ひろひろの生活日記(LIFE Of HIROHIRO)

パソコン講習とソフト開発をしています。自作小説も掲載しています。ネット情報発信基地(上野博隆)Hirotaka Ueno

0164_西方浄土(008)裕也の冒険

2019年12月10日 09時59分55秒 | 裕也・冒険日記(自作小説)
0164_西方浄土(008)裕也の冒険
--どちらを選ぶか--
まずは、説かれた経について考えることにした。
法華経には何が説かれているのか?
裕也は、法を説く仏の姿と法の姿が説かれていると観じた。
それでは、阿弥陀仏はどうだろう。
本門で釈迦分身となっている。当然、衆生を救うための最高の仏である。
次に救われる人の機を考える。
「衆生にこの機あって仏を感ず、ゆえに名づけて因となす。仏機を承けてしかも応ず、ゆえに名づけて縁となす」
とある。
つまり、その題目を唱えると言うことは、「南無妙法蓮華経」であろうと「南無阿弥陀仏」であろうと機があって仏を感じたと言うことである。
また、時を考える。
釈尊が法を説いてからの経過した時間であが、長い時間が経ち
釈尊が説いた経の効力が無くったかもしれない。
しかし、釈尊の言葉が妄語なれば、法華経もない。
しからば、阿弥陀仏も存在するし、西方浄土もあると考える。
信あらば力は甦る。
国を考える。
日本は、仏法に縁している土地で地域である。だから、仏法をとけば衆生は信じる。
次にどちらが高い法であるかを考える。
つづく 次回(西方浄土009)どちらが高い法?
 
 
※本門 法華経一部八巻二十八品のうち後半の十四品こと。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 0163_西方浄土(007)裕也の冒険 | トップ | 0165_西方浄土(009)裕也の冒険 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

裕也・冒険日記(自作小説)」カテゴリの最新記事