いろんな宗教は、神とか、仏とか、人間を超えた存在をめざすが、ひろひろ教では、人間として善にいきることを説く。善とは、神や仏として生きることではなく、人間として、正しい行いをすることである。人間は所詮人間であり、自分の生活、家族の幸せ、友人の幸福ていどの愛情が限界である。私は小善、小愛、小欲、小悪を説き、人間らしい生き方こそ、善に生きるということではないでしょうか?
全宇宙の名前は、やっぱり、始めにつけた日蓮大聖人さんの「南妙法蓮華経」かもしれないが、人、それぞれ、全宇宙でもあり、小宇宙でもある。各宗教、どれも、全宇宙でもあり、小宇宙でもある。その意味から、各宗教おのおの名前が有る。各宗教が、唱える名前も、やっぱり全宇宙である。仏法では、人の生命をとき、生命とは、大きくもなく小さくもないと説いている。だれもが、どの宗教も全宇宙であり、小宇宙である。結局のところ、その人自体の愛情の大きさとかで、決まるのである。
宇宙には、いろんなリズムがある。宇宙のリズムは基本的にやわらかく、穏やかである。南無妙法連華経や、アーメン、南無阿弥陀仏、等それぞれの宗教の人が宇宙感じリズムを発信している。ひろひろひろのリズムも新しくできたリズムの一つである。どれが、良いとか関係なく、人それぞれのリズムが宇宙には欠けることなく流れていてて、結局、やわらかい宇宙の穏やかなリズムに溶け込んでいき、大海のように、かわらない。また、宇宙の法則も同じである。各宗教で実生活をといたり、宇宙の始まりをといたり、生命をといたり、いろいろあるが、宇宙の法則を、生きるための法則とするならば、どれも必要な法則となる。全てがってあって宇宙の法則も成り立つている。新しく解かれる法も、古くから解かれてる法も、過去、現在、未来とつながっていく。過去がなければ、現在の法もい、現在がなければ未来もない、時代とともに同じものでもいろいと解釈が変化するものも有るが、古くからの方を壊しているかというと、それは、違う思想になってしまうのであって、古くからの法をまもっているのであり、私も古くから解かれている方を壊して、新しく法をとくものではない。時代がかわつたからといって、古い方が意味をなくすとも考えにくい。儀式や法は、意味があり、時代が変わっても、効力がなくなるわけでもないと思う。私も、儀式をまもり東の方向に足をむけないとか、簡単なことを守って、神様や仏様を尊敬したり、小欲をもつて、魔族を供養している。そして、生きる為には、善を重んじる。ひろひろ教では「善に生きる法」を解く。最後に、宇宙は、寛大で、人、神、仏、魔族、全てがあり、法も全てあり、リズムも全てあると言っおく。あたも、自分で感じてみればどうですか?
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中学二年生レベルの漢字まで、単語登録されています。
よろしくお願いします。
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「愛情の限界」
人間には愛情があり、どんな宗教でも、隣人への愛、他人への愛を解いている。私達が他人を愛したとしたら、どこまで愛せるだろうか?愛情には、限界がないのだろうか?
私は、まず両親を愛しており、妻を愛し、子供を愛するだろう、しかし、私たちは、他人のために全財産を投げ打てるだろうか?私には出来ないだろう。そこには、自ら愛情の限界が存在するのではないでしょうか?つづく
人間には愛情があり、どんな宗教でも、隣人への愛、他人への愛を解いている。私達が他人を愛したとしたら、どこまで愛せるだろうか?愛情には、限界がないのだろうか?
私は、まず両親を愛しており、妻を愛し、子供を愛するだろう、しかし、私たちは、他人のために全財産を投げ打てるだろうか?私には出来ないだろう。そこには、自ら愛情の限界が存在するのではないでしょうか?つづく
840文入力しました。明日、エクセル問題と漢字学習支援ウェブひろひろ漢字の例文にアップロードします。やっと、目どがつきました。
久遠では、堤婆達多も仏の座に座り、キリストを裏ぎつた者も地獄に落ち、キリストの偉大さを知る。よって、みなすべて、蓮の座にすわり、堤婆達多は天王如来、キリストを裏ぎつたものは、善神になる。しかし、また、仏、神の子であったものの中には過信、驕りから悪仏、悪神になり世を乱す。ただ、人に嫌われていた魔族だけ、よく自分の過ちをしれり、善を行事、善魔仏となりて、繁盛する。