北京でいろいろもてなしてくださった親子の息子さんの方は、いま大学生。
彼の小さかった頃は、観光客は少なくて、長城の上を走り回って遊べたのだそうです。
何しろ山また山の奥地です(国境でしたからね)。
高速道路が開通する前は、現地に着くまで、相当時間がかかったらしい。人も押し寄せないって。
さて、写真を並べましょう。
私たちは、「八達嶺長城」というところで登りました。
で、これです。

ねーー、こんなに人が!

アジアの人も、ヨーロッパ系と思える人も、もちろん、現地中国の人も。世界中から来てる。


下から見上げていると、あんな遠くの上までいくのーー?ってため息がでます。
登る前から疲れる・・・
登山に近いですからね。
足元がしっかりと石畳になってる登山。

見渡す限り人、そして見渡す限り、どこまでもどこまでも長城が続く。
かつては、人といえば、見張りの兵士くらいしか居なかったんでしょうにね。
うじゃうじゃとよくまあこれだけ人が湧いてきたもんだと、感心します。
私もその中の一人ですけど。
特にこちらのルートは、いわゆる女坂、楽チンコースと説明されているので、
じーちゃんもばーちゃんも、お子ちゃまも、みんなこっちに来るから、こんなに混むの。
これが男坂方向では、けっこう空いてる。
ほら
↓

遠眼で見た感じでは、私たちが登ったほうに比べ、そんなに急勾配に見えないのだけど、
やぶん、頂上に近づくと凄いのかも。
混み合っていないので、カップルものんびりラブラブしていられる。

日差しが強いですが、途中に点々と置かれている楼(物見櫓みたい役目か)が、
いい休憩場所になります。


特に中は暗いですけどひんやりと涼しく、窓を通して風も来る。
側面に見えるあの窓です。

楼の中で窓から外を見る。

このスポットは、窓の幅で壁があって隣の窓と仕切られているし、見晴らしもいいので、
どこも二人すつカップルで窓にもたれて涼む、あるいは、愛を語らうラブボックス化しており、
いくら私が無粋なおばちゃんでも、そこに割り込んで窓そばに寄るのははばかられました。
やっと空いたとき、急いで写真撮影した次第。
でも、黙々と坂や階段を登ったあとにここで休むと、ほんとに和みました。
帰りの道々も、バスから山の尾根が見えるたびに、そこには長城が。
自分の領土を、うねうねと山の稜線上を城壁で囲って防御しようという発想は、
西安の皇城や都市や、街の一ブロックを囲って安心したい気持ちの延長でしょう。
それにしても城壁の大ボス、万里の長城は、やはり桁外れにすごい存在だね。
こっちから外はわが同胞ではない敵。 内側は自分のもの。
外から来るのは侵入者。容赦なく排除する対象。 内側は徹底的に従わせて固める。
外敵から安全に守られるのって、外出や移動の自由さを奪われるのと表裏一体。
でも、ときの権力は、そうやって、秦の始皇帝以来の巨大な統一中国を、
一つに纏め上げる努力をしてきたんでしょうね。王朝は入れ替わっても。
現代中国は、昔の遺産の城壁を次々ぶっ壊して、物理的には囲ってない景色にしていってます。
人々は、万里の長城や、天安門や紫禁城などにどんどん出かけ、
夕刻になっても、太鼓や鐘の合図で門が閉めらない自由を満喫しています。
次に取っ払うべき囲いは何?
街に溢れる、生き生きと真面目に働く人々は、城壁ではない目に見えない囲いも、
もういらないと言ってる気がするな・・・。
彼の小さかった頃は、観光客は少なくて、長城の上を走り回って遊べたのだそうです。
何しろ山また山の奥地です(国境でしたからね)。
高速道路が開通する前は、現地に着くまで、相当時間がかかったらしい。人も押し寄せないって。
さて、写真を並べましょう。
私たちは、「八達嶺長城」というところで登りました。
で、これです。

ねーー、こんなに人が!

アジアの人も、ヨーロッパ系と思える人も、もちろん、現地中国の人も。世界中から来てる。


下から見上げていると、あんな遠くの上までいくのーー?ってため息がでます。
登る前から疲れる・・・
登山に近いですからね。
足元がしっかりと石畳になってる登山。

見渡す限り人、そして見渡す限り、どこまでもどこまでも長城が続く。
かつては、人といえば、見張りの兵士くらいしか居なかったんでしょうにね。
うじゃうじゃとよくまあこれだけ人が湧いてきたもんだと、感心します。
私もその中の一人ですけど。
特にこちらのルートは、いわゆる女坂、楽チンコースと説明されているので、
じーちゃんもばーちゃんも、お子ちゃまも、みんなこっちに来るから、こんなに混むの。
これが男坂方向では、けっこう空いてる。
ほら
↓

遠眼で見た感じでは、私たちが登ったほうに比べ、そんなに急勾配に見えないのだけど、
やぶん、頂上に近づくと凄いのかも。
混み合っていないので、カップルものんびりラブラブしていられる。

日差しが強いですが、途中に点々と置かれている楼(物見櫓みたい役目か)が、
いい休憩場所になります。


特に中は暗いですけどひんやりと涼しく、窓を通して風も来る。
側面に見えるあの窓です。

楼の中で窓から外を見る。

このスポットは、窓の幅で壁があって隣の窓と仕切られているし、見晴らしもいいので、
どこも二人すつカップルで窓にもたれて涼む、あるいは、愛を語らうラブボックス化しており、
いくら私が無粋なおばちゃんでも、そこに割り込んで窓そばに寄るのははばかられました。
やっと空いたとき、急いで写真撮影した次第。
でも、黙々と坂や階段を登ったあとにここで休むと、ほんとに和みました。
帰りの道々も、バスから山の尾根が見えるたびに、そこには長城が。
自分の領土を、うねうねと山の稜線上を城壁で囲って防御しようという発想は、
西安の皇城や都市や、街の一ブロックを囲って安心したい気持ちの延長でしょう。
それにしても城壁の大ボス、万里の長城は、やはり桁外れにすごい存在だね。
こっちから外はわが同胞ではない敵。 内側は自分のもの。
外から来るのは侵入者。容赦なく排除する対象。 内側は徹底的に従わせて固める。
外敵から安全に守られるのって、外出や移動の自由さを奪われるのと表裏一体。
でも、ときの権力は、そうやって、秦の始皇帝以来の巨大な統一中国を、
一つに纏め上げる努力をしてきたんでしょうね。王朝は入れ替わっても。
現代中国は、昔の遺産の城壁を次々ぶっ壊して、物理的には囲ってない景色にしていってます。
人々は、万里の長城や、天安門や紫禁城などにどんどん出かけ、
夕刻になっても、太鼓や鐘の合図で門が閉めらない自由を満喫しています。
次に取っ払うべき囲いは何?
街に溢れる、生き生きと真面目に働く人々は、城壁ではない目に見えない囲いも、
もういらないと言ってる気がするな・・・。
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