0165_西方浄土(009)裕也の冒険
--どちらが高い法--
次にどちらが高い法であるかを考える。
例えて、一つの仕事を考える。
この仕事を完成するば課長になると社長に言われたとしよう。
ある人は仕事を実現するために自分を変革し仕事方法を改革し達成した。
ある人は、ただただ仕事の完成を夢見て耐えて達成した。
とすると、達成した仕事の価値は同じである。
どちらも課長になった。
前者は、課長以上の自分を作れたかもしれない。後者は、課長の能力に満たないかもしれない。
法としては、前者が優れている。自身を改革し仏にするのであるから。
しかし、仕事を達成したのに変わりはない。
末法で天変地異があり、争いがあり大変厳しい時代であったかもしれない。しかし、生き抜いた価値は同じで尊い。
裕也は、それが「南無妙法蓮華経」を唱えようが、「南無阿弥陀仏」を唱えようが尊いと思った。
--どちらが高い法--
次にどちらが高い法であるかを考える。
例えて、一つの仕事を考える。
この仕事を完成するば課長になると社長に言われたとしよう。
ある人は仕事を実現するために自分を変革し仕事方法を改革し達成した。
ある人は、ただただ仕事の完成を夢見て耐えて達成した。
とすると、達成した仕事の価値は同じである。
どちらも課長になった。
前者は、課長以上の自分を作れたかもしれない。後者は、課長の能力に満たないかもしれない。
法としては、前者が優れている。自身を改革し仏にするのであるから。
しかし、仕事を達成したのに変わりはない。
末法で天変地異があり、争いがあり大変厳しい時代であったかもしれない。しかし、生き抜いた価値は同じで尊い。
裕也は、それが「南無妙法蓮華経」を唱えようが、「南無阿弥陀仏」を唱えようが尊いと思った。
つづく 次回(西方浄土010)浄土。