橋本治という行き方 WHAT WAY TO GO!朝日新聞社このアイテムの詳細を見る |
橋本さんは、教養というものを標準語と同じような意味合いを持つものだと主張する。
自分の生活圏だけを基盤にして成り立っている方言は、生活圏の違う人間との意思疎通を困難または不可能にする。だから生活圏を超えた、広い領域でのコミュニケーションを成り立たせるための共通語‐標準語を必要とする。
そして標準語は、個々の生活圏に特有の諸々を捨象‐つまり切り捨ててしまうから、方言から標準語に入った者は、そこから再び自分の独自性を表す方言を作り出す方向へ進まなければならない。方言と標準語は両極になって、人はその間をグルグルと螺旋状に回り続けるのだと。
かつての日本語の過ちは、標準語を「達成すべきゴール」とだけ設定して純化をめざしたことだと。
教養もまた同じ。
教養の価値を認めず、自分の現在を成り立たせる興味本位の「雑」なる知識だけでよしとすることは、人としての思考のフォーマットを捨てることになる。
「雑」を吸収し得ない教養だけでよしとしてしまったら、そこでは個なる人間の「生きることに関する実感」が捨てられてしまう。