その後も度々見舞ったが、2度目の時に、彼が写真集を作って用意しているのを知った。ある程度覚悟をしていたのだろう。一時的な退院がおかしいと思っていたのだが、その間に整理したのだ。何の相談もなかったので、アドバイスもできなかったが、残念ながら写真を集めただけの物になった。仲間にも聞かれたが、今の、彼のおかれている状況を表しているのではないか、と応えておいた。
入院していた、友人の山崎恒男君が逝ってしまった。今朝、8月25日の7時20分とのことだった。私に鳥の世界を教えてくれた人である。飛島を始め菅生沼や瓢湖等々様々な探鳥地に連れて行ってくれた。瓢湖には一昨年訪れた。丁度8月で炎天下での探鳥になったが、宿泊先のリズムハウスの温泉で、汗を流し背中を洗いあった。
その時の古代ハスの美しさに「越後国府」花鳥の譜をビデオスタイルにまとめたりした。思い出は数々あれど、ここに追悼の記を編んで偲ぶこととした。
その時の古代ハスの美しさに「越後国府」花鳥の譜をビデオスタイルにまとめたりした。思い出は数々あれど、ここに追悼の記を編んで偲ぶこととした。