空も大地もうごめき、ウゴメク。

この世に生まれたからには、精一杯生きてみよう

鳥の話、山の話

2007年05月16日 | 個人
   昨日、地元の河口へ話題のサギの撮影に出掛けた。越冬する渡り鳥のはずがそのまま残って、しかも夏鳥と同じ河口で“同居”しているものだから、野鳥ファンはたまらない。また、昨日の地元の朝刊一面の写真もサギが掲載されていた。この時期は愛鳥週間、鳥の話題は尽きないものだ。宮崎に飛来していたサギはカラシラサギという個体、こちらもクロツラヘラサギに負けないくらい稀少種の飛来だった。何気なく見過ごしていた渡り鳥も身近に絶滅危惧種が飛んできている事実を知ってしまえば、「撮れるものならこの手でシャッターを押したい」。そういう心境になった。鳥だって羽根休み、適当な干潟があればつい「そこで」ってなるのだろう。時には天候等の影響で違った場所での越冬もあると言われている。迷鳥なんかがその例だそうだ。だが、渡り鳥はだいたい毎年同じ場所で越冬したり、羽根休めてはそこを中継点とし再び飛び立ったり、秋、冬、春とそれぞれの季節の渡り鳥は、飛来してはまた北へ、南へ帰るという本能の繰り返しのようだ。ある渡り鳥をプラネタリウムを使って実験した話を思い出した。真っ暗なドームに星の灯りをちりばめ、その中に渡り鳥(ムシクイだったか)を入れ、足に白いペンキを塗って調べたところ、そのムシクイは北の方角に足型がいくつもついていた。さらに実験は星を消して行なったところ、全体的に満遍なくドームの中に足型はついていたものの、半分以上は北の方角に足型が多かったという結果が出た。星は北極星を目印にしてそこを目指していたことが分かり、真っ暗なドームでも北に足型が多かった理由は、それこそ本能的なものと解説していた。あんなちっちゃな鳥が生まれた場所に戻ってくる“帰巣本能”とでもいおうか、今だ科学的には明確な答えが出ていないのが、渡りの習性だ。

 外に出るとどうも鳥が気になってしょうがない。河口や川幅の広いところはよく中継地点になっていて、何十羽もの旅鳥が羽根を休めている。しかし、地元の五ヶ瀬川下流域は昨年の台風の影響で大規模河川工事を行なっており、野鳥や水鳥、渡り鳥も今年は一部の河川域が「みずから守るプロジェクト」の影響で鳥たちをうけつけなかった。、みずからは「自ら」と「水から」の掛け言葉である。国土交通省の台風激甚災害による一大プロジェクト(大規模工事)である。今年に限っては例年舞い降りてきた渡り鳥たちを迎えることができずに、生態系にも幾分の影響があったかもしれないが、そこもすっかり整地され、来季はきっと新しい仲間を連れてくるに違いない。

 2日連続で鳥の話、興味が沸いてきた。これも知人の写真の影響なのかもしれない。知人は元公務員、定年5年前に退職された。趣味のカメラを生かすために。定年してからでは遅すぎる。今しかチャンスはない、と。理由は山の写真を撮るためだ。元気なうちに登りたい、定年後は仕事を終えた達成感で気力が失せているかもしれない、と定年前の退職にこだわった。そして、目指すは北アルプス。初冬、夏山、残雪と山小屋に寝泊りしながら、奥様と一緒に生活をともにしていた。二年がかりで写真を撮り続け、昨年は地元で個展も開いた。北アルプスの山々の写真だ。山小屋から何度も足を運び、何度も空振りを経験した。「シャッターチャンスっていうものは、行って見なければ分からない。小屋を出て雲がかかっていないからといってもいつ気象状況が変わるかもしれない。登ってなんぼ、というよりも最初から状況が悪い時の方が良かったりもする」「気象の変化はよめないし、写してみて違う顔があるのに感動することも」。ここまで言えるカメラマンになってみたいものだ。

 <写真はカラシラサギ> 口ばしの黄と頭に20本はある冠羽がこのサギの特徴。特にコサギとは間違えられる。

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