百人一首:51番/ふじわらのさねかた
藤原実方朝臣
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
訳:
こんなに君を恋い慕っているとだけ言いたいのにとても言えない。
(伊吹山のもぐさを焼いたように)
燃えくすぶるような恋心をあなたは知らないだろう。
※伊吹山は栃木県小山という説も。
この人物、沢山の女性と交際。清少納言とも関係があったらしい。
光源氏のモデルという説が。
995年、天皇の面前で藤原行成と歌について口論になり、
怒った実方が行成の冠を奪って投げ捨て、陸奥守に左遷される。
40歳で落馬し死亡。
後、加茂川の橋の下に彼の亡霊が出没するという噂が。
雀に転生して宮中の米を食い荒らしたという伝説も。
ここ地元「雀の宮」の伝説では、もうちょい綺麗な話になっている。
~~~~~~~~~~~~~
地元に伝わる「紅雀」の話:
都で女性問題を起こした藤原実方朝臣(さねかたあそん)は、
青森の国造(くにのみやつこ)として単身赴任を命ぜられる。
彼の若妻が後を慕ってこの地まで来た時に風邪をこじらせて寝付く。
病が悪化して死ぬ間際に、
藤原氏代々に伝わる三種の神器を夫に渡して欲しいと言い残す。
実方は落馬で命を落とした後、
紅雀となって妻の墓(綾女塚)まで飛んできて息絶える。
墓を綾女神社として祀り供養した。
~~~~~~~~~~~~~
雀になって宮中の米を食い荒らした説と比べたら美談になってる。
死後雀になって飛んでいく話が、後に地名の語源とされている。
家紋などでみられる「竹に雀」
竹の小さいものが笹。
常緑なので子孫繁栄などの願いがこめられているらしい。
某漫画BLEACHにも雀部長次郎(ささきべちょうじろう)という登場人物が。
読んで無いので知らなかった。珍しい苗字だよね。
神武天皇の末裔の苗字一覧に載っていた。
雀を「ささき」と読ませるのは、難読。
~~~~~~~~~~~~~
「移しの宮」の話:
第十代崇神天皇の頃、毛の国の武族が都に反抗。
豊城入彦(とよいりひこのみこと・二荒山神社の主神)を四道将軍として、
東征を命じた。
毛の国征伐を終えた後死亡した命の霊を分霊して、
権力の象徴として東谷に古墳を築造。
後に現在の宇都宮に社を建てて移したので「移しの宮」と言われた。
仁徳天皇の頃、上の毛と下の毛に行政を分けて、
その時治めた一族が「雀部(ささきべ)と名乗った。
※古墳の名称が笹塚古墳。
「移しの宮」が宇都宮の語源になったという一説。
~~~~~~~~~~~~~
「鎮めの宮」の話:
鬼怒川などの河川の氾濫を鎮めるために建てられた社。
牛塚も鎮めの宮の一つ。
~~~~~~~~~~~~~
※我が家のお墓は古墳のあった場所。
牛塚:
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)、
三鈴鏡(さんれいきょう)、
匂玉などが出土。
国王級墳墓で高さ5m、周囲180m、
形は帆立貝式前方後円墳だった。
発掘後、道路建設の用土に使用されて現在はお墓になっている。
藤原実方朝臣
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
訳:
こんなに君を恋い慕っているとだけ言いたいのにとても言えない。
(伊吹山のもぐさを焼いたように)
燃えくすぶるような恋心をあなたは知らないだろう。
※伊吹山は栃木県小山という説も。
この人物、沢山の女性と交際。清少納言とも関係があったらしい。
光源氏のモデルという説が。
995年、天皇の面前で藤原行成と歌について口論になり、
怒った実方が行成の冠を奪って投げ捨て、陸奥守に左遷される。
40歳で落馬し死亡。
後、加茂川の橋の下に彼の亡霊が出没するという噂が。
雀に転生して宮中の米を食い荒らしたという伝説も。
ここ地元「雀の宮」の伝説では、もうちょい綺麗な話になっている。
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地元に伝わる「紅雀」の話:
都で女性問題を起こした藤原実方朝臣(さねかたあそん)は、
青森の国造(くにのみやつこ)として単身赴任を命ぜられる。
彼の若妻が後を慕ってこの地まで来た時に風邪をこじらせて寝付く。
病が悪化して死ぬ間際に、
藤原氏代々に伝わる三種の神器を夫に渡して欲しいと言い残す。
実方は落馬で命を落とした後、
紅雀となって妻の墓(綾女塚)まで飛んできて息絶える。
墓を綾女神社として祀り供養した。
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雀になって宮中の米を食い荒らした説と比べたら美談になってる。
死後雀になって飛んでいく話が、後に地名の語源とされている。
家紋などでみられる「竹に雀」
竹の小さいものが笹。
常緑なので子孫繁栄などの願いがこめられているらしい。
某漫画BLEACHにも雀部長次郎(ささきべちょうじろう)という登場人物が。
読んで無いので知らなかった。珍しい苗字だよね。
神武天皇の末裔の苗字一覧に載っていた。
雀を「ささき」と読ませるのは、難読。
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「移しの宮」の話:
第十代崇神天皇の頃、毛の国の武族が都に反抗。
豊城入彦(とよいりひこのみこと・二荒山神社の主神)を四道将軍として、
東征を命じた。
毛の国征伐を終えた後死亡した命の霊を分霊して、
権力の象徴として東谷に古墳を築造。
後に現在の宇都宮に社を建てて移したので「移しの宮」と言われた。
仁徳天皇の頃、上の毛と下の毛に行政を分けて、
その時治めた一族が「雀部(ささきべ)と名乗った。
※古墳の名称が笹塚古墳。
「移しの宮」が宇都宮の語源になったという一説。
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「鎮めの宮」の話:
鬼怒川などの河川の氾濫を鎮めるために建てられた社。
牛塚も鎮めの宮の一つ。
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※我が家のお墓は古墳のあった場所。
牛塚:
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)、
三鈴鏡(さんれいきょう)、
匂玉などが出土。
国王級墳墓で高さ5m、周囲180m、
形は帆立貝式前方後円墳だった。
発掘後、道路建設の用土に使用されて現在はお墓になっている。
最初なんて読むかわかりませんでした。
孫がブリーチ見ているので、副隊長ささべっていうの?と聞いたら、ささきべと言われました。
伊吹山が栃木県小山という説があるとは
しりませんでした。滋賀県の伊吹山と思っていました。
これは、天皇や豪族が抱えた職能集団くらいの意味のようで、「日本書紀」にはいろんな部民が登場します。
例えば、「服部」というのは、もとは「はたおりべ」と読み、まさに機織りの技術を持った集団で、後になまって「ハットリくん」になったことが有名です。
そのほかにも、錦を織った「錦織部(にしごりべ)」、占いをつかさどった「卜部(うらべ)」とか、悪者を捕まえる「刑部(おさかべ)」とか、
犬の養育をした「犬養部(いぬかいべ)」などたくさんあります。
でもって、調べたら、「天皇や皇子の名に由来する部民」の中に、「建部(たけべ)」や「雀部(さきべ)(ささきべ)」があり、「建部」というのは日本武尊の武勲を語り伝えた部民として知られるので、「雀部」は仁徳天皇に由来する可能性が高いと思います。
(仁徳天皇の名前は「おおさざきのみこと」で、「さざき」とは「ミソサザイ(wren)」の意味だそうで、種類が近いのか「雀」の字が当てられるのも見たことがあります)
実は、昔読んだ上田秋成の「雨月物語」の中の二編に「雀部」という苗字の人が出てきて、ずっと気になってました(そのほかにも「丈部(はせべ)」とか「拝志(はやし)」なんていう人もでてくるので、この人はこういう珍しい苗字が好きだったみたい)
毛野君の話は日本書紀で見たけど、実方朝臣の話は初めて聞いた。
知らないことだらけ。
でも、やっぱり伊吹山は滋賀県だと思う。
伊吹山のふもとの中山道柏原宿には300年前の建物で今も営業しているもぐさ屋さんがあって、お土産を買ったことがある。
ささきべさんって今回初めて知ったんだな。
珍しい名前だよね。
「伊吹山」は滋賀県の山のようで。
調べてみたら、栃木の太平山が中世以降、
伊吹山と呼ばれていたことがあるらしいので、
そのあたりが説になっているのかなと。
↓ちょい詳しい?サイト
http://www6.ocn.ne.jp/~tntenji/gaiyou.html
★ほのちゃん
服部で「はっとり」になるのか不思議だった。
部がつく人はそんな流れがあるんだね。
錦織くんとか卜部さん犬養さんはそういうルーツなのか。
面白いなぁ。こういうの好き。
もぐさを使用したお灸をやった後に、
火傷した場所に軟膏を貼って体の毒素を抜くってのを父親がやってた。
たしか顔面神経痛の治療だった。