたときは。やっぱり。
やっぱりそうなんだ。
そればかり思っていた。
パパと弟は聞いた場合の心配をして
わざわざ自宅に伝えに来てくれた。
女ってのは男が思うほど弱い生き物じゃないんだと思う。
目の前にいる人が崩れ落ちそうなくらい
壊れかかっているなら特に。弱ってなんか居られない。
支えなくてはいけないと思うサガ。
あたしは見栄っ張りで、強がりだからね(-_-;)

最愛の人を亡くす。
身体の半分をもぎ取られる
そう言うことだと思うから。

弾丸のようにこの先のこと
ママに告知するかどうかを3人で話し合った。
そのうち話はそれて、死んだあとのこととか話し出す。
そうして現実をただ見ているのは一番楽だから。
先のことを考えているのはある意味現実逃避で
目の前の手の届くことは放棄している。
現実になるだろう非現実に逃げ込んでほっとしている。
ママの死は存在しない。
その時点であたしたちがママを喪失している
ということはまるきり勘定に入っていないから。

話を終えてふたりが帰ったあと
ダーリンが帰ってくるまでひとりぼっちになって
その時間が本当に辛かった。
アタマの中を廻ったのは、
あたしのたったひとりのママなのに
それを永遠に失ってしまう。
手を伸ばしても届かなくなる。
そのことだけぐるぐると意味なく考えてた。

感情と思考が心について行けてなくて
どのくらいそうして惚けて泣いていたのか分からない。
でも理由のない悲しみと飲み込みきれない涙。
なのに感情の伴わなかった慟哭に
理性的に理由を付けて状況を整理し出す。
理性をかなぐり捨てて悲しみに暮れているのは
すごく簡単で、無意味で卑怯で無駄な時間だ。
あたしはそれを良しとしない。美しいとは思えないから。
ムリしてでも笑って、やせ我慢していたい。
考えるべきことは他にあって、それはあたしがしなくちゃいけない。
痛みは自分の痛みで、どうせそんな簡単にいなくなったりもしないのだ。

死とは今世に生まれてすべきことを終えたものに訪れる安息。
天寿を全うした。ただそれだけ。

と、そうやって人が死に逝くことを理解していても
亡くす痛みが無くなる訳じゃない。
それは理解とは別のはなしだ。

大切に出来る大切なものだけを掌で温めて生きてる。
後悔したくないから、大切なものを大切にしていたいから。
掌に収まるくらいの人しか大切に出来ない。
ちっちゃい人間なんです。

してあげられなかったことなんてない。
してあげたかったことは全部してきた。
出来なかったことは所詮出来なかったことに過ぎない。
だからこそ悲しい。
後悔していてもしていなくても、愛しているからこそ悲しい。
そのことがとても悲しい。