つぶ子のハードモードブログ~脳脊髄液減少症、バセドウ病、うつ病、毒親・毒家族のカルテット~

つぶ子「わたしたぶん前前前世で太宰治あたりと心中しようとしたから現世でこんなに業が深いんだと思うの…🐜」

あの日の交通事故。

2015-04-02 17:17:00 | 発症から診断、治療に至るまで


わたしが交通事故に遭ったのは
高校2年の夏、16歳のときでした。


何もかもこれからのとき。
人生の全てが変わったときです。


夏休みに入ってすぐ、
バイト帰り、夜の9時過ぎくらいかな?
既に自宅の近くまで帰ってきていたわたしはちゃんと青信号で自転車で徐行していました。


そこに左から前方不注意の右折車がボーーーーーンッ☆☆☆


突っ込んできました☆~(ゝ。∂)


わたしは自転車ごとボンネットに乗り上げて、フロントガラスに頭をぶつけ、10数メートル先まで飛ばされお尻から尻餅をつく形でガンッと着地。


頭から落ちてたら相当やばかったそうです…。


そこで気を失わ…


なかったんですわたし。


すぐさま立ち上がるつぶ子!!
やばい!!
はねられるだけならまだいい!!
一番やばいのはそのあと下敷きにされることだと聞く!!
逃げなきゃ!!
逃げなきゃ!!
逃げなきゃ!!
はっ!!
車は!!
一応止まっている!!
轢き逃げではない!!
大丈夫だ!!
だいじょ…きゃ


きゃあ~~~~~きゃあ~~~~~…ギャーーーーーーーーーーーーーーーーギャーーーーーーーーーーーーーーーース!!!!!!!!!ギャーーーーーーーーーーーーーーーース!!!!!!!!!ワアーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!


たった今起きたあまりのことに恐怖を抑えられない16歳のわたしは気が付いたらパニックに陥って叫びまくっていました。
うるさかったです。


夜で人通りは少なかったけど、運良く少し先がコンビニで、事故を目撃していたカップルやすごい音に気がついた前を走っていたバイクのおじさんがかけつけてくれました。


もう靴とかどっかいっちゃてて。
両方脱げてた。


そしてなかなか出てこない運転手。


やっと出て来たおじさんが放った一言。


『大丈夫ですかぁ~?でもぉあなたが飛び出してきたからぁ~』


ブチッッッ。


はあ?
おじさん何言ってるんですか?
わたしちゃんと点灯して青信号で徐行してたんですけど?
ちょっと何言ってるかわからないです。


『てゆぅかぁ、頭、大丈夫です?フロントガラス』


って指差されて車見たら
わたしの頭の形にフロントガラスへこんどるーーーーーー!!!!!!


なんでまず最初にそれ言わないんですか?
てかなんでわたしに濡れ衣着せるんですか?
てかなんで反省してないんすか!?
てかなんで大人なのに謝るってことが出来ないんだよ!!!!!
謝れよ!!!!!


もうわたしぶちギレヒートアップ。
アドレナリン出てるせいか全く痛みは感じないんだけど、左側頭部若干腫れていて足首とか血出てて、
自転車使い物にならなくなってるし
後から聞いたら骨折くらいしててもおかしくない事故だったっていうから
なんだよわたし鋼かよって感じなんですけど。


実は家族の友人のお兄さんが交通事故に遭って頭を強く打って、無傷だからって家に帰っちゃったら脳内出血があとから出てきちゃって気付いたときには手遅れで…という話を聞いていたんです。


わたしの知り合いも頭打ってその場は平気で、しばらくして急変して今夜が山場ですみたいになって。
その子は助かったみたいなんですけど。


頭を打つことがどれほど危険か知っていたので今まで外で人にキレたことのないわたしは激昂しました。


周りに頭打ってるから興奮しないで!!救急車もうすぐ来るから!!
ってとめられるほどに…。


わたしブログでは度々荒ぶりますし、普段も毒舌とは言われますが、優しすぎるとも言われます。
本当に怒らないね、わたしなら今のでキレてるわって言われる。


けどあの日のキレぶりはすごかった…。
友人には見せられないよぉ///


だってわたしが親呼んだら態度急変したんですよ。
しかも


『田舎に妻子を残して出稼ぎに来ていてぇ…。』


って暗に大事にされたら困るZE!!
という言い訳。


結局わたしは救急車で運ばれてその場で脳に異常は見られず、
目撃者の方の証言により向こうの前方不注意は証明されたけど、相手は謝ったような謝ってないような。
警察に誘導尋問みたいなことされたり…。


慰謝料もむちうち半年でスッパリ切られたのでした。


ただ、わたしの見えない傷はMRIではわからないだけなのでした。
今後の本当の体調不良の原因は頭を打ったせいではなく、たぶん激しい尻餅をついたせい。
わたしの腰のあたりの脊椎には穴があいていました。


この1ヶ月後からどんどん具合が悪くなります。
そして、脳脊髄液減少症だと判明するのは3年後。


わたしの闘病生活はこの日から始まったのでした。


これから少しずつ
発症から30件近くのドクターショッピング、診断に至るまでのことを
ポツリポツリと思い出しながら書いていこうかなあと思っています。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿