「業及巧合因縁所致之(ごうきゅうこうごういんねんしょちし)
魔障疾病部多傷害等(ましょうしっぺいぶたしょうがいとう)
衆生心不安楽諸疾病(しゅじょうしんふあんらくしょしっぺい)
祈願于此世間永不生(きがんうしせけんえいふしょう)
猶如屠刀緊壓命脈時(ゆうにょととうきんえんめいみゃくじ)
刹那之間身心分離之(せつなしかんしんしんぶんりじ)
各種痛苦及身心疾病(かくしゅつうくきゅうしんしんしっぺい
祈願于此世間永不生(きがんうしせけんえいふしょう)
猶如已入閻王死主口(ゆうにょいにゅうえんおうししゅこう)
僅聞其名心生大恐倶(きんぶんきめいしんしょうだいきょうぐ)
願従今時至于永恒時(がんじゅうこんじしうえいこうじ)
祈願有情于此皆幸免(きがんうじょううしかいこうめん)
一千零八十種之魔障(いっせんれいはちじっしゅしましょう)
三百六十突発之驚倶(さんびゃくろくじゅうとっぱつしきょうぐ)
四百二十四種疾病等(しひゃくにじゅうししゅしっぺいとう)
祈願衆生永離此諸難(きがんしゅじょうえいりししょなん)
奪取所有身心安楽之(だっしゅしょゆうしんあんらくし)
四大不調所生之痛苦(しだいふちょうしょしょうしつうく)
悉皆平息寂静容光煥(しかいへいそくじゃくせいようこうかん)
祈願長寿無病具安楽(きがんちょうじゅむびょうぐあんらく)
借由上師三宝悲心力(しゃくゆうじょうしさんぽうひしんりき)
諸衆空行護法威神力(しょしゅうくうぎょうごほういしんりき)
業果不虚無欺眞諦力(ごうかふきょむぎしんていりき)
祈祷回向発願皆成就(きとうえこうほつがんかいじょうじゅ)。」
命とは何ぞや・・・・死とは何ぞや
生きるとは何ぞや・・・・・テーゼを
言葉にして説明するのは難しい。
以下ウッキから一部こびべ 感謝。
詩
中国・宋王朝の高宗(1107-1187)による七言絶句。絹張りの扇に草書体で記されている。
アルチュール・ランボー『座り込んだ奴等』の草稿
詩(し、うた、英: poetry, poem; 仏: poésie, poème; 独: Gedicht)は、言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。多くの地域で非常に古い起源を持つ。多くは韻文で一定の形式とリズムを持つが、例外もある。一定の形式に凝縮して言葉を収め、また効果的に感動・叙情・ビジョンなどを表すための表現上の工夫(修辞技法)が多く見られる。詩は独立したものとして書かれる場合も、詩劇・聖歌・歌詞・散文詩などに見られるように他の芸術表現と結び付いた形で書かれる場合もある。
英語のpoetryやpoem、フランス語のpoésieやpoèmeなどの語は、「作ること」を意味するギリシア語ποίησις (poiesis)に由来し、技術を以て作り出された言葉を意味した[1]。漢字の「詩」は思いや記憶を言葉にしたものを意味し、元々は西周のころの古代中国の歌謡を編纂したものを言った(のちに詩経と称される)[2]。日本では明治になるまでは「詩」といえば漢詩を指し、「歌」は日本古来の歌謡から発したものを指した。文学の一形式として「詩」の語を使うようになったのは、西洋文学の影響から作られた『新体詩抄』などを起源とする[3]。
印刷技術が普及した後は詩の多くは活字で提供され「読まれる」ようになった[4]が、詩は文字の発明以前から存在したとも言われ[5]、韻文を朗唱、あるいは節を付けて歌うことが普通であった。漢詩に節を付けて詠じるものは詩吟と言う。幕末以降の日本では一時期流行し、剣舞を伴う事もあった。現代では、詩を朗読することを特にポエトリー・リーディングと呼ぶことがある。作者本人による朗読会や、音楽の演奏とコラボレーションを行うなどの試みもある。
概説[編集]
詩および詩を巡る議論には長い歴史がある。アリストテレスの『詩学』のような詩を定義する初期の試みでは、修辞・演劇・歌・喜劇などにおける話法の用い方に焦点を合わせていた[6]。後世の試みでは、反復、詩型、韻といった要素に重点が置かれ、詩を散文から区別する美学が強調された[7]。20世紀中葉以降では、詩はより緩やかに言語を用いた根源的な創造活動として定義されることもある[8]。
詩では特有の形式や決まり事を用いることで言葉に別の意味を持たせたり感情的・官能的な反応を引き起こしたりすることが多い。類韻、頭韻、オノマトペ、韻律といった道具が音楽的もしくは呪術的な効果を生み出すために用いられる場合もある。両義性、象徴、イロニーやその他の詩語による文体的要素はしばしば詩作品に複数の解釈を可能にする。
同様に、隠喩・直喩・換喩は[9]それがなければ全く別々であったイメージを共鳴させ、意味を重層化させ、それまで知覚されなかった繋がりを形成する。同種の共鳴は韻律や脚韻のパターンによって個々の詩行の間にも存在し得る。
詩の諸形式の中には詩人が書く言語の特徴に呼応した特定の文化やジャンルに固有のものもある。ダンテ、ゲーテ、ミツキェヴィチ、ルーミーのような詩人で詩をイメージすることに慣れた読者は、詩を韻を踏んだ詩行と規則的な韻律で書かれたものと考えるかもしれないが[10]、聖書の詩のようにリズムと音調を得るために別のアプローチを取る伝統もある。現代の詩の多くは詩の伝統に対してある程度は批評的であり[11]、音調の原則そのもの(やその他のもの)と戯れ、試し、場合によっては敢えて韻を踏まなかったり韻律を定めなかったりもする[12] [13][14]。今日のグローバル化した世界では、詩人たちはしばしば様式、技法、形式などをさまざまな文化や言語から借用している。
詩の美や力や効果は様式や技法や形式だけによるものではない。偉大な詩は、まさにその言葉によって聴衆や読者に思考と力強い感情を喚び起こすことで他から抜きん出る。たとえばハンガリーのジョゼフ・アッティラのような詩人たちは、センテンスに結合された言葉によって言葉自体の意味の総和よりも大きな意味に到達する非凡な詩を書いている。そうした言葉の中には日常会話で使われる諺になったものもある。時代や文化が変われば言葉の意味も変化するので、詩の当初の美や力を味わうのは難しい。
歴史[編集]
アッカド語で書かれたギルガメシュ叙事詩の「大洪水」の石板(BC2千年紀頃)
芸術の一形式としての詩は文字の読み書きよりも先に存在したとも考えられる[15]。古代インドの『ヴェーダ』(紀元前1700-1200年)やザラスシュトラの『ガーサー』(紀元前1200-900年)から『オデュッセイア』(紀元前800-675年)に至る古代の作品の多くは、前史時代や古代の社会において記憶と口頭による伝達を補助するために詩の形で作られたものと思われる[5]。詩は文字を持つ文明の大半において最初期の記録の中に出現しており、初期のモノリス・ルーン石碑・石碑などから詩の断片が発見されている。
ヴァルミキ。『ラーマーヤナ』の作者とされる
現存する最古の詩は紀元前三千年紀のシュメール(メソポタミア、現イラク)の『ギルガメシュ叙事詩』であり、粘土板や後にはパピルスに楔形文字で書かれていた[16]。その他の古代の叙事詩にはギリシア語の『イーリアス』と『オデュッセイア』、アヴェスター語の『ガーサー』と『ヤスナ』、古代ローマの民族叙事詩、ウェルギリウスの『アエネーイス』、インドの『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』などがある。
詩を詩として成立させている形式上の特徴は何か、良い詩と悪い詩との分かれ目は何かを決定しようという古代の思索家たちの努力は「詩学」――詩の美学的研究を生み出した。古代社会の中には、中国の儒教の五経の1つである『詩経』に見られるように審美的のみならず儀式的にも重要な詩的作品の規範を発達させたものもあった。近年でも、思索家たちはチョーサーの『カンタベリー物語』から松尾芭蕉の『おくのほそ道』までの形式上の差異や、タナハの宗教詩からロマンチック・ラブ詩やラップに至るまでのコンテクスト上の差異を包括できる定義を求めて苦闘している[17]。
コンテクストは詩学にとって、また詩のジャンルや形式の発達にとって決定的に重要である。『ギルガメシュ叙事詩』やフェルドウスィーの『シャー・ナーメ』[18]のような歴史的な出来事を叙事詩として記録した詩は必然的に長く物語的になる一方で、典礼のために用いられる詩(聖歌、詩篇、スーラ、ハディース)は霊感を与えるような調子を持ち、またエレジーや悲劇は深い感情的な反応を引き起こすことを意図される。その他のコンテクストとしてはグレゴリオ聖歌、公的・外交的な演説[19]、政治的レトリックや毒舌[20]、屈託のない童謡やナンセンス詩、さらには医学テクストなどもある[21]。
ポーランドの美学史家ヴワディスワフ・タタールキエヴィッチ (en:Władysław Tatarkiewicz) は論文「詩の概念」において、事実上「詩の2つの概念」であるところのものの進化を追跡している。タタールキエヴィッチは「詩」という言葉が2つの別個なものに適用されており、この両者は、詩人ポール・ヴァレリーが観察したように、「ある地点で結合する。詩は……言語に基づく芸術である。しかし詩にはまたより広い意味もあり……それは明確なものではないので定義が困難である。詩はある種の『精神の状態』を表現する」[22]のだと指摘している。・・・・・・・・・・・・・
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悪夢は人に話した方が良いと言われているのだけど、
今日は 夢の中で 団体旅行でロシアに行ったばい。
そこで静かな林の中を散策したのだけど
あまりにも風景や 爽やかな空気がリアルで、
写真を撮ろうとして レンズ越しに見る風景も
あまりにリアル、
林は アメリカの自然より 北海道の自然に近いように
感じられたのだけど
いざアメリカに帰国という段階で、
もみだけに
「大統領令によって 貴女には出国許可が下りない」
という事になり、
プーチンが目の前にいて
ニヤリと笑っている顔を見せていて、
その顔もあまりにリアルで
もみはシベリアに送られるでもなく
大統領関連の建物に残されるという夢で
もみは今まで ロシアの夢を一度も見た事がなく、
震撼的夢だったばい。
共匪は金正恩の屁を吸入して
非常興奮している!!!!!!