Je suis moi

今日は、きっと素敵な一日。明日は、きっと今日よりもっと素敵な一日。
今日も明日も、わたしは、わたし。

忠臣蔵の町

2016年12月25日 | 旅行
やってきました、赤穂城のあった場所。

中には何もありません。

赤穂城「跡」です。
間取りだけがわかるようになっています。

「縁側」と書かれていた場所から、庭がみられるようになっていたようです。
家臣の家の跡も、なにもありません。

説明の立て札だけ。
この人は、親子で討ち入りに参加した人だそうです。

ほかにも、討ち入りに参加せずに闇夜に紛れて逃げたなど、そのまま説明文に書かれ表示されていた人のもありました。

そして大石神社。

ここには四十七士の石像があります。


どこを見ても忠臣蔵だらけ。
郵便局まで忠臣蔵。
時代劇大好きなわたしには、ほんとうに楽しい場所でした。
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赤穂の城下町

2016年12月25日 | 旅行
早朝、ホテルを出て、まずは朝のお散歩。
播州赤穂駅には大石内蔵助像。
駅構内にも壁いっぱいの大きな討ち入りのパネルが飾られていました。

やはり赤穂は討ち入りがキーワードの町。
うふん、テンションがあがります。
お城好き女子でも、武将ファンでも、歴女でもありません。。。
私は……たんに、時代劇が好きなだけ(;^_^A

息つぎ井戸。
江戸での浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせるため、元禄14年3月14日の夕刻に赤穂藩士、早水藤左衛門、萱野三平が早かごで
江戸を出発。赤穂城下に着いたのは3月19日の早朝。155里(約620km)の行程を4昼夜半早かごに揺られ続けた両人は、城下に入りこの井戸の水を飲んで一息ついたといわれ、以来、息継ぎ井戸と呼ばれている、と、説明がありましたが、
むしろ息をつぎたいのは、乗ってた人じゃなくて、かごを担いでいた人たちのほうではないだろうか???
と、だーりんに言うと、「ゆれるかごに乗っているほうもかなり体力がいるのだ」そうです。


赤穂の歴代藩主の菩提寺の、花岳寺。

中には立派な松があり、「大石名残の松」と呼ばれています。

元禄14年の事件後、内蔵助が赤穂を去るに当たり、本堂裏の大石家先祖の墓にお詣りし、松の木に別れを告げ、名残りを惜しんだそうですが、
これは2代目の松で、初代の松は、こんなふうに飾られていました。
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