以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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前世は画家でした。
ヨーロッパで、売れない流浪の画家でした。教会や風景を書いていた。
ボロボロの衣服とカンバスを持って乞食同然で野垂れ死にしました。
でも好きなことだけした一生だったので、心は満足で幸福でした。
死に顔は微笑しています。
200年前くらいです。
今でも絵が好きです。
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前にも書いたけど「あったかい国のカバ」だった。
赤茶色した川をゆっくり泳いでたのを思い出す。(水深は3Mくらい)
クローバみたいな水草が大好きだった、豆みたいな味だったな・・・
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楽しかった記憶を。
関東のある霊山で修行していた。お上人様についていた。楽しくて幸せだった。
理由は思いだせないが、お上人様とお別れした時は悲しかった。
その後、田舎の寺の住職になり、畳の上で布団の中で死んだ。
あたたかい早春の庭で、日の光が踊っているように見えたのが最後の景色。
あたたかいな、と思って、満ち足りていた。
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自殺した記憶がある。
いくつか記憶があるけれど・・・自殺で命を落として迷ったのは
無いと思う。
殺されて、迷ったことはあった。
一言に自殺と言っても、時代背景と状況、個人の背景と、転生の背景で
事情は異なると思うので、全部が一例に習うことは無いと思うけど、
自殺した記憶が戻ったとき、自分の愚かさとか、馬鹿さ加減とかが
もう、自分が恥ずかしくて、当時の家族や大切に思ってくれてた人たちに
申し訳なくて・・何とも言い表せない、情けない心境になった。
剣で戦をするような時代です。
生贄とか、そう言う風習が本当に必要だと
誰もが当たり前に信じているような風土でした。
中華っぽい国土でした。
きがつくと今日をむかえている
そして当たり前顔でその中にいて
いつのまにかその今日をおくりだしている
くる日も くる日も
今日の中にいて思うのは
明日のこと昨日のことだが
その明日にも昨日にも出会うことはない
出会えないからこそ思うのだろうが
たしかにあるのは今日だけなのか
今日こそ昨日であり明日でもあるのか
今日こそ生きてさわれる全部なのか
今日こそがこれしかない一生なのだ
理論社 メロンのじかん まど・みちお
|・)…
ここ数年
今が平成何年か分からないので
ネットで調べてから 「今年は平成~年」と書いているばい。
しかし元号は 神界の元号制の反映という事で
維持されるべきものみたい。
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2019年1月1日に現在の皇太子が新たな天皇に即位し、新しい元号を適用する案が浮上していますが、その場合、2018年のうちに新元号を発表することを政府が検討しています。